家庭  とはなにか

新年度が始まりました。

ドキドキソワソワするのは
新入生だけではありません。

教える側も、新しい学生との初日は
結構ドキドキです。


新年度の生命科学
前年度と内容をガラリと変えなければならない事情が生じ
なかなか頭の痛いところでもあり

まずは学生さんの顔を見て・・・

という初日でした。


本日、3コマ(90分×3)、合計約400名の学生さんたち
ほとんどが一年生。


ほっ。


なかなかいい学生さんばかり。


こちらも精一杯がんばりますから
どうぞ、どうぞ15回、しっかり学んでください。



さて
同時に、今年度の論文計画もスタート。
べこもち研究も三年目となりました。
そろそろ注目してくださる方々もあり、
一気に「まとめ」に入るべき頃なのかもしれません。

さらに
大きなプロジェクトの一貫で、楽しいレシピ集の制作もスタート。

さらにさらに
懸案の教科書執筆も本格化。


それに加えて・・
長く頭の中にあった
「家庭科」という科目の歴史と現状研究、
家庭科教育も専門の同僚と、調査開始も秒読み。


家庭科・・・の目指すところの原点はなんだったのか。

原点の原点にはなにがあったのか・・・。



そんなことを本気で考え始めたのは
中原淳一
この小さい文庫本を読んでからです。



幼少期から
中原淳一の詩、ことば、絵画、人形、雑誌のすべてが好きでした。

古い著作も何冊か手元にありますが


今回、ダイジェスト版ともいえる小さい文庫本を眺めて
あらたにため息をついています。


昭和20年代のお菓子のレシピ
料理のもりつけ
ギフトのラッピング
キモノの着方
エプロンのデザイン・・・


どれもこれも
今現在でも新しい。

「砂糖がなければ・・」というような表現に出会って初めて
ああ、古い時代なんだ・・と気付くほど。


彼が目指したものは
義母 荒井恵美子が目指したものと見事に重なるのです。

「夢」です。

実に見事に、「夢」なのだと。


かくあれ、
かくうつくしくあれ
かく清くあれ
かく楽しくあれ

という
徹底した「夢」を
みごとに形にして見せてくれたのが
中原淳一であり、荒井恵美子「先生」でした。


中原淳一の描く「夢」を手本に歩いた女性がどれほどいたことか。

私の母も、私もその一人でした。


それがいつか
クニエダヤスエというテーブルコーディネーターの登場につながったのではないかと。

もちろんテイストは異なりますが
クニエダヤスエ先生が私たちに見せてくださったのも
「夢」でありました。



いつしか
時代が追いついて、「夢」を「形」にする方法を
多くの女性が知るようになったのです。


栗原はるみという料理研究家もまた
その現代の系譜のどこかにいそうな気もします。

それは
理想の女性の姿、です。


理想の人間、ではなく
理想の女性。


そして女性こそ
家庭ということばに直結するのでしょう。


家庭科は男女ともに学ぶ・・・のであっても

実際はいつまでたっても

家庭は女性の城だと思われています。


家庭科が
学校教育の中で教えて来たものはなんなのでしょうか。



中原淳一の描く「夢」と
学校教育の家庭科とのギャップを
探してみたくなりました。



手強い相手との
地味な戦いになるかもしれませんが
子育てしながら手抜きなりに奮闘してきた私と
子育て真っ最中の相棒と
新しい視点で挑戦してみようと思います。


さてさて
ゆきうさぎさんのブラウスにも
シックな大人の「夢」がつまっています。

上質の素材に
丁寧に選ばれたボタン。

ストライプのクールな印象に
ドライなエッセンス。

「かわいい」ばかりが女性ではありません。


ゆきうさぎさんの作品を見ると
そして手を通すと
いつも思うのです。


着る人を大人にしてくれる洋服だと。
そして着る人と作品が一体になって
全く別の洋服に見える不思議な洋服なのだと。


中原淳一の描くかわいい大人たちも
ゆきうさぎさんの大人らしい大人たちも

ともにすてき。

大人であることはすてきなことです。
加齢もまた楽しんでこそ。


若いばかりが宝でも価値でもありません。

こんな年齢になったからこそ
どっさりいろいろなコトが見えてきました。



ひゃっほーっ!
高齢化万歳!!!



とうっかり強がってしまう大学初日でありました。