思いたったが吉日

思い立ったら吉日

という人もいますが

正しくは

思い立ったが吉日

です。



こおろぎセンセーは
アクションが早いと
言われる事がおおいのですが


早くしなくてもいいことは
しなくてもよいことなので
しないだけでした。


そのうち・・
ということは
今しなくてよい、という引き出しに入る。



そのうちいつか、というのは
まず、実行されない。



ちょっと考えてみます・・


という人は

考えた結果

形にすること、少ないですね。


石橋は叩きはじめた段階で
渡る気は半減している。



長く生きて来て悟った事のひとつです。



先日、必要があって
スエーデンハウスのモデルハウスに行ってきました。

かつて
セミナーを開かせていただいた
懐かしいモデルハウス。


スエーデンということもあって
インテリアに一貫性があり、

そのセンスは極上。



こんな家に住みたかったなあ・・
と思って
気付くのが
「住みたかった」と過去形であること。


もう子供達が家を出てしまい
私たちの仲間も高齢化の一途。

大勢が集うことはきわめて少なくなりました。




これまでの人生で
マンションや家を
何度か買ったり売ったりしました。

資金ゼロ
いや
事情があって
私は常に大借金を背負っての人生ですから
資金マイナスの人生なのに


「必要」というエネルギーに押されて
住まいを変えてきました。


今回の函館新聞に書いたのですが


大きな台所や
使いやすい家は
家族や仲間がワイワイガヤガヤする時代にこそ
必要なのです。


これは
旅も同じ。


いつか余裕ができたら・・
などと言っていたら、

お金も時間も余裕が出来た頃
カラダはボロボロだったりする。





思い立ったが吉日。


その日がどんなに大変であっても
条件がそろわなくても

やろう、と思ったときに始めることこそ

楽しい人生の鍵かもしれません。



熟慮不足
石橋など叩いたことなし。

叩く気にならず
渡りたいと思った橋を渡ってきたなと振り返るばかり。


当然、泥の橋もあって
見かけ倒しの橋もあって
川底に転落も何度か経験。


予想以上に丈夫な橋もあって
渡ったからこそ得た風景もたくさんありました。



母などをみていると
若いころから

子供(この手の全くかからない私のこと!)の手がはなれたら
とか
親兄弟のあれこれの心配がなくなったら
とか
夫の病気
亡くた哀しみ
私が引き起こす数々のトラブル
孫たちの心配
やっとおちついたら
自分の足腰立たず。

そのうちそのうちと言いながら
いつかお茶するはずの
大勢のお友達が鬼籍に入りました。


今日は暑い
今日は寒い
そんなことを言っているうちに
年月はたったのです。


暑くても寒くても
散歩すると決めたら散歩したらいいのに!


これが鬼の娘の思いです。

そのうちなんて来ない!

これも鬼の私の思いです。



したがって

子供の手がはなれたら
仕事にもどるとか
子供の手がはなれたら
なにかしたい


という
そういう心優しい系の
若いおかあさんたちに
私は残念ながら優しくはありません。


子供がいてもいなくても
自分の気持ちを第一に。

それでこそ
子供を愛せ、子供との時間の大切さがわかる
いや
私はわかりましたね。



女性の働き方に
いろいろな便宜や提案がありますが

なにより大切なのは


やりたいことや
やろうとすることがあるなら

みずからブレーキはかけないことです。

どうすれば
どん欲にやれるか。


もちろん
どうにもならないこともあるでしょう。

私とて
こうみえて
諦めたことはたくさんたくさんたくさんあります。


諦めることも大切なのです。


きっぱり諦める。

違うものを探す。


この方向転換も大切なのです。


中途半端に
そのうち
いつか
ではなく、

できること
可能なことを
しっかりやっていくこと。


いやあ

えらそーですわ、今朝の私。



ちょっとね、
考えることたくさんあって。



とにかく

思い立ったが吉日。


これ、私の座右の銘かも。


週明けはまた
時間制限のある仕事が届くはず。
嵐の前の
不気味な静けさの中にいます。


平安、という状況に慣れていないので
OFFという気分も不得意なので
結局
嵐の前の静けさに
どっさり予定を詰めてしまい、
嵐どころか
巨大台風を自ら作って
ボロボロの時間です。




でもまあ
これの嵐状態の日々が
私のOFFの楽しみ方かと。




すべて人それぞれ。


よくわかっているのですが


もったいないなあ・・・と思う人たちが大勢目について
思わず老婆心の日々。



この写真はりきまるさんのお友達(りきまるさんはお友達だと思っていますが
先方のトラちゃんは、りきまるが大嫌いです)の
ご自宅。

お寿司屋さんの裏玄関に作られた邸宅。
刻々と大きくなります。
毎年違ってとても素敵。






そして突然ですが
「今日のいやな日本語コーナー(いつできた?)」


自分の配偶者を
「旦那」という呼び方です。


「うちのだんがね・・」
という表現。


理由はいろいろありますが


主人、という言い方にも抵抗はありますが


「うちのだんなが」は、おすすめできず。


主人、という言い方でなければ
相手が理解しずらいと思われる場合は
私も不本意ながら
うちの主人がと言いますが

普通は
夫が
とか
配偶者が
とか
荒井(さん)が

です。

うちのだんな

とか

だんなの誕生日

とか言わない。




理由は・・・
たっぷりありますが

長くなるのでいずれまた。


「お宅のだんなさま」は
百歩譲って「あり」かもしれない。
使いかたとしては間違っていないかと。
でも
まあ
「お宅の御主人は・・」というコトのほうが
多いかなあ。


むずかしいなあ・・・
名前があるのですから
『◎◎さん』と名字で言うのがベスト。


肩書きで相手を呼ぶ習慣、日本は長すぎたので。



もっときらない日本語
ついでに書いてしまうと

子供の名前をつけて

『◎◎ちゃんママ』という
あれ、いやですね・・


もう呼ばれることないので
よかったですが


誰がいつから言いだした呼び方でしょ。


ころちゃんママとか
ききちゃんママとか言われて

はじめわからなくて返事もしなかった。


このときこそ
ちゃんと名前で呼び合うべきでしょうが!


妻になれば誰かの奥さんで
母になれば誰かのママ、

いやだいやだ!

名前で生きようぜ!


さて
今朝も過激。


ニュアンス、大切にしたいと思うばかりです。


夏は必ず終わります。
昨夜、犬の散歩で
こおろぎの声を聞きました!

まだ市民のみなさなどなたも気付いてませんよ、きっと!


ほーらね、
秋がもうそこまで!


そのうちね、なんていってたら

気がついたらずいぶんさみしいことになっちゃったりしそう。
日々、大切に暮らしたいものです。



よい週末を。