天才


盛り付けの妙。ナスの漬物、蕗の煮付け、海老、フルーツトマト。それが氷の上の竹に並んでいるだけだが、その大げさな設えこそ、日本の盛り付けの極意。

だが、この店が一流なのは、料理は当然だが、食事もせず、シャンパンだけ飲みに行くこおろぎとカブトムシなのに、帰るとき手のあいている板さんがそろって見送ってくださることだ。これを一流と言う。本当にそう思う。


先日テンプラを食べに行ったときも、札幌の老舗すし店でも、姿が見えなくなるまで見送ってくれた。こおろぎの知り合いの鮨研究家の弁護士さんも、飛行機で食べに行く東京のお鮨やさんで、感動するのはその見送り方だといっていた。


小さい地方都市に行くと、それができない。家庭風を売りにするからか、気取らない主義なのか、気取れないのか、結果的にぞんざいな扱いを受けた気持ちになる。格差社会とはこのことだ。磨かれるところはとことん磨かれ、学ばないところはずっと学ばない。



NHKのプロフェショナルで吉岡徳仁の仕事を観た。10年近く前、三宅一生のパリのショーのディスプレイに打ち震えるほど感動したのだが、それを手がけたのが当時31歳の吉岡だったことを今日知った。紙や不思議な素材で作る代表的な椅子も、どこか三宅の衣装に似ている。天才はいる。まだ40歳のデザイナーに期待したい。日本は捨てたモノでは無い。


あらためて思う。デザイナーは「協会」に属してはならない。もちろん花も料理もである。ため息がでるほど素敵な発想をする人がいる。花を学ぶ人間は空間を学ぶべきであり、料理を学ぶ人間は人間と自然をまなばなければならない。
花だけにむきあっていては、立派な花扱い人や立派な花屋にはなれるかもしれないが、活き活きとしたデザインなど絶対にできない。料理も同じだ。


カブトムシが私の国民年金の手帳がないと大騒ぎをしたため、こおろぎは3日かけて大掃除。結局函館の彼のマンションの所定の場所にあったとのこと。
めでたしめでたしだが、おかげで大掃除開始。あれもこれも捨てるぞと決意。つらいわつらいわ・・・・。
いかに捨てるか・・・。どんなに身軽に、機能的になるだろうか。
地下室を整理して・・・と言っても、普通の家の2軒分のにもつが溢れている。
お手伝いさん探すことにする。以前みたいに、ムスタングリンカーンに乗ってくる超美人のお手伝いさんだったら困るけどね・・。いい仕事をするためには
身辺整理あるのみ。身辺が整理されていないから頭もぐちゃぐちゃなんだわ。


こおろぎの自己変革のためにも、モノと決別するしかない。潔く、男らしく、努力することを個々に誓います。