重陽の節句 2

新しいコラムがスタートしました。
ホーム頁の1ページ目。


日本文化と縁起を
ちょっと丁寧に考えて
行事を追いながら
書いていきたいと思います。
どうぞおつきあいください。

また
日本は狭いようで広い。

どうぞみなさまの地域の伝統、慣習
お年寄りからお聞きになったお話など

お知らせいただけましたら幸いです。

地域差が大きいことがまたおもしろく

そこから
人々の移動も見えてきます。


若い頃
大学院で
こおろぎの地理的変異というので修士論文を書いたのですが

人間の文化の地理的変異は

人々の移動と暮らしの本当の歴史を見せてくれるような気がしています。




昨日、重陽節句、午前中のラジオと
午後のテレビ番組で
ともにローカル放送ですが

「今日は重陽節句なので・・」という
フレーズを耳にして
ちょっと嬉しいこおろぎセンセーでした。




さて
先週のイチオシモーニングにつぎ、
昨日の夕方のイチオシでも
オリンピックの誘致への悲観論と
決め方と決まったあとの不信感と不安感を
述べてしまいました。


株が上がり、景気が回復し、
夢と希望が満ちあふれ、
大勢の観光客がやってくるでしょう。
語学教育も力を入れ、
飲食業も活気づくでしょう。


けれど
一茶の句
「めでたさも中くらいなりおらが春」という句が
私は好きなのですが


実に全く

「中ぐらいなり」以下、
なんとも切ない思いのほうが先行しているのが今の心境です。


一部地域、一部業種が、どんどん浮かれて行く裏側で
本当に
「裏側」に追いやられる人々と地域を思うとき

いつだってこうやって
オモテとウラがあって

切り捨てられる人々がいたのだと
忘れられる地域があるのだと


やむを得ぬ格差の拡大が
つらくて
気持ちは晴れません。






そんな中
だれのプレゼンテーションがよかっただの悪かっただの
少々騒々しくなりました。

美しいプレゼンテーターが
「おもてなし」をフィンガーアクション巧みにアピールしていたことに関して
「おもてなし」を専門に研究してきた立場で
書かせていただくと

合掌は不要でした。


「もてなし」は「もてなす」の名詞。

実にむずかしい言葉です。

英語ならHOSPITALITY 
ホスピタリティーだと大学では教えます。

サービス、とは違う。

ホスピタリティーはあくまでも「心」であり
サービスはその具現化したものだと
「大学では」教えます。
そして「私」もそう考えています。


つまり
ホスピタリティー
目に見えない。

ゆえに説明が難しい。


そこを
手振り、指振りで
説明したことはよい手段だったと思います。


しかし合掌はいらなかった。


突然の宗教的色彩に違和感を持ったのは
私だけでしょうか。




私は
「いただきます!」のときの合掌にも
実は抵抗がありますが、
それは別として



日本のイメージを
東洋の仏教国全般と同一視されかねない。


そもそも
もてなす側が
もてなす相手に
合掌しない。




お越しいただいたことに深い感謝
召し上がっていただいたことに深い感謝・・・
だとしたらへりくだりすぎですからね。






ささやかなことにこだわるなあ・・・・


と言われそうですが

そこがこおろぎセンセーの「ちいささ」です。

そして美しいプレゼンテーターへの嫉妬でしょうか?!



日本には芸者、フジヤマ
果てはまだ侍と忍者がいるとおもわれやしないかと


老婆心は留まるところがありません。




美しい人はなにをしても注目されますね。


それが誘致成功に大きく影響したとしたら
結果としてよかったのでしょう。



私は
高円宮久子様のプレゼンテーションに
感動しました。

YouTube
何度も何度も聞いて
これを品格、品位というのだと
ため息。



マスコミが取り上げないのが不思議です。


フランス語と英語を見事に駆使して
丁寧な言葉
笑顔、落ち着いた立ち居振る舞い。

庶民がけしてまねできない気品を見ましたけれど!



ぜひ
YouTube
ごらんください。




さ、
おもてなし論も
ゆっくりまとめていくとして

重陽節句は終わりましたが
重陽節句月間として(?)
しばらくは言い続けようと思っています。