嬉しかったり・悲しかったり

うごきだした!うごきだした!

レシピ集が動き出しました!

昆布と椎茸のプロジェクトが
地ならし
ウオーミングアップ
試行錯誤に時間をかけましたが

だからこそ

突然元気に動き出しました。


こおろぎ組と荒井商店、ホームページを支えてくれている一人、
エリーさんの編集で
短期決戦のスタートです。


久しぶりに晴れた日曜日の午後は
これまた久しぶりにこおろぎセンセーの心も晴れて

パソコンやら資料やらに囲まれて
会議は一気に進展。

達成感あり。


部屋中が散らかり、
何の準備もない夕方でしたが


チャーミングなゲストを迎えました。

配偶者の研究室で学ぶチェコとペルーからの留学生さんを交えて
にぎやかな夕食となりました。


クイーンズイングリッシュに慣れているエリーさんには
英語を母国語としない私たちの英語は
いかばかり奇妙に聞こえたことか・・・


現実のコミュニケーションは
こんな程度でもなんとかなるわけで


エリーさんの耳もダンダン慣れていったようで


にぎやかな時間となりました。



未来を夢見てがんばる若い人たちはすてきです。

自分の世界を自分で狭めて
範囲の明確ではない「世間」や根拠のない「常識」に
みずから縛られる大人達のことは気にせず

自由を実感できる限り、羽ばたいてほしいと思います。



さて

そんな日の翌日

悲しいことがありました。

少々家を空ける日があるので
母にデイサービスのショートステイ
行ってもらえないかと提案したところ

快くない返事。
すばらしい施設で毎回楽しく通っているのですが
お泊まり、となると気が重いようです。

一人で留守番もできるし
自宅が一番いいという。



その通り。

そうだそうだ、
90歳になるのだから
ママのいいようにしたらいい。

行きたくないところに行かなくていい!


と言いながら


突然
涙がでそうになりました。



高齢の自分がいるから心配なんだろうと
言うつもりのないことをおもわず言う母。



ああ年はとりたくないわと
言い、



いいですよ、何日でも行きますよと
言うつもりのない言い方で言う母。




母の気持ちはよくわかっても
現実は現実。



なんだろう、この罪悪感。


思い出したのは
長女KIKIを預けた保育園時代。


保育園とベビーシッターさん、ご近所の方々に
お世話になってなんとか暮らしていた頃、


常に罪悪感。


「せめて子どもの小さいときくらい
そばにいるのが母親」



という「大常識」

誰が言ったのでしょうか。

それは本当でしょうか。

3歳まで、ずーっとそばにいたほうが
保育園育ちより
どれほどなにがどういいのでしょうか。


母親が出産後3年間ずっと子どもについていた時代など
世界中にあったのでしょうか。


高貴な方達には子育て専門の人がついていたわけで
ついこのあいだまで
第一次産業が世界を支えていたのですが
その大家族時代は、家族全員で子どもをみていたはず。


サラリーマン世代に誕生した
専業主婦という存在と同時に
見方を変えれば
専業主婦の仕事としての子育ての
機能と意味の説明として


子どもは3歳まで、できるだけそばにいたほうがいいという
定説になったようです。


確かに
3歳までに学んだことが長く、その後の人生に影響することは
確かであり、実感しますが

しかし、それは触れ合う時間の長さに比例するわけではない。




あのころのことを思い出すと
不思議なことに
すぐに涙がでる。


子どもを預けてまで働く意味ってある?


そんな周囲の目が痛かった。




「あのときと同じ。」


高齢の親を預けてまで出張に行く必要があるのか


もし嫁なら
姑を預けてまで仕事をする妻は
多分、批判の対象のはず。



イクメン」ということばが
嫌いです。

子育てに参加する夫や父親は
大評価される。


子どもの入学式、運動会で仕事を休む男たちは
評価される。


女たちはそうはいかない。

だから女は困る、と言われ続けて
何もかわらない。


育児休暇を 3年にすると国はいいだし、
「3年も子どもとべったりいっしょにいられるんですよ、
いいでしょう!」と高い目線のご提案。

3年も仕事の現場から離れていたい職業人がいるはずはないのに。


仕事のできる男性に
同じ提案をするでしょうか。


20数年前、KIKIをあちこちに預けて働いていたころから
なにも変らない。



「ママ、がまんしてショートステイに行ってちょうだい」
と言うつらさは同じ。


けれど
私の多忙で、あちこちに預けられたKIKIは
多いに楽しく、たくさんのことを学びました。
幼い日の彼女の口癖は

「おかあちゃま、きょうはどこにあずけられますか?』

「きーちゃんは、きょうもあずかられたいです」

というものでした。



そして母も、極上の、たぶん日本一すばらしい施設のデイサービスで
毎回楽しかったと帰宅するのです。





それでも
「預けて働く』罪悪感。



パソコンに向かいながら母と話していて

けれど
突然、腹がたったのです。



「家がいいって?」

「そうよ、自分の家が一番いい」


「家でスキなことしていたいって?」

「そうよ、わがままだと思うけどね」


「わがままよ!」と私。


「だれだって、家でゴロゴロ、したいことをしていたい。
旅に出れば、居心地の悪いホテルも多いし
どんな仕事だって、苦労はあるわけで

だれだって
家でしたいことだけしていたい。
ママだけじゃない!」


りきまるさんが
おびえて座布団の上で「正座」していました。



「いやな思いをするのがいやだから学校に行きたくない
だれかにいじめられるかもしれないからどこにも行きたくない
いやな上司がいるから
いやな後輩がいるから
ああだから、こうだから、
あんな仕事、あんな勉強、むだだからやりたくない・・

それ、わがままだから!
ちょっとしんどいことをしながら暮らすのが人間だから!」




高齢の母親に言うことばではなかったかもしれませんが
高齢のママがほんの何日か
ショートステイすることは
家族のためにも
ママのためにも
意味があるのだと

大演説をしてしまいました。


だれだって、だれだって
いろんなところに折り合いをつけて暮らしている。
預けられる子どもや高齢者だけが
「かわいそう」なのではなく
働く大人たちはみな、
どこかがかわいそうなのだと。




高齢だからといって、はれもののように
守られるのは「ずるい」。


赤ん坊だからといって
母親の仕事を奪っていいはずはない。

1歳でも2歳でも
家族の事情に協力できるならしたほうがいい。



ふーっと
そんな答えが出たのでした。


ひさしぶりの一人娘の大演説に
りきまるさんとならんで仰天しながら


「わかった。
行ったら行ったで楽しいんだわ。
お友達もいるしね。

わがまま言いました。」とママ。



この娘、強い。

そして涙もろい。


そしてなにより悔しい。

時代はなにも変らない。


仕事も家庭も両立など絶対にできない。
いつだって山ほどのジレンマと闘っている。

子育てが一段落したらまた働こう
子育てが終わったら社会にもどろう

そういう人がいますが


大泣きして預けられるこどもを
預ける母親のほうがずっと大泣きしている。

そうやって、一日も休まずに仕事をしながら
生きて来た女性たちには
「そういう考え方」はつらい。


そうやって、今度は高齢になった親を預ける時もまた
同じ様につらい。


私はおそろしく強いので
こうしてすぐに母を説得できましたが

ねじ伏せて、納得させましたが


ああ
どうぞ
どうぞ

子どもを預けて働く女性たち
親を預けて働く女性たち

どうぞどうぞ

なんの罪悪感も持たないでください。


時代は残念ながらいつまでたっても変りません。
男性にだけ有利に働きます。
期待はやめましょう。


子どもたちも
高齢の親達も

ぐずぐず言う割には
ちゃんと楽しみを見つけて
ちゃんと凛々しくすごしているのですから


どうぞどうぞ
罪悪感を持たずにいい仕事をしてください。






最近のテレビドラマで
NHKの「第二楽章」がすばらしくよかった。

ヴァイオリニストとして働く女性と
ヴァイオリンをやめて主婦になった女性の対比は
主演の二人が抜群の演技だったこともありますが
毎回、そのせりふが重くて、こころに響いたドラマでした。


さてさて

本日のこおろぎセンセーの食卓。
この2日間で使った食器。
どんな生活、どんな仕事してるのでしょう・・・
あれもこれも大反省して
片付けたのでした。



何からも逃げられません。
ほんとうに、
何からも逃げられない。


逃げられないなら
なにもかも受けてたつ。
受けてたつなら、楽しく受けよう
たのしくやっつけてみようじゃないかと


そう改めて覚悟した夜でした。