無名の美学

前回はずいぶんと暗い心境を書いてしまいましたが
反省などしておらず。


生物の多様性など、声高々に語る前に

人間の多様性、生き方の多様性を
しっかり自覚できる教育なり
社会ができないものでしょうか。


格差、ではなく
多様性。

働く女性の働き方にもいろいろあり、
専業主婦にもその生き方があり、
働く男性にも
働かない男性にも
働けない子どもにも
働きたくないという人たちにも

それぞれに事情も理由もあるのですから。


私が言いたいところはそこなのだと
思います。


そして
だれもが
やりたい放題などできていないこと
だれだってあちこちに折り合いをつけ
調整し
我慢し
バランスとって
なんとか生きているのだということ。


それは小さい子どもも高齢者も若い人も
華やかに見える働き盛りの人も同じです。




そんなことを考えならが
あっというまに6月の声。


今年も残すところあと半年。


大慌てでフル回転のセンセーとなりました。


函館の家から食器を大移動させる計画は着々と進んでいますが
食器棚の大きいもの3つ、中くらい(といってもかなり大きい!)が2つ、
中の中サイズが5つ・・キッチン内にびっしりの食器を
どうやってこのアトリエに入れるか。


いっそ料亭をやるか民宿やるか宴会場にするか。

どれひとつ捨てず、全部使おうという決意。


上の写真
下の写真

緑と黄色のセットは
私が大切に大切にしているものです。

どこの食器ですか?
とよく聞かれますが


たぶん、東南アジアのどこかで作られたものでしょう。

黄色のセットは30年ほど前、どこかのバーゲンで
緑のセットは20年ほど前、広島のバーゲンで

一個100円程度だったと思います。

そして
このお皿と


このお皿は

40年前、大学時代、弘前で使っていたものです。
気に入って、アルバイトをして2枚ずつ買ったもの。
お風呂もトイレもない古いアパートで
私はせっせと料理を作り、友達を招いていました。

大学がいやで、人生もいやで
本当に暗い日々だったはずなのに

ひどく貧乏だったのに
私は
スキな食器を買って、友達を集めていました。

大学院時代は、とうとう鬼の教授までその集いに登場。
8畳の狭い部屋で、大コンパの開催。

あのまま、料理屋の女将になればよかったのかも。


とにかく、
「もう使わない」というのは

私の価値判断の基準にはなりません。
洋皿だけ、確認して整理し始めましたが
これはほんの一部。
ふーつ。
一部にマイセンだのジノリだのコペンハーゲンだの
古い日本のものも混じっていますが
好きで買ったものは全部無名の品。
「無名」には「無名の美学」があると
しばし眺めた夜でした。


たしかに名品には名品の存在感と品質の高さがあります。
でも、日用品にはそれ以外の「条件」があります。
しみじみ考えてしまいます。

これは、義母が料理教室や撮影時使っていたモノですが
美しいですが、
日々気軽には使えない。
そこが問題。


とはいえ
こおろぎセンセー、最近タンスの奥からひっぱりだして使っているのが
このモラビトの古いバッグ。

つくづく名品だと思う。
どんなに中に詰めてもぴたっとしまる感じが感動的。


つまり
モノもヒトも多様性。


価値観を広げることでしょう。



偏狭な常識に別れを告げ、
広く周囲を見て歩いていきたいものです。



瓶類を捨てる今朝


この数日に空いたワインの瓶を見て苦笑。
こおろぎセンセー元気です。
「数日」とは何日を意味するのでしょうか・・・

このワインの中で、一番おいしい!と思ったワインは
890円のモノでした。


ヒトもモノもワインも
その時々の、「風」で
選んでいきたいものです。

さて

りきまるさんは、少々さみしそう。
次女ころすけの部屋で
しばし外を眺めている後ろ姿に哀愁。


そうです、さみしい日は誰にだってあるのです。

がんばれ、りきまる!

それにしても、アンタ、胴、長過ぎませんか?