療養3日目

土曜日夜から闘病開始。
闘病とは大げさですが
実に久しぶりの風邪+喘息。

受験生のいる間、私自身にもウイルスなど寄り付かず、
驚くほど元気でしたが

さすがに免疫力がおちたか、
ウイルスやら細菌類にやられて
ダウン。

幸い
仕事のない週末+月曜日で
しっかり自宅療養。


体育会系男子大学生の寮の一室のような
こおろぎセンセーの寝床で
こおろぎセンセーはころがったまま
ぼーっとテレビを見る時間を持ちました。

声を発すれば喉が痛く、肺も苦しいので
龍角散キャンディーの100円のではなく120円の
ミルク+ハーブ入りの上等な方をなめながら

ぼーっとテレビを見るという贅沢。
けれど
「ぼーっと」ということに不慣れなので
つい、本を片付けながら、とか
書類を片付けながらと動くと
埃も舞うわけで
すぐに咳き込む。
しかたがないので
一生懸命ぼーっとしてみました。


新報道2001では
憲法を議論しているのに
こおろぎセンセーの関心は
野村修也先生のスーツとシャツとネクタイの組み合わせに特化。
こおろぎのボロいテレビでは色が不鮮明でしたが
茶系+グレイ系の、ストライプ有りのスーツに
白ではない、スーツと同系の薄い色のワイシャツ。
ネクタイは茶。
いやあ、いいですね。

野村先生のご発言には賛成も反対もする気力がないのが残念でしたが
憲法論議をするメンバーに
こんなファッションの御仁がいるというだけで
ちょっと「いい」と思うのは不謹慎でしょうか。


石破さんをはじめ、全員のまっしろいワイシャツが
とてもまぶしく見えました。

この「真っ白」こそが、
「正式」であり、「正統」であり、
「丁寧」であり、「まじめ」であったはずですが


ふと
このごろ、どうなんだろう・・・と思い始めたこおろぎです。


着るモノのトレーニング不足は
そのまま文化全体の需要に対するトレーニング不足ではないかと。

何を着るか、ということを
日本人は本当に二の次にしてきたと思うのです。


「外見」より「内面」を重視するという
不思議なことに長く縛られてきて
いや
今もです。
「外見」にこだわる人間をどこかで否定しがち。

こおろぎセンセーは
そんなことを、生活美学研究所で学んだのでした。

それをどう表現していったらよいものでしょう。


熱に浮かされながら
中央大学の野村修也先生のスーツをみながら
ぼーっと考えたのでした。

そして安倍首相はロシアへ。
まどろっこしい翻訳文にイライラしながら
微熱の下がらぬこおろぎセンセーは
北方領土やエネルギー問題を考えようとしても
ままならず

視線はこちらも
プーチンさんの時計と指輪へ。


右手です。


右手に時計。
結婚指輪も右手。
なかなかいい指輪です。


そこでまた考えるわけです。


結婚指輪は左の薬指、というのは
世界共通ではありません。


左の中指、というところもあれば
右手というところもあるわけです。


諸説あるのが文化。

どこの何を取り入れて、咀嚼するかが
「時代」の力です。


プーチンさんの
小さい皮肉がちりばめられた言葉が
すべて善意であると信じたいものだわ・・・と
すてきな右手の指輪をみて思った次第です。


そしてNHKでは
新日本風土記が圧巻でした。

日本各地の神様。

大感動で
各種薬で朦朧としていたこおろぎセンセーは
体育会系男子学生のキタナイ寮の部屋のようなひどい寝床で
アクリル毛布を丸めてその上に正座して観たのでした。


父の葬儀を自宅でした私は
このたびは伯母の葬儀もまた
伯母の自宅で。
祖母は仏教徒でしたが
そしてあちこちのお寺とご縁はあるのですが
思うところ多々あって、
無宗教宣言。


しかし
「神様」への関心はつのるばかりなのです。


宗教、とは違います。

土地土地に残る信仰です。

これは
お花見を考えても
なぜ、桜の花にだけ、こんなに日本人は関心をもつのか。
なぜ、桜の木の下で宴を開くのか。
なぜ桜の花の下でそんなに酒を酌み交わすのか。


稲の神様由来の桜信仰を思えば、説明ができそうな気がします。

神様・・・を登場させるなら、酒を酌み交わし、ごちそうを食べる意味が
説明できそうな気がするのです。


そんな風に
いたるところに「居る」だろう神様が
日本人の生活に密接に関わっている事実、
これは、宗教とは違います。

勝手に手を合わせて
勝手にご利益を得ようとする。
お礼に勝手に貢ぎものをする。

これが民間の「文化」です。

繰り返しますが
宗教とは違う。


日本各地の、限られた地域の、神様にまつわる
楽しい、愉快な、時に重厚なさまざまな祭りは
日本の「良心」を保証してくれているようで

体育会系男子大学生の寮の部屋のような寝床で
アクリル毛布を丸めた上に正座するこおろぎに
たくさんの激励とテーマを与えてくれたのでした。


そろそろ快方に向かい始めました。
「毒」が抜けるのかもしれません。



こんな年齢になったことを
あらためて痛感した伯母の葬儀でした。
けれど
粛々と生きるしかない以上、
ニコニコと、その命を全うするのが人間。

生命科学の授業でも
「そこのところ」をしっかり伝えていきたいものです。


追伸:
こおろぎセンセーにお見舞いを・・とお思いの方は
どうぞご遠慮なくお気遣いください。