忘れる・・・ということ

24歳の時、父と東南アジアの旅をしました。
父には初めての海外旅行。
国内は隅々まで旅をしつくして旅慣れていた父ですが
海外は緊張の連続だったようです。

私のこの程度の英語でも、必要としていたようで
私には自由などなく
何度か、父に嫌な顔で対応したと思うのです。


いくつになっても
旅の間、父に対する私の冷たかった態度が悔やまれてならないのです。


時折みせた父の悲しそうな表情が忘れられないのです。



その後も
何度か
親不孝娘の愚行に
父はため息をつく場面がありました。


温厚だった父は
私を叱ったことなど一度もありません。


けれど

時折みせた落胆した顔が
忘れられないのです。


そんな父のことや
もちろんいろいろ
記憶から消えないことはありますが・・・



私にとって忘れられないことは
どんなことかと考えてみたら


そんなにたくさんはないことに気付きました。



考え方を変えれば

ずいぶんたくさんのことを「忘れた」ということになります。



脳科学的にも
生理学的にも
心理学的にも


忘れる
ということには
重大な機能があるのは確かです。


死の恐怖も含めて
考えないでいること
忘れていること

そういう機能がなければ
人間は生きてはいけませんから。




それにしても

忘れる・・・ということの作用に
私は今、少々驚いています。



ささやかなことですが
二浪生活をしていた次女との日々
私はそれなりにかなり楽しかったのです。

けれど
年末ころから
気持ちが荒んでいく次女が気になっていました。

洋服も
いつもと違う色を選ぶ。
聞く音楽も違う。

とにかく
センター試験に始まった入試の本番から3月9日の発表までの日々、
手抜き母親は、彼女の一人の応援団として見守るだけでしたが
その日々のことが
どうしてもうまく思い出せないのです。

ごく最近のことですから
忘れたはずはありません。


けれど
どんな心境だったか
思い出せないのです。


普通に仕事をし、
むしろ時期的にいつも以上に忙しく生活していたのですが
それすら、うまく思い出せないのです。


もしかしたら
思い出したくないほど
こんな私でも
ぎりぎりの心理状態だったのでしょうか。


全く意識していなかったのですが
そうとうつらかったのでしょうか。



私は、長い人生
苦境が多すぎて
「乗り越え上手」になり
大変だ!
とか
困った!
とか
そういう状況に陥らない人間になりました。



けれど
これほど明確に
ごく最近のことなのに「思い出せない」状況を体験すると



もしかしたら
私は、かつてないほど
「心配」し、シンドイ状況だったのかもしれない・・・と
今夜、犬の散歩をしながら思ったのでした。



そして

シンドイ記憶を
見事に忘れる機能が
こうして人間を守るのだとも
実感したのでした。



なにごともなかったかのように
新しい時間と歴史を紡ぐことができるのですから。



父を亡くし、義母も亡くし、
大切な友達もすでに何人も亡くしました。

大きな災害もあり
欠落感と悲しみの深さには限りがありません。

しかし
それでも人は
こうして生きていけるのです。



幸い私は
「愚痴言いタイプ」ではなく
「困惑表現型」でもなく
「不安戸惑いタイプ」でもないのですが

その私でさえ
成功体験を忘れ
自己肯定の方法も探せなくなりつつあった「若い同居人」を
見るのがつらかったのだろうと
今、思うのです。




それでも
次女には次女用の扉が開き、道が続いていることがわかりました。


人生は
本当に捨てたものではありません。


順風満帆の人生ばかりではなく
予想不能な日々の連続です。

けれど
ヒトという動物には
忘れるという機能があり

生き続けるしくみもしっかり備わっているのです。



春からまた
生命科学の授業を受け持ちます。

そんな視点も加えていこうと思います。


受験のつらい時期、
今書いたとおり、次女は暗い色ばかり選び、少々慌てましたが
今は元通りの、ヴィヴィッドカラー満載の暮らしにもどりました。


私も元気な色が大好きです。

今日など
真っ黄色のカーディガンでイチオシに行きました。
番組のキャラクター、オンちゃんと同じ色でした!


神戸のIKEA
激安の家具を探しました。

広い店内を歩き、疲れて一休みする珈琲タイムにも
ふと、単語帳を開いた次女。


もういいのに・・と思ったのですが
どうやら
彼女の勉強は続いていたようです。

入学式の翌日は英語のクラス分けの試験があり、
その後も英語に関する様々な試験が続きます。


そうでしたそうでした
人生、執着点、というのはないのでした。


どんなものでも
「途中経過」でしかないのでした。


これでいい、とか
これがゴール、とか
そういうのはないのでした!



さてさて
「忘れる」機能に救われて
マダムこおろぎも
元気に今年の春を歩き始めています。


仕事仲間がどっさり
転勤やら移動やらで
心細く、さみしい限りですが

後ろを向いていても仕方はなく

次々に楽しいことを考えていこうと思います。

IKEAオープンカフェで食べたポテトケーキ(という名前ではなかったですが)が
素晴らしい美味しさでした。
なんとか再現して、お教室でご紹介したいと思います。



元気風ですが
実際は、スタジオから3年分のディスプレイグッズがトラックで
戻ってきたため、せっかく片付けた玄関は
歩くところもなくなってしまいました。
もうこれは運命です。
10片付けたら即日20散らかるのです。
3歩進んで5歩下がる感じ。

でもまあ
そんな運命も楽しんで乗り切ろうと思います。