加齢礼賛

何度見ても
義父の文字は美しいです。

気分がむいたら
いろいろな色紙を書いてくれるのですが


定年後始めたという書道は
あっというまに師匠を超えてしまった実力。


でも思うのです。

定年後始めたのは
学ぶということを始めただけであって

義父の文字は
もともと美しく、

もともとそういう文字を書く人であったということです。


ここに
教育の限界がある事は事実。


学んで身に付くことと
学ばなくても身に付いていること。
学んでも身に付かないこと・・・


ここまで生きてくるといろいろと分かってきます。


羽毛蒼洲先生の書道塾
第一期8回にひきつづき第2期6回がもうすぐ終わります。


先日の講義では
野口英世のお母様の書いた手紙が
資料の一つとなりました。

文字のかけなかったお母様が
アメリカの息子にあてて書いた手紙。


ネットで検索すると
全文がでてきますので
ぜひ。


明治40年ころ、
文字の読み書きができない人は多かったのでしょう。

そんな中、
息子に思いを伝えたい一心で
文字を学び、書いた手紙が
心を打たないはずはありません。


どうかどうか
帰ってきてほしいと

あちこちに祈っているという
母の思いは
途中で泣きそうになるほど。


そしてその文字の
なんと美しいこと。




みんなで感動しているところに
このアホマダムこおろぎは
野口英世の研究の一部は
すでに否定されていること

渡辺淳一
「遠き落日」で
偉人の、想像を超える裏面を描いている事


いくつものトラブルや
研究結果の問題点などを
お話してしまい


みなさん
「えーっ!
伝記に感動したのに!」


「お札にもなってるのに!」


と。


福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」にも
ページを割いて、野口について触れられています。


偉大な成果もあったとして
人間は多面的。


そこを全部描いていたら
伝記はできません。



野口本人より

その母の手紙は
本当に名作。

是非全文をネットでチェックしてみてください。


文字の上手下手とはなにか、
心を伝えるということはどういうことなのか


それがよくわかります。




さて台風一過の日本で
私も大きく予定が狂い
思うところおおい週末です。

食学の校正は着々と印刷屋さんで進んでいることと信じて
私の作業も
ある意味では
『台風一過』的状況なのかもしれません。

最近食べた、おいしいおいしいおいしいピザの写真を載せておきます。
石窯で焼いてくれるお店の品。
下はじゃがいも(きたあかり)のピザ。
想像を越えた食感と味でした。

海鮮系とジンギスカン以外で
北海道の美味しいモノが食べられる札幌のお店としては
私、この小さいカフェ風パブ風レストラン「「ニューアザリヤ」はおすすめです。


この日も
遠方からの友人を連れて行きましたが
海鮮お寿司系に飽きていたのでしょうか、
自ら料理をする彼を、唸らせたピザでした。



そして
唐突な
長万部のかに飯。

先日函館に行く際、本当に久しぶりに車内で注文。
隣に座ったジェントルマンも注文したので
知らない者同士、同じお弁当を食べることになり
黙々と食べるのも味気ないわと
ずうずうしいおばさん根性で
「おいしいですね」とか
「ご出張ですか」とか
「この佃煮は、実は・・」など
どうでもいいことおしゃべり。

となりのジェントルマンは
一問一答のお答えのみでしたが

突然、

「荒井先生ですか?」と。


なんとジェントルマンは
数年前、何度かお仕事をごいっしょした 住宅メーカーのIさんでした。

お互いに正面を向いて食べ、正面をむいて話していたので
わからず。

いや、数年の年月で
姿形が変わっていたのは確か。

それからの会話はおおいに盛り上がり、
なにかまた仕事をごいっしょしましょうということになりました。


わが家の水耕栽培は着々と成果を見せてくれていますが

つくづく思うのです。

撒かない種は生えない。

そして
収穫を期待して撒く種より、
実りを想像せず、種まきそのことを楽しんだ結果のほうが
ずっと大きな実りになると

確信する昨今です。


ピザをよろこんでくれた友人はここ3年ほど
愛知県から札幌にゴルフに来るようになり、
ついでに顔を見せてくれるのですが
それまでは大学卒業後30年以上、会っていませんでした。
でも
仲良しだった、その時代の記憶が
年月を瞬間で埋めてくれました。


かに飯を一緒に食べたIさんも
数年の日々はすでに消え、次の仕事のお話にまっしぐら。


かつて撒いたつもりはなかった種が
ある日、素敵な実りになるのだと。



そして
この奇跡的なことは
最近ずっと続いています。
10年ほど前、頻繁にごいっしょしていた
ソムリエさん、ずっと探していた美人ソムリエさんに突然遭遇。


会合のあと仕事仲間が連れていってくれたワインバーで
突然「センセー!」とお声をかけてくださったのが
その人でした。

ずっと探してた!

泣きそうになった瞬間でした。


ずっと探してたといえば


若い日、多くのことを学んだ恩師の一人を
ずっと探していたのですが
突然ご令息のお名前で検索してみようと思い立ち
その結果、

嶋田摩耶子という私の人生の岐路で
たくさんのことを教えてくださった師は
2年前他界してしまっていたことを知りました。

先生の句集嶋田摩耶子集を久しぶりに読みながら
その言葉に涙があふれた午後
突然パソコンにご子息のお名前を入れた瞬間のことでした。


いつかきっと
いつかきっと
お会いして
その後の私のご報告をしなければと思っていたのに。


けれど
ご子息とご連絡がとれたことは
私には大きな幸せでした。


早くからアメリカで教育を受けていた彼が
夏休みに帰国したとき、お会いしたたくさんの思い出がよみがえりました。

先生になにもご報告できなかった悲しみはやり場のないことですが
ひととき、時間が止まったような気がしました。

彼については
後日また書きます。

長い海外生活のあと帰国され
アーティストでありながらオペラ、カンツォーネの名手になっていたのでした。



かに飯たべながら
お隣にお声かけてみること
泣きながらネットで検索してみること
夜のワインバーに連れていかれてみること

あれこれ
偶然が重なって
いや
どれも必然かもしれません。

トシをとったからこその
再会が続いています。



大昔の
無欲の種まきが
今ごろ!

実りを期せず撒いた種が
何十年もたって
思いもかけない花を小さく咲かせてくれるとしたら

本当に幸せです。