束の間

自分が何に向いているかなど

一生わからないのではないかと思います。

何がしたい
どんな職業につきたい
・・・
そういう希望は誰でももつでしょうけれど

それが本当に自分に向いているか
適しているかなど

そして好きかどうか

結局わからないのではないでしょうか。



私自身
自分がクレーン車やブルドーザーや除雪車など「働く車」が
とてもとても好きなこと、
飛行機や自動車や、線路、橋、そういうものが
好きだということ

物理が「多分」大好きだということ

50代をすぎてわかりました。


わかったところで何も人生は変わらず
わからなかったとしても問題などないのですが


絶対にあの道、とか
絶対にその生き方、とか


そういうものはない、ということだけは
今確信しています。


どの道であっても
なんとかなり、

理想通りの道を歩き始めたところで
転ぶ時にはころぶのであって


大嫌いだと思っていた人生で
すばらしい幸せに出会うかもしれないからです。



・・・・・

なんてことを
週末考えたのでした。


上の写真は
神戸空港から三宮までのポートライナー



そして下の写真はお台場からのゆりかもめ


線路がすきですね、私。

いくつかの仕事が重なり
出向いた先で
はからずも二人の娘たちにも会え、
久しぶりに束の間、「プライベート」な気分を味わえました。

思えば二人ともよく育ったものだと
感無量。

「訳あり物件」ならぬ「訳ありかあさん」で問題多し、という
母の下で、よくここまで育ったものです。


不細工シスターズの名にふさわしく、外見の麗しさには著しく欠けますが
たぐいまれな朗らかさと、たぐいまれな食べ物好きと料理好きで働き者、
とりあえず日本語は立派に使いこなせるだけで母は満足です。



昨今
働く母親に対する様々な支援や理解が
声高に叫ばれますが


断じて母親稼業と仕事が両立するはずなどありえません。


そもそも両立ってなんでしょうか。
どちらも合格点をとることでしょうか。

だとしたら、
仕事に専念している女性達にあまりに失礼。

家事子育てに専念している女性にもあまりに失礼。

欲しいもの二つとも手に入れることは
できないと思ったほうがいい。


ただ
合格点の最低点を引き下げ、
満点も80点も無理だけれど
60点を2枚とることならできる・・・


それが子育てしながらの働きかたかもしれないと
思っています。


60点の働きかたしかできないなら不採用、といわれるなら
しかたがない。
満点取れる人、周囲にご迷惑のかからない合格点がとれる人を採用すべきです。


60点でもいい、という空間ですくなくとも私は暮らしてきた気がします。


60点をたくさん・・・

100点3教科、ではなく60点を5教科。
100点6教科、ではなく60点を10教科。


ご迷惑をかけない仕事の仕方をしてきたつもりですが
さてどうだったかは不明。

でも
娘達がなんとか社会を歩いていることは確かなので
子育ては60点とれたかと思えば
感無量。



秋は足早なのに
週末の神戸と東京は連日31度から32度。
卒倒しそうな暑さでした。
千歳空港に降りたとたんに12度。

変温動物の私にはつらい温度変化です。


が、学問の秋。

あちこちにご協力、ご指導をいただいて
猛勉強開始。

1月末まで猛ダッシュです。


その一環で
民俗学者柳田國男の本を読んでいますが
時代的なこともあり、大変分かりずらい文章。
読み手の私の能力不足もあるでしょうけれど
なかなかストンと入ってこない文章ですが


おもしろい。


日本はやっぱり面白い。
たぶん、世界中が面白い。
いや、人間が面白い。


「働く車」が好きだとたった今書いたのに
物理が好きだとたった今書いたのに


今から何かを学ぶとしたら
民俗学だわ、と思う気の多さ。


日本中のいたるところで
人々は普段の単調な日と
祭りや祀りなど、ハレの日を繰り返して
生きてきたこと

思えば思うほど、その歴史が愛しくなります。


それなのに
単調な日(ケの日)とハレの日の境目がなくなり
ハレの日の重さが希薄になって

それといっしょに
晴れ着の着方も使い方もわからなくなり

言葉の使いかたも
乱れてきました。


人間関係の上下は
撤廃するのが「今風」だと
だれがいつ提案し、実行してきたのでしょう。


教師と生徒が友達言葉で話し、
授業が終われば、教師の前をぶつかりながら横切りる学生は多いです。
「センセー、お疲れ!」という挨拶に
「お疲れさま!」と答える私。



いつのまにか教師も上司も
人気商売になったのかと思うほど・・・



それは

「ケの日」と「ハレの日」の区別が希薄になったのと一緒に
いつのまにか浸透した人間関係でしょう。


郊外に広がるショッピングセンターに集う人たちが
着飾っていくはずはなく、
普段着のまま気軽に人々は移動し、
画一化した食事を謳歌する。

それが現代の楽しみになり、
特別性は少なくなりました。


ハレの日が増えたのか
ケの日が減ったのか
ケの日が豪華化したのか。


どうであれ

すっきりしない時代になりました。


いつのまにか
この私が
そんなことを憂うようになったことに苦笑しながら
週末はいろいろなこと、考えました。


社会人になって3年目の長女が
担当した患者さんから心のこもったお手紙をいただいたと喜んでいました。
直筆の、それは本当に感謝の気持ちの伝わるありがたいお手紙でした。

手紙はどんなに悪筆だったとしても
手書きに限るわね、と長女。


そのとおり!
パチパチパチっ!


自分の署名まで印字で、直筆のサインもしない日本人が増えていることに
長女も次女も不満気だったことを
母は本当に嬉しく思いました。


彼女たちは現代の機器を自在に使いこなすドライな世代ですが
アナログの大切さをちゃんとわかっていてくれていました。


まだまだ日本は捨てたものではないかもしれません。