考える朝

昨日の夕方は
なんだか気持ちが沈んで
時間もないのに、うっかり狭い庭の草をむしりました。

虫にさされながら
それでも
なんだか涙が出そうになって

せっせと草をむしったのでした。

いよいよ家事の時間がなくなり
家族の事情もあって
時々でいいから家政婦さんに来てもらおうと
一大決心。


ご紹介いただいた斡旋所に電話。


時間をかけた挙げ句
とてもよい方がみつかりました、ということでしたが


なんとたくさんの条件付き。


要するに
隔週のある曜日の朝、2時間なら行けます、というもので、
さらに
その日はいけない、その日も無理、という
それってプロでしょうか・・・という
条件。



それでも
お願いしようと思ったこおろぎセンセーでしたが


「ほかにお仕事もされているので」
と、
さらに
「お子さんが小さいので、しばらくはお子さん中心で
働きたいそうです」という
電話口の事務所の女性の、不要なひとことで
こおろぎの神経が切れました。

「お忙しい方なんです」


だと!


お忙しいのはこちらなんですけど!



私の条件とあう人材がなかったというひとことでよかったはずなのに
奇妙な条件付きの人を提示し、
そのうえ、その人の事情、しかも
子どもが大事なので、という
そして他にお仕事もしているので・・・?
つまり
家政婦業はその片手まだから
隔週の何曜日の午前中だけ?
なに?
月に2回、暇なとき来るだと?



女性の働き方にはいろいろあると
つくづく思いました。


大学の授業でも
女性の社会進出にからんだ
いろいろな内容に触れていますが


社会で働く事情はさまざまですが
仕事をする場面で
子どもを理由に時間調整するのは
断固やめてもらいたい。



子どもが小さいとき働きたくないのは
それはそれで結構な思想でしょう。
尊重しましょう。
けれど、それが正義だと思ってはいけない。

子どもが小さかろうが、病気だろうが
働かなければならない人はたくさんいる。
男性だって同じです。


ああ


パートタイムでの仕事は
多くの女性を救っていることは確かですが

こんな風に
クライアントに
聞かせる必要のない各自の事情が流れると


だから女性はだめなんだ、という風潮が強くなる。


でもまあ

これは
その家政婦さんが悪いのではなく
斡旋所の事務担当者が
しゃべりすぎたのが問題なのだと



虫にさされながら
やっと冷静になって
家に入ったのでした。




さて
いろんなことを重ねて進行中のこおろぎですが
この年齢になるまで
実にいろんなことをしてきたと
振り返ることも多いです。


そして
無駄だったことが
実にすくなかったことにも気付いています。


この2年間、浪人生活をしていた次女と
ずいぶん長い時間をいっしょにすごしましたが

そして明けない夜もあるのではないかという
悲しい時間も共有しましたが


合格を疑わなかった大学の発表の時、
パソコンに「不合格」という文字を見た
瞬間の
彼女の小さく、深い悲鳴は
生涯、私の耳の奥からはなれず

「どうやれば、大学生になれるの」という
声にならない声で
私にしがみついたあの震えは
私の腕の奥からも消えないだろうと思います。


けれど

彼女は元気に暮らしています。

センター試験の下見に行った北大では
私の方が、大昔在籍していた頃の大事件をいくつも思い出して
涙があふれてしまったりしましたが、



苦しかったのは浪人生の次女でした。
明けない夜もなく
その日々も
すべて力になっただろうと思うのです。


当ホームページのころすけの神戸通信が
更新され、
彼女がお友達の誕生パーティーを開いた話が載っていました。

すてきな企画者に育ったこと

それで充分です。

二浪もしたのに、「そこ」ですか?
と言った、ドアホもいましたが


生きるということは
ころびもすれば、倒れもするのであって

再びどう歩くか、
そしてどんな大人になるか
です。


上の写真とこの写真の

大学を見に行ったとき、
私には
ここだろうな・・・という強い予感がありました。

そのとおり、彼女は今、元気に学んでいます。


ゴールなどだれにもどこにもない。


ずーっとずーっとずーっと
転んだり倒れたりする日々なのだと


虫にさされながら
昨日の夕方、つくづく思ったのでした。


それにしても
家政婦斡旋業のおばさん!

アンタの会話は変でしたから!

私は
家政婦さんなどには頼らず、
みずからが
家政婦さんと化して、
がんばりますから!