2月

2月になった。

1月末日〆切の原稿は
余裕で完成した原稿が半分、
滑り込みをあえてせずに、よりよい内容のために修正中がその半分。
残りはもっか大奮戦中、というところでしょうか。


したがって
こおろぎ事務所の大騒ぎは
みごとに継続中。


あと少しの生みの苦しみ、というところでしょうか。



写真の整理も同時進行していて
美しいお菓子を発見。

東京は目白のあたりだったか、
古い和菓子屋さんで買ったお菓子だったと記憶。



こんな椿餅も


日本はいいなあ、と思う瞬間。



さて
日本の研究者が
世界を驚かす発表をして


前回のブログで
35年前を思い出して
かなりウエットに
感想など書いたものの



そして
35年後、時代は新しくなったと書いたものの


やはり変ってはいないと
書き直したい。



危惧したとおり、
ご本人は
報道機関にメッセージを発表した。


研究以外の取材や
報道で、周囲に迷惑がかかり、
落ち着いた仕事ができなくなったということだ。



本当にお気の毒だ。



その事実を分析した
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujisiro/20140131-00032204/

こんな感想も見つけた。


ため息しかでない。


昨今、

りけじょ、という愉快ではない言い方がある。


理系女子、という意味だが、


相当な差別語だと思う。




「え?理系?」

これ、
どういう質問なのか。


文系と理系の違いを
あえて言う必要、
人間を文系か理系か
分けることの意味、


そして女性が理系であるときの
少なからぬ驚きと差別視。

区別、だとイクラ言われても

生意気さとか
ベンキョーできる風とか
ファッションなどに関心ないはず・・とか


やっぱりなあ・・・




リケジョ
というなら
ブンダン


という言い方もしてほしいものだ。


文系男子、である。


これ、意味、ないでしょ。




理系の女子だけを分ける意味が
どこかにあるに違いない。



「へえ・・・文系なんだ・・」という感想をフツーいわないでしょ。


『え?理系なんだ!」
これ、
言われますから!


そもそも
理系文系をわけて、なにかを理解するつもりになることがおかしい。


しかし、

血液型で人間を分類することに
何の迷いもなかった日本人には
文系と理系をわけることもまた
「わかった気になる」一つの手段なのかもしれない。



たしかに、おどろくほど算数ができない人がいたり、
論理的な思考ができない人はいるが
だからといって
文系か、というとそれもわからない。


農学部と理学部という理系に在籍し、
家政学部、生活美学という文系で締めくくったワタクシは

その両方をみたが、
違いはよくわからない。





両方とも
できる人はできる。



論文の書き方は確かに違う。




しかし
できる人はできる。

できるとはなにかといえば




論理的な思考回路をもっているかどうかであり
想像力があるかどうかであり
労働(研究)ができるかどうかだと
今は思っている。



ふーっ。


彼女の研究を理解するのが難しいのは当然だが

研究の周辺に興味を持つのは研究の邪魔だ。



やっぱりなあ・・・


「ギャップ」にとびついたか、ニッポン。




若き研究者に
存分の研究の時間を。




偏見がなくなる日など来ない絶望感がある。




思えば1年前、
次女は理系から文系に志望校を変え、
悪戦苦闘の2浪生だった。


周囲からうれしい応援がたくさんあったが



「いいじゃないの、大学なんて」
「お嫁に行ったらおなじよ」
「いいところにお嫁にいったら勝ちよ」
「お医者さんになるより、お医者さんの奥さんになったら」
「女の子なんだから、どこでもいいのよ」


数えあげたらきりがない。
そんな不思議な激励もたくさんあった。


ワタシはどこかにお嫁にやるつもりで二人の子どもを育てはしなかった。


子ども達が、自立して生きていける方法を見つけることができるように
応援して学校に進学することを支えた。


人間が獲得した音楽という素敵なコトを楽しむ感性をやしなうのもいいかと考えて
ピアノを習うことを提案し、
踊ることが好きだというからクラシックバレエを提案した。

「お嬢様」のおケイコ事などという気も、余裕もどどこにもなかった。




女の子なのに
女の子だからと


思えば、去年までずっと
子育ての間ずっと
聞いてきた気がする。



時代は変らない。


かわらないなりに
ゆらゆら揺れている
その時代をたのしむしかない。




女でも男でも
いい仕事はいい仕事で

できる人はでき、
できない人はできない。


ふーっ。



大学の後期試験の季節。

がんばれ大学生。

必死に勉強すべき。

義務教育ではない。

遊ぶのが権利だと思うのなら
全額自分で学費と生活費をだしてからその権利を主張しなさい。


自分で学費と生活費を出してみなさい、
そうしたら
学ぶことがどれほど貴重なことか良く分かる。



40代で大学院に入り直した日々のことを思い出すと
どこにそのエネルギーと費用があったのか
不思議でならない。

大借金を気にしている余裕もなく
学びたいという意欲がなにより勝った。

長女9歳、次女2歳だった。



この季節は
あまり得意ではない。


でももうすぐ立春


やっぱり恵方巻き撲滅委員会を再結成するかなあ・・・・



このブログも
デスマス」調から
「ダ・デアル」調に変ったのは


連日、教科書の執筆者のみなさまの文章を読み続け、
同時に自分の担当個所のために山積みの資料を読み続けているからである!


この方が今は書き易い。


春です、春!


立春




師匠でもあった義母は、
立春すぎたら、なにもかも変るから!」が口癖の一つだった。


ここからが新しい年!

背中を伸ばして短い2月を歩こうと思う。