教室で伝えること


テーブルデザインコース、今期第3回がありました。

その前夜、いつものように
深夜、食器部屋を大騒ぎで探索。


料理研究家だった義母が夏の懐石膳で使っていた
器を、ぜひともこの夏は使いたくて

せっせと真夜中の食器洗い。


美しい

本当に美しいです。


このクリスタルの小吸物碗には
今回は冷製トマトスープ。


卓上コンロで
あっというまに
何品かみんなで作りました。


事前の準備はほとんどなく、

さて
いったいどれくらいの準備で
どれくらい簡単に
どれくらい美味しく
どれくらい美しく作れるか



こおろぎの仕事はそのあたりにあります。


私は料理の先生ではありません。


くれぐれも誤解いただかないようにと思います。

人間がなぜ食べるのか、ということを
おそろしく真摯に考える学者の端っこに位置しています。


衣食住に共通する、いくつものルールがあることを
食の場面でも探している、おそろしくどうでもいいことを
大真面目に考える仕事をしていると思っています。


人間の暮らしは
相当おもしろいですよね、ということを
いっしょに考え、楽しむ方法を学んでくださろうという方に
お越しいただいて、文化塾を開いているのであって

けして料理を教えているのでも
ましてや
テーブルコーディネートを教えているつもりもないのです。



ただルールを探す手段として
実習が必要なわけで


その結果
短時間で作れる季節のごはんの調理が必須なのです。


卓上コンロ1個
フライパン1個
古い鍋一個
ボールとざるは1個ずつ


それしか使わないし
1時間で5品は作りましょう。


それが授業の材料になります。


たかが
漬け物でも

どう切り、どう盛りつけるか
そこを適当にするのは当塾の方針にあいません。

お料理教室ではないからです。


満点は無理でも
60点はとらなければなりません。

料理も盛りつけも、60点でいい。
とにかく、ルールを考える材料を作る作業なのですから。


60点など簡単だと思ってはいけません。


58点が多いのが現実。
60点取るのは、どんな場面でも相当難しいといつも思っています。

合格点、というのは
とってあたりまえのようですが
世の中、ま、いいか、という合格点があふれているわけで
本気で採点したら
ほとんどは60点以下なのが現実ではないかと
思うのです。

せっかく盛りつけたのに


え?

センセー、盛り直しですか?

ザワワ  ザワワっザワワッ・・・・


そうなのです


何度も言いますが
こおろぎセンセーはお料理のセンセーではなく
生活文化学、生活美学のセンセーなので


月に一度のお勉強会には
ぜひともいろいろな可能性をしっかり模索し
「てごたえ」を感じていただきたいのです。


大皿盛りは
ある意味で楽。

それを個々に盛りつけ直し、
そこに人が実際に集って、食事をする場面を
演出できてこそ、
勉強会の意味があろうと言うものです。



ついでに
おどろくほど簡単なこおろぎさんちの献立を
「お持ち帰り」なさるのは、あくまでも「おまけ」。


時間と戦いながら
人間は、火と水と道具を使って
食を加工し、栄養の摂取をしてきた、
そのことを、今どう具現化するか、なのです。



ああ、難しい!
ああああっ、めんどーだこと!



何度も書いておきます。
こおろぎはお料理のセンセーではありません。
あくまでも


器の文化史を紐解きながら
女性の社会進出とともに簡素化しながら提案されてきた
「もてなし」と「コミュニケーションのツールとしての食」に
関心があり、
奥が深い、人間と食、そして衣食住全般の
美学を探り、みなさんと共に学ぼうと思っているのです。




うううううつ
め、ん、どーですわね、本当に。




でも
入塾してくださった
塾生のみなさんには
ぜひとも
そこに焦点をあてて
学んでいただきたいと思います。



秋までに
食の教科書を仕上げることになりました。

今出版されている食関連の教科書には
食卓が教育の場であったとか
団らんがいつのまにかなくなったとか
いとも簡単に書いてありますが


食卓が実際に教育の場であった時代はどのくらいあったのでしょうか。
いったいどんな教育がちゃぶだいでなされたのでしょうか。


肘をついて食べてはいけない、
足をのばして食べてはいけない
テレビをみながら食べてはいけない・・・
などのベカラズ集を
根拠なく言い続けた親たちは
結局どんな子育てを完結したのでしょうか。





大の大人が
ペットボトルをラッパ飲みし、
大の大人が食卓でもメールをし
大の大人が食卓で新聞をひろげる現代です。




これほどまでに
家族の形が多様化したのに
まだ、家族はそろって食事をするのが「本来の形」だと
どうして言うことができましょうか。
私にはできません。



6時や7時に、家族がそろう家が
今の日本にどのくらいあるのか。


幻想や神話があふれるのも食卓です。


若い当塾の神戸支局長、ころすけさんの
神戸通信に
おどろくほど ナウでヤングな(ふるっ!!!!)フツーの食卓の写真が
アップされていましたが
本来は、あのようなレベルで充分なのです。




単身生活者がこれほど多いのに
まだ「団らん」幻想を
頻繁に登場させる食がらみの本が多すぎるのが残念です。




三丁目の夕日は確かに美しかったかもしれない。


けれど
それをなつかしんでいても
なにも生まれない。


今できる、今の暮らしをさがそうじゃないの!

という
そんな元気な食の本を作ろうと思っています。



連日、昆布としいたけとダイズを食べているので
なんだか大変元気です。


足腰はボロボロになりつつありますが
フコイダン、グルタミン酸グアニル酸イノシン酸、・・・・・なんだかんだと
イイモノどっさり、食品として摂取。


美しい食は
結局体にも「いい仕事」してくれえるということなのかもしれません。