学問とはなにか・・・

15年も前に他界した義母なのに
こんなに頻繁に
不肖の嫁の日常に登場することなど

普通はあり得ないでしょう。

それほど
義母と私には
共通の興味と趣味と夢と希望があったということなのだと
思わずにはいられません。

とうとう最後まで
お母様と呼ぶことはなく

「先生」としか呼ばなかったのも
そうとしか呼べないほど
お手本として最高の女性でした。

ただ
時代が早すぎたのだろうと
思います。

あと少しがんばってくれていたら
私がアシスタントとして
どれほど彼女の思いと知識を
多くのひとたちに伝えられたか


今回の大引っ越しで
次々に出てくるに「恩師」の資料を見て
悔やまれてなりません。


この懐石についての
巻物は
以前もこの欄に載せたかと思います。


華(正しくは火ヘンがつきます)煌というのは
義母の雅号。「かこう」と読みます。
晩年は俳句の席で使っていましたが
それよりずっと前から
お茶席で使っていたと思われます。


はなやか

ということにこだわった人生そのものの名前です。
華(火ヘン付き)も煌も
きらきらときらめく、という文字。


それにしても、です
この文字、義母の字ですからね!

義父は書家ですから当然の文字、ですが
義母のこの文字・・・
感動です。



きらめきすぎた人生でした。

こんなすてきなスクールを展開していたこと



なんとかなんとか
若い方々の熱意をまた集結して
きっと
再建しますからね・・・・

恵美子先生、きっと
きっと・・・・




先生の強い遺伝子をうけついだ先生の孫娘のころすけも
おどろくほど料理が上手です。
ファッションにも関心が高く
5歳までの記憶をしっかり持っています。
彼女も
エミエミ(おばあちゃまではなく、エミエミと呼んでいました)の
遺志をしっかりついで、次の世代を切り開いてくれると思います。

きっと
先生の夢は
再びはなひらかせてみせますからねと


この夏
こおろぎは
段ボールの山の中で
思ったのでした。



昨日やっと
大学の定期試験の採点と評価を終えました。

その間、引っ越しやらなにやら
想像を越える日常で
どっさりの答案用紙とレポートなど
延べにすれば1500枚以上と
提出されたノートを抱えて
「なにより大切なモノ」として緊張してすごしたほぼ1ヶ月。



評価
というのは
実につらい作業です。


ああ
こんなに一生懸命書いたのに
ああ
どうしてちゃんと復習しなかったんだろう
ああ
本当はできるはずなのに


けれど
評価は
そんなかくれた「背景」まで見ることはできません。

学ぶということは
学びたい人にしかできません。


うっかり生きていては
学べないのだと


そんなふうにこのごろ思うのです。


ころすけの大学の
この写真を見る度に

大学には
学びたい人が行くべきなのだと

当然のことなのに
改めて思うのです。


大学には行くのが当然だと思っている人がまだいます。
これは違う。
大学を卒業すればなんとかなると思っている人もいる。
なんともなりません。


この春、次女が、
大学で受験勉強ではない、本当のお勉強がしたいと
肩を震わせて泣いた夕暮れのことを
私は深く深く心に刻みました。

A判定なのに不合格が続いた彼女にとって
大学の門は
どこも固く、彼女のために開く扉を探すのは
本当に大変でした。

けれど
探したらあったのです。



探すべきなのです。



ころすけの神戸通信、更新されましたが
彼女の大学生活がいかに充実したものか
どれほど勉強が楽しいか
見ているだけでこちらが
ほっこりしてきます。

長い長い冬のあと
手にした「学び舎」だからでしょう。



前回
学問のすすめのことを書きました。
調べものをしていて
17編に興味深いフレーズがあることがわかり
興味を持って読んでいたのですが、


あらら
こおろぎセンセー、すごいわすごいわっ。
同じ17編のこと
お書きになっていた方がありました。

ころすけが関空から乗ってきたピーチの機内誌に
ピーチの社長、井上慎一さんが「人気ものでいこう」というコラムを
お書きになっています。
17編は
「人気者でいこう」という内容だというのです。

「表情や見た目が快活で愉快なのは、人にとって徳の一つであって
人付き合いの上で最も大切なこと」

「人の表情は家の玄関のようなもの・・・まずは玄関を開いて入り口を掃除し
人が寄り付きやすくすることが物事を発展させる上で大事」


「格好をつけてわざと苦虫をかみつぶしたような渋い顔をしたり
一年中喪に服しているような冴えない顔でいることは・・・
玄関に骸骨をぶら下げ、門に棺桶を置くようなものだ。
誰がよってくるもんか」

(ピーチ機内誌:Peaching 創刊準備2号 p1より)



すごい解釈!
でもこおろぎも
17編をよんで
なんともワクワクしたのは
この井上さんの文章のような内容だったからです。


そもそも

「天は人の上に人を造らず・人の下に人を造らず」というのは
福沢諭吉が言ったことばではありません。

「天は・・・・と云へり」と
神様がおっしゃったと書いてあるだけで、
これは
アメリカの独立宣言からの引用のはず。


残念ながら
人の上に人はいて
人の下にも人はいるのが現実。

だからこそ

ちょっと意識して
学んでみようと思ってくらそうよ

学ぶってなにか、まずはそれを考えようよ

そしてニコニコと明るく
「人気者」として生きていこうよ


そんなこと
あらためて思っています。


たとへば
こんなお皿、立派な柄ですが
見事な雑器のたぐいです。

骨董屋さんに並ぶことはなく
リサイクル屋さんで見つかります。

縁の金色部分ははげて
重い。

えええええっ、古っ!
ださいっ!

と言われて当然かと。

しかしながら
こんな器が造られ、使われた時代を想像すると
ワクワクせずにいられないのです。


ちょっと調べてみようかなあ
ちょっと探してみようかなあ


これがたぶん、
学問の入り口かと。


「こおろぎセンセー、教科書の企画書のこと、覚えてますか!」という
出版社さんからのメールが来ました。
はいっ、覚えてます!
(彼はきっとこのブログを読んでくださっています・・・)

あれこれ振り出しにもどって
心引き締めているところです!
(と、この場で、遅れている言い訳とお詫びを・・・)



鶴と亀を
こんな風な意匠に仕上げた日本の
よき時代の食卓はどんなだったのでしょうか。


カレイの煮付けも
お芋の煮っころがしも
カボチャも
高野豆腐も
ハンバーグも
サラダも似合います。


捨てられたこんな器たちを
せっせと拾っちゃうので
こおろぎの食器は増えるばかりです。

ちなみに
このお皿、大中小
少しずつデザイン違いますが
以前あちこちのリサイクル屋さんで
一枚200円くらいで見つけて集めました。


これを無駄と見るか
よい資料と見るか・・・・

ううううううっ。