おいわい気分

約1ヶ月、アトリエに飾っていたボディーとウエディングドレスを
昨日片付けました。


あれこれ試作に次ぐ試作を繰り返した一ヶ月

長い長い花のデザイン生活を振り返ることができた
貴重な日々でした。


思えばフラワーデザイン、というモノを初めて習ったのは
小学校4年生くらいでしたか、
旭川市内の手芸の先生からでした。

「あなた、お上手ね」

なんていう、
ゴージャスなマダムの先生の一言で
<内気な>女の子は
うふっとうれしくなったのがそもそものスタートでした。



当時は
リボンフラワーとかペーパーフラワーとか
なんとかフラワーというものを
次から次に教えていただき、
それらをアレンジするというお勉強だったかと思います。


何を作っても

「あら、あなた、お上手」という
褒め言葉。
それを毎回鵜呑みにして
いい気分で
<内気な>女の子は
楽しく学んだのでした。


あれが10歳くらいだったとすれば
あらっ50年前ですわっ。



いけばなのスタートは5歳ころ
母の先生が家に教えに来てくださって
そのついでに
<内気な>女の子にも
ちゃんと挟みを持たせて生けさせてくださって

「そうそう、その調子!」

などと
ここでもおだてられて
花が身近かになったスタートでした。


その後
あれこれ修業に次ぐ修業。
30代でヨーロッパやアメリカ大陸(大げさ・・)を
挟み一つもって
「たのもう!」と有名校や有名店の門を叩き、

40代以降は、それらを学問として扱う日々。


長いなあ・・・・



と感慨にひたりながら

CHIHIROちゃんのブーケを作ったのでした。


彼女のイメージ通りの色、形、ムードだったと
言われただけで大満足。


本当に彼女はきれいでした。



そして披露宴のスタートは
和装。

いやあかわいい!

髪の左側は赤系、右側には黄色いお花。

華やかでした。


こんなブーケをお持ちでした。


会場にも
同じイメージのお花。


春らしい演出でした。



どの季節でも手に入る素材ではなく

今ならではのサクラがあしらわれていて
うれしかったです。




さて
わが家にも
お祝いがありました。
配偶者も還暦の誕生日を迎えました。

今話題の(?)科学者の一人です。

猛烈に意志が弱く、全く体重が減らない難点はありますが
真面目に真摯に、真剣に研究をつづけて何十年、
その彼の学生さんたちが
もちろん
真面目に真摯に、真剣に研究をつづける
そして配偶者同様、貧乏でも本当に明るい学生さんたちが
こんなケーキを用意してお祝いしてくれたそうです。


ありがたい限りです。

巷で
ねつ造だのコピペだのの大騒ぎ。

本当に本当に本当に残念ですが
彼女を指導してきた指導者の責任の重さ、
そこに触れずに一人の若い研究者を糾弾しないで欲しいと思います。


博士論文の引用文献もコピペだったとネットのニュースにありますが
博士論文の引用、参考文献の正しさは
審査のとき、必ず絶対に必須事項として、確認するのが常識。
そこをスルーして博士論文の審査を終えたこと自体、
信じられないのです。


それでもいい・・・ということを
学習してしまったのでしょう・・・


コピペはすぐにバレるという
絶対にゆるされない
そして
無断引用も絶対にゆるされないという
論文のマナーとルールを
学び忘れたのではないかと思うと


指導者と職場の責任の大きさが指摘されるべき。


いくらでも防ぐことができたはずです。

チェック機構の全てが機能していなかったことこそ
糾弾されるべきでしょう・・・・





というお話ではなかった!

配偶者カブトムシの
心優しい学生さんたちの
師匠へのお祝いの気持ちに感謝。

よく覚えていてくれました!

実に健全な研究室です。

だれかが
自然科学の研究者の相当数が
実験のねつ造を見聞きしているなどと
コメントしていましたが

とんでもないことです。

ウソも偽りもできな機構がちゃんとあります。


真面目な学者が疑いの目で見られることになるとしたら
許されないことです。


若い研究者一人の責任では絶対になく

指導してきた諸先生の言葉が聞きたいものです。




いやいや
そんなお話ではなかった!
ケーキ、っていいですね!

その誕生日の夜遅く、次女も帰省し
3人で出向いたレストランも
こんなケーキをご用意くださっていました。



私たち家族からのプレゼントはこんなボックス!


真っ赤な紙と真っ赤なリボン。
還暦にはやっぱり魔除けの赤。

おそろしく大きなカードはマグネット。

魚類の遺伝子研究者にはぴったりのカード。

巨大な箱ですが
中身は時計。

夫婦そろっておもちゃのような楽しい時計のコレクターでしたが
私も還暦祝いに古いお友達から赤い文字盤の時計を贈っていただき、とてもうれしかったので
カブトムシにも時計を。

でもなかなかいい赤い文字盤はないので
茶色の文字盤を。


明治時代、茶色を赤、と表現していました。
紳士が赤い靴、といえば茶色の靴。
赤いかばんは茶色いかばん。

ですから茶色い文字盤。中のマシンが見える少々アナログなものをあえて選びました。

便利さからの解放もいいかと。

手のかかる
手間をかける
そんな生活もいいかと。


ただ100キロの巨漢のため、時計のベルトはいつも短くて苦労。
この時計もベルトの長さが心配でしたが
「スイスから実費で太い腕用のベルトを取り寄せることもできます・・」
と言われたことを告げたら、
「もう太らない」との答え。
なによりの決意でございます。



なかなか料理もできない日々ですが
今日はお昼、カレーをどっさり作りました。

あまりに考えることが多すぎて
頭が混乱したため、
大量に作ってみました。
スキー場の食堂のカレーのような量ですが
冷凍して家族に送るのもいいかしらと
久しぶりに立ったキッチンで思ったのでした。


ただ問題発生。
狭い土地に上に細長い作りのわが家、一階で作ったカレーの香りは
家中に蔓延。
先日のキモノも帯もあれもこれも全部カレーと生姜とニンニクと
数えきれない種類のハーブの匂い!

しばらくはエスニックな空気の中で仕事することになりそうです。