しいたけと昆布と大反省の日々

明けても暮れても
若い研究仲間と「しーたけ・・・っ・・・こんぶーっ」と
呪文のように繰り返しながら
レシピを考えています。


なにも悩む必要はないのです。

なのに悩むのは

ビジュアルの問題です。


なにをどう料理したところで
地味。


馬子にも衣装・・・ってこと
あるのでしょうか。


ジノリにのせたり
柿右衛門にのせたり
極上の青磁に盛っても
子どもの食器にのせても

マイセンを添えても
どんな銀器を添えても

どうやっても地味.


さてあと1ヶ月、
来週はプロのカメラマンの手に
何点かはゆだねなければならないのに


地味っ。

困った。



とはいえ、

そこをどう見せるかが
こおろぎセンセーと
そして
本職はデザイナーのエリーさんの腕の見せどころ。



どうぞご期待ください!

・・・・と自らにプレッシャー。


さて、いくつかの大失態を反省のために書いておきます。

大学にパソコンを置き忘れたり
函館の自宅に化粧ポーチを置き忘れたり
生まれて初めて寝坊して、会議に10分遅刻するという大事件もおこして


「こおろぎセンセーの人間的な面が見られて
安心しました」などと言われて


小さい小さいカラダをもっと小さくして
大反省を繰り返した数日でした。

気付かないところで
疲労は爆発的に蓄積していたのだと思います。


しかし
そんなこと、「私疲れてたかも」など
誰かに迷惑をかけたとき、なんの言い訳になるでしょうか。


やめたやめたっ
無理はやめたっ


反省に反省を重ねて懺悔を繰り返しています。


そんな気分で何気なく観たテレビ

TVシンポジウム「伊勢参りと日本人の巡礼観」。

井上章一,高媛,ジョン・ブリーンという
最先端の先生がパネリストで、司会は神崎宣武先生。
数分の休憩のつもりで観たはずが、正座してしまったのでした。

池内紀先生の基調講演がまた、心に響きました。
日本の巡礼と世界の巡礼の違い。


日本人は「何度も同じところに参る」こと
ぐるっとまわることに意味を見いだすこと
数字に異様にこだわること・・・
巡礼個所に88など数字をあてはめる不思議
1という数字が一番よいと考えることなど
そして数字は人間を束縛するというお話まで


そして海外の巡礼は、苦難を越えて到達すること
やっとたどり着くことに意味があること


ふーっ。
日本の知の集結に触れる思いでした。

頭の中がしいたけと昆布でびっしりでしたから
ああ
私は「祭り・祀りと餅」を一生懸命考えていたはずだったと
突然思い出して
頭の中のしいたけと昆布を恨んだのでした・・・


反省ばかりの数日をすごして

伊勢参りについての興味深い見解と
巡礼について考える時間をもって

やっとすこし、冷静な自分をとりもどした深夜
(本当は寝ていなければならないのに・・・)
また教育テレビで
よい番組にであってしまいました。

「福島をみてるTV」。

後半だけですが
各地をまわるキャラバンと
同行する箭内道彦さんの番組。

神戸でのコンサートで歌われた
「しあわせ運ぶため」という阪神大震災後作られた歌。

直接的な、実に直接的な歌詞とやさしいメロディーに
こおろぎセンセー、ソファーの上でまさかの号泣。


するとテレビの中の箭内道彦さんも号泣していました。

彼曰く「なんだろうこの歌!」

その通りです。


そして
箭内氏のことばはよかった。
「神戸が復興することを願わない人はいないけれど
福島の復興ってなんなのか、どうしたらいいのかわからない」


広島でのコンサートの時は
「広島は、こんなことがあった・・ということだけでなく
積極的に世界に、平和を訴えることができる。けれど
福島は、どういう形で、なにを訴えたらいいのか」

というようなことでした。

平和のために原子力が必要なのか不要なのか


広島と福島、その不幸に共通点がありながら
根本が全く違う。


福島がかかえる問題が
短いテレビで、少なくとも私の中で明確になりはじめました。

よい番組でした。

そして
箭内道彦という人が
以前にも増して豊かなすてきな大人になられたように
感じました。



すっかり目が冴えてしまったので
ブログに記録しておこうと思ったら
今度はテレビ、そのまま
日比野克彦さん、「人はなぜ絵を描くか・」の探求で
アフリカの旅。
壁画の追求。

また寝られない。

昔の人は、人物や動物の絵は描いたのですが
花の絵は描かなかったのです。
それはとても興味深いことで
研究テーマの一つでもありました。


さ、すでに6月。

古いレシピを調べていたら
古い古い広島時代の生徒募集のポスターが出てきました。


この教室に通ってくださっていたのが
当時広島大の大学院生だった、当ホームページの管理人みのりちゃん。

そしてこの教室の生徒さんたちは
私が1998年に札幌に転居したあともずっと
応援してくださっています。


今月、広島に行きます。
広島教室の熱心な生徒さんだったNさんは
今は小学校の校長先生。
講演にお招きくださいました。
そして
お教室の再開も企画してくださいました。


人生の仕切り直しの舞台になった広島は
やはり私の大切な原点です。


1991年、私は札幌から広島に引っ越し、新しい自分を探しはじめました。
1995年、震災直後の神戸と西宮に、再び大学院生として通い始めました。



そんなことを思い出し、
慌ただしく暮らして失敗を重ねたことをしっかり反省。
生活を正し、
目の前の日々をどう暮らすか真摯に考えなおそうと思っています。




大変、大変まじめな今夜のこおろぎセンセーです。





でもやっぱり
頭の中はしいたけと昆布。
こまったものです。


先日は、大きなしいたけと、もっと大きなエリンギに追われる夢をみました。
「アンタたち、菌類なのに!」

意味のない言葉吐きながら、なぜか都心を走るという究極の夢でうなされたのでした。