真夜中の仕事

madam-cricket2006-10-04


大学の後期の授業が始まった。前期は「フードコーディネート論」と「生命科学」だったが、後期は「栄養と食生活」と「施設環境と食空間論」。似て非なる内容。学生も同じ先生から全く違う内容を学ぶのだから疲れるだろうと思う。後期の初日、健康栄養学科の学生と理学療法学科、合計200数十人が受講していたと思う。満席にちかかったけど今後減るだろうなあ・・・。

現在午前1時50分。今日は自宅で授業がある。片付けて準備していたらこんな時間。料理の下準備まではできなかった。ケンケンが不調だったので手もかかった。ケンケン、機嫌はよいのだが、マシンとしてのボディーは力の限り動いている状態。せつなくて泣きたくなる。19年前、保健所に手渡されそうだった子犬を引き取ったのは私。ケンケンの命に責任がある。ケンケンが元気なのはケンケンが私たちといっしょに居たいからなのだと思うようになった。ケンケンは私たち家族といっしょに居たいだけいればいい。苦しそうなとき、こうやって生かされることってどうなんだろうと考えることもあった。だが今は違う。ケンケンは私や獣医さんに生かされているのではなく、生きる権利をもって生きているに違いない。生命科学を教えているのに、現実の命を前にして震える日々。だが、生きるということはこうやってふんばってふんばってふんばって存在することなのだと思うに至った。大学の初日だというのに夕べはケンケンはほとんど寝なかった。つまり私も寝ていない。それでもなんとかなっている。短い居眠りをつなぎ合わせる技術も身につけた。ケンケンとの日々で私もまだまだ学びそう。


大学の紀要に書く論文のタイトルを決めなければならない。食卓の礼儀に関する研究をまとめる予定。また千晶ちゃんと年末年始は地獄を見るのかも。たかが食卓だが、食卓から日本文化を概観できる。マナーから日本が見える。忙しい秋がスタートした。ほかの書きかけのものも完成させて投稿しようと思う。生きるということはそういうことらしい。ただただ歩くことかも。


苦しそうにしていたケンケンもぐっすり眠った。苦しそうに啼くが、抱きあげると赤ん坊のように肩や腕にあごをのせて安心して眠る。キレイな目をしているので信じがたいが、完全に目は見えていない。眼前の餌も探せない。不安なのだと思う。そばにいてやろう。
不細工シスターズもいやがらずに面倒をみてくれる。だが長女は今B市の市立病院で実習。三重県からきている小柄で個性的な女の子と二人ででかけた。長女は広島育ちなので関西のお友達といっしょのときは広島弁北海道弁になるので、たぶんB市立病院は困惑していると思う。猛烈に小さい関西風の女の子二人。しかもかなりトロイ。大学から髪は黒、ピアスはダメと言われて別人になってでかけたが、さて何をしているのだろうか。音信なし。

大丈夫。きっと何もかも大丈夫・・・。哀しいことが続いたがきっと大丈夫・・。
ビール飲みなが真夜中に掃除したり仕事をするのが普通になった。ケンケンが作ってくれた
エアポケットのような時間なのだ。