こおろぎ・旭川へ行く

madam-cricket2006-10-07


中学時代からの友人、ちさちゃんが東京から帰ってくるから「ちろる」でお茶でもどお?というメールが来た。中学高校いっしょだったゆみちゃんからだ。毎週金曜日は原稿の締め切りで写真を撮ったり選んだり、原稿書きで時間をとるのに、新聞の連載が一週間お休みだったのでぽっかり金曜日が空いた。久しぶりにバレエのレッスンに行こうかと思ったところにゆみちゃんからメール。行く行く!と答えて、10数年ぶりに旭川に行った。

ちさちゃんとは中学校の入学式に初めて会った。北海道教育大学付属旭川中学校。外部から合格した者同士すぐに仲良くなった。父上が実業家で彼女の生活は庶民のものとはちょっと違っていた。学校まではバス。本数が少なくて乗り遅れたら大変。そんなときは彼女は教官室で電話を借りてタクシーを呼ぶ。中学1年生にしてタクシーチケットを使っていたのだ。学校からまっすぐタクシーで映画館へ行ったこともある。父上は映画館も経営していらした。初めて泊まりに行った家がちさン家だった。高校生のお兄様にドキドキ、お兄様のお友達にもドキドキしたりしたっけなあ。真夜中、テレビで大奥を見たりしたのもなんだか新鮮な経験だった。高校は別になったが友情はそのままで彼女が成城大学に進んでからは中野のアパートに遊びに行ったり、彼女も弘前によく立ち寄ってくれた。彼女曰く、私は中野の彼女のアパートに泊まりに行ったときもこおろぎを持っていたという。なぜこおろぎを持って東京に行ったのか思い出せないが、餌をやりながらこおろぎ連れで旅をしていたらしい。私は成城のマスコミ専攻の彼女の授業にもぐりこみ、彼女も弘前大学農学部にもぐりこんだりした。優雅な時代だった。

ゆみちゃんは付属小学校から来た優等生だったけれど、私とちさはすぐになかよくなった。
ゆみちゃんのパパは東大出の学者さんだった。遊びに行くと緊張したが、大学時代はいっしょにお酒を飲む機会もあり、急逝されたときは実に哀しかった。ゆみちゃんとは高校もいっしょ。だが優等生のままだった彼女と、劣等性道を歩き始めた私の学力の差はどんどん広がり、同じ大学を受けたけれど私は失敗。ゆみちゃんは北大の農学部に進んだ。ミス農学部の声はすぐに聞こえてきた。

おどろくべきはこの二人の友達と私は中学校時代から毎年旅を続けていたことだ。はじめの頃は私のママがついてきた。網走にも然別湖にも行った。帯広駅で夜を明かし駅のトイレで顔を洗うなんていう旅を高校時代にやっていたのだ。何年にも渡る思い出の写真をちさが持ってきて大笑いした。こおろぎは写真に写っている中学時代のスカートをまだもっていて、まだはいている。これは奇跡的。そしてそのままずっと、この年までミニスカートを通しているのもまた我ながらすごい。流行に関係なくさて、いつまでこのミニは続くのか。

ちさは3人の男の子のママ、ゆみちゃんは女の子二人、男の子一人。みんな立派なママ。
大学を出て1〜2年で二人とも結婚してしまったので私とは人生のスピードが違う。
ふたりともずいぶん年上の男性と結婚したのでそれぞれが定年を迎えたという。

久しぶりの旭川は新鮮だった。写真は高校時代よく行った喫茶店「ちろる」は文化人の集う有名な店。今もそのまま。思えば高校の制服を着てちろるに入り浸っていたことも不思議。

こおろぎは中学も高校もかなり変わった生活をしていたのだと改めて思った。


わずか3時間の旭川滞在だった。ちろるの帰り、3人で薬局をしているカナモリ君をいきなり訪ねた。こちらは30数年ぶりの再会。ちさちゃんとゆみちゃんはときどき同窓会で会っているという。40年近く会っていないのにいきなり漢方の相談。さすがプロ、適確な判断で早速お薬調合。昨夜から飲んでいるけれどなんとなく快調。その上彼のお店にあった薬膳系の料理本から何ページかコピーしてもらった。カナモリくんに感謝。

ケンケンを預けて自分のためだけに遊びに行った。ちょっと罪悪感。でもそんな3時間の間に仕事用の写真を何枚か撮り、カナモリくんにお薬を選んでもらったり、料理の本をゲットしたり。いつでもどこでもやっぱり仕事からはなれられない。


大掃除は続行。ケンケンは低値安定状態。カナモリくんにちゃんと休養しなさいと言われてきた。その通り。メリハリしっかりするのは大切なこと。オフをどう作るか。マグロ状態でいたほうが楽なのだけれど、体はついて来れない。だましながら頑張って休むしかないのね・・・。札幌は寒くなった。とうとう今夜ストーブをつけた。旭川を訪ねて、ちょっと私が忘れていた私に会えた気がしている。行ってよかったわ・・・。