食事学 奮闘中

苦戦の末、文系の大学生になった次女から電話。

2回生になり、ちょっと専門的な領域を選択する場面が
迫ってきたようです。


若い人はいいですね・・・・



大昔、大後悔のまま農学部の2年生になってしまった秋、
退学届けを目の前においての日々、
突然、動物行動学を日本にご紹介くださった日高敏隆先生
(当時東京農工大。後京大、その後は滋賀県立大学長)の講演をお聞きして衝撃。

突如、農学部に居場所見つけてしまったのでした。





それは昆虫学教室で学ぶこと!


専攻の希望を申し出るとき、
第2志望を書きませんでした。


第一志望の昆虫学教室に行けなければ、
大学をやめようと。



なんと強靭な(?)、一途な学生だったのでしょう・・・


というか
わがまま、無謀。


しかし
本心でした。


もとより大学をやめようと思っていた私が

動物の行動や進化を学べるなら
弘前大学の正木進三先生(当時昆虫学会会長)の研究室に進もうと。

そして在学しつつ日高先生からたくさん学ぼうと。


それ以外に興味なし。



次女と電話で話しながら
同じ頃の自分を思い出して
思わず笑ってしまいました。


第二志望ならいらない・・・


こんなことが言えた時代が
私にもあったのかと。

ま、そんなたわごと言っていたバチがあたって
その後40年、ずーっと居場所探しを続けているわけです。


ずーっとフリーター生活・・・なわけです。


これがバチ、でなくてなんでしょうか・・・。


しかし

結果的に
20歳のときの傲慢な希望は叶い、
私は高倍率の昆虫学教室で学ぶ機会を得、
その後、
能力がない
論理性がない
まじめさのかけらもない
やる気もない
など、
この上ない攻撃と批判の中、


そんな「正しい」評価にもかかわらず
自覚を持たず、
またまた6倍の難関の大学院に
信じられないほどの勉強をして合格してしまったのでした。


12歳の時の中学校受験

22歳の時の大学院の受験、
この2度は
なまけもののマダムこおろぎ、一世一代の猛勉強でした。


ただし、その後
24歳から苦難の日々が始まり、
連続ドラマが何本か生まれそうな
抱腹絶倒の悲喜劇が20年以上つづいたのですが


結局
48歳で
文系の専門で博士号を取得したとき
論文の審査をしてくださったのが
20歳で私の人生を変えてくださった日高敏隆先生だったことは
奇跡としかいいようのないことでした。



人生はわからないものです。


ただ
奇跡は待っていては起きない。


突然起きることを奇跡、というのではなく
奇跡は、起きるべきして起きるのだと
今そう思っています。


教育は
なにが起こりうるかわからない人生に
奇跡を起こせる可能性を増やす機会かもしれない。



そんな気がしています。


算数も国語も、理科も社会も英語も


どこで役にたつか、すぐにはわからない。
だからこそ、できないよりできたほうが絶対にいい。
やらないよりやったほうがいいに決まっている。


なーんてことを思った午後でした。



さてさて
食事学の教科書、校正作業開始。




「食べる」ことをあれこれ多方面から考えてみましょ、という
大学生用の教科書です。


表紙用に楽しい写真を探していて見つけた何枚かを
載せておきます。






次女が高校時代、アメリカで撮ってきた写真。


なんとキュートな写真たち!


栄養とも
健康とも
全く無関係な


この

たのしそうなお菓子たち。



食べるということは

健康のため
栄養のため


だけではないことは明白です。



食べるということに
真正面から向き合うと

ドキドキすることにたくさん出会います。



お米を食べること
お米が好き、ということ
その理由は?


生野菜を食べると酵素がそのままとれるというけれど
植物の酵素をそのまま私たちが利用できないのに
なぜ生野菜がそんなに必要なのか。


生の野菜には
食感、という極上の魅力があります。

そして緑色、という最高の魅力がある。


安心感がある。
結果として
ビタミン類もたっぷりとれるし繊維もとれる。


栄養面だけから
推奨するより
生の野菜の魅力を
もっと広い角度から見たほうがいい。



熱して失われるビタミンより
大量に食べる温野菜の方がよいものもあるでしょう。


体内で作られる酵素だけで
なぜ不足なのか、


そとからコラーゲンをとることにどれほどの効果があるのか


酢が体にいいって、どういうこと?


あれもこれも
次々に疑問がわいて、それぞれに相当な書物に没頭して
あっというまに時間がなくなります。



「疑うこと」です。

「知」は疑うことです。

疑うには知識が必要です。

だから勉強しなければならないのです。



「鵜呑みにしない」

これが強さだと思っています。



噂話とておなじ。

鵜呑みにしない・・・

それだけでずいぶん快適に暮らせます。


自らは自らが守る。

疑って、考えて食べる。



口から摂ったサプリメントも食べ物も
そのまま皮膚にも痛い膝にも届くはずはない。
そんなこと、疑う必要もないのに。




食べるこということは
仮に体に悪くても


楽しい
うれしい


そんな理由で食べてもいいはずです。




アメリカの
こんなカラフルなお菓子たち、
体に必要なわけはありませんが、


子供たちに
若い人たち
どれほどの笑顔をくれることでしょうか。


栄養至上主義的
健康至上主義的
食べモノ論から
すこし離れて

「食べる」ことを考えてみたいと思っています。