2月の日曜日

今月のはじめ、東京が大雪の二日間、
雪女こおろぎは、雪まみれでその地を歩いていました。

大雪の前日、
レッスンの会場である
東日本ハウス横浜支店を訪ねたときは
窓の外はこんなに晴れていたのですが・・・・


今写真を見て、
ああ、いい部屋だなあと


こんなおうちが欲しいなと!

えええええっ、い、え、ですか?

ゆ、ゆ、ゆめです・・・・


でも思うのです

家って

人数が多いからこそ意味があるのです。


子ども達が育ってしまえば

料理の時間は短くなり
食べるものの幅も狭くなって


大きな家もテーブルも
キッチンもいらない。


やっと余裕ができて
理想の家を手に入れたときは
もう家族がいない、
そういう人たちをたくさんしっています。



私はまだいいほうかもしれない。
中古の家ばかりでしたが
なかなか楽しい場所で楽しい家で子育てをしたかもしれません。

大雪の日にもかかわらず


つどってくださった方々との時間を


あらためて
ほっこりと
思い出しています。


次女のアシスタントぶりも
その後の長女の都内までのナビゲーションも
頼もしい日でした。

ショールームが会場だったので
本当にすてきなキッチン。

あああ、いいなあ・・・

春からちょっと、心入れ替えて
キッチン大改造したいなあ・・・と

春からのスケジュールをながめて思っているところです。


さて
かなり太ったという自覚があり
なにかと反省していたのですが

アレルギーが発症して
お薬を飲む日々、
アルコールも控え、なんとなく粗食を続けていたら

すこしすっきりした気がします。

立ったまま、するっと靴下がはけました。

このあいだまで、よろよろしていたのですが


よしっ、すこしバランスよくなったか、と安心。

ところが
そんな昨日、突然、おいしいパンがたべたい!という
珍しい欲求。


ご飯党で、いわゆるフワフワのパンは苦手なのですが
かちっとしたパンは好き。

出先の帰りに、めったに行かない某パン屋さんで
小ぶりのフランスパン系パンをゲット。

クランベリー入りとプレーン。

バターがたっぷりで
どちらも合格。


温野菜には和風ドレッシングだけで食べていたのですが
これにもオイルを足したくなって
北海道産の
ひまわりオイルを足したところ極上の味に変身。


ひまわりオイル、いいです!


夜の間食はずっとしていなかったのに
あれこれ仕事をしていたら

バターが食べたい!
という突然の思い。

マダムこおろぎ、昨年末から切らしたことのないバター。

誕生祝いにいただいて以来、肌身離さず・・・というのはウソですが
ざらざらの触感を残した塩分が最高のバター。

これを
バターたっぷりのパンにどさっとつけて
パクリ。


人間は
脂も必要なのだと痛感。


私の頭ではなく細胞が
脂、足りないよ、と叫んだのではないかと思うような
一日でした。


人間はかくも不思議なイキモノです。


今書いているのは
こおろぎ的食物史ですが


普通は縄文時代あたりから書くのに

こおろぎセンセー、猿人として樹上生活していたころから
書き始めてしまいました。

でもおかげで
すごいことにいろいろ気付きました。


人間は
樹上生活しているころから
そして
そののち草原に降りて
マンモスを追いかけているころから
平成の今まで
食べるものなど変っていないということです。


自然の動植物しか食べていない。

当たり前すぎることをしっかり確認しました。


ではなにが変ったか。


加工の技術、保存の技術、それだけです。


平安時代には塩。
その後、酒、酢、味噌
南蛮貿易ののち砂糖、醤油・・・
天ぷらも。


今と大きくかわらない。

自然も動植物を空腹時に捕たり採ったりして食べていた時代を経て
意図的に栽培し、飼育するようになったのですが


ああ
何もかわない・・・と思うのです。


もちろん
バターはなかった。

でも
ほ乳類はいたわけで
加工の技術がなく、食べる必要もなかった。


この「食べる必要」こそが問題なのです。


食べなくてもいい。
バターはなくてもよかった。

でも作ったからには
食べる必要のある食品になった。


チーズもそうです。


たまたま貯蔵しておいて
腐敗を越えて発酵した。

おいしいじゃないの・・・
ということで常食するようになった。



その歴史でしかない。

人の食事の雑食性について考えながら
奇妙な年表を作ってみて


みつけた答えは


樹上生活のお猿さんの時代から
何も変わっていない、というものでした。



そろそろ教科書も佳境。
今週が勝負かもしれません。

日曜のお昼は北大前のスタジオで、共同執筆の先生とごいっしょに
食教育の箇所の再検討。

見れば同じMac。メールのやりとりではラチがあかなかった幾つものことが
お会いして議論すれば5分で決まることばかり。

これが人間です。


メールでできることは認めましょう。
けれど
会って決まるものの価値、プロセスを認めることを評価しなければ
とんでもないことがきっと起こります。
ただし、
だからといって
ネット社会を無視したり、軽視することはもったいない。
どちらか、ということではなく
両方大切にすべき、ということでしょうね・・・・


さて

犬さんは
得意技、飲みかけのペットボトルのキャップはずし。

不思議なのですが
絶対に立てたままキャップをはずし、
絶対に倒さず、液体をこぼさないのです。

えらいなあ・・・と
いつも思います。


しかし
このペットボトル、
いわゆる飲食の作法を見事に壊したシロモノの代表です。

作法の先生が立ったままペットボトルの水を飲む、という光景、
どう見たらよいのでしょうか。

ペットボトルの功罪というのも
今回の執筆にすこし取り上げておこうかと思います。
恵方巻きを切らずに食べることと
同じメンタリティーを感じます。


頭がやすまらない日々が続きますが

それが2月。
如月の醍醐味というものかもしれません。