食事の理由

主食という言葉の不思議を考えながら

必要があって
「砂糖の世界史」という本を読んでいたら、

主食と副食という考え方はヨーロッパにはないと明記。


英語にもフランス語にも
「おかず」という単語はない。


稲を米とよび
煮た米をごはんとよび、

どんな食事内容であれ
食事を
「ごはん」と呼ぶ日本。


これはやっぱり不思議です。




ということを
考える日々、


古い写真整理でみつけた
初夏の食卓の

なんと素敵なことかと自画自賛



でも
こんな食卓で食事するということが
どれほど「現実的」ではないか



あらためて思ってもみるわけです。


テーブルコーディネートのブームが
過熱したのはよいとして


そのテーブルに集うひとたちの
食事風景が想像できない、そんなテーブルがあるのではないかと



そんな不安と疑問は大きくなるばかりです。




さて
わが家ではこの夏は義母の17回忌とのこと。
お世話になっている霊堂から連絡があったと義父。


なんとなく腑に落ちない。


なぜ霊堂から連絡がくるのかしら・・・


法事の営業もされたようで


やっぱり腑に落ちない。



嫁の結論。
義父も同感。
17回忌はしない。


少ない家族、帰省した人たちが順次お参りに行こう、ということで落着。
親類は北海道にいない。
それで充分。


冠婚葬祭もずいぶん変ったのに

変らない部分がある。
それは変えてはならないような
怖さがあるからかしら・・・・


父が亡くなったとき、
自宅で見送り、葬儀なし。
家族全員で父が好きだった般若心経。

なにもかも家族でやり、
食事もわが家。
一周忌も自宅だったかと。

最近、家族葬を演出します、という業者が多くて驚きます。


業者がやるなら家族葬じゃないでしょう。


何年か前の京都の従姉妹宅での
彼女の御主人の一周忌の写真が
たくさんでてきて
あらためてよい集いだったと思います。

お友達が次々に集まり、
みんなでもちよったごちそうを
みんなでいただきました。

私は盛り付け係。


このブログにも載せたはずです。



木彫家だった彼が残した器に
盛りつける作業は

胸の詰まるおもいでしたが


私にできる精一杯の供養でした。






大好きだったというカステラをどっさり盛ると

従姉妹がさらりと
「またね」
という文字と
「無」
と書いて添えました。



このセンスを
亡き芸術家はこよなく愛したのだろうと
私はまた泣けたのでした。


お線香はこんなグラスに入っていました。


みんなが真っ黒い、流行のない洋服で集い
ワイワイガヤガヤするだけの法事ではなく


こんな食事の場面こそ


本来の冠婚葬祭の食の形だっただろうと思います。



今一度、父を見送ったときのこと
そして
料理研究家でありながら
病院の心のこもらない病院食が最後の食になった義母のこと
そしてこの京都の法事のこと

それらを丁寧の振り返って

私なりの食事の意味と形を
短くまとめようと考えたのでした。