さまざまな春

人事移動、転勤、転出、あれこれあれこれ
周囲の人たちの流れが大きくかわりつつあります。

春という季節の宿命です。

なにもかも
このまま変らないと思っていても

実際、
私はこんなに年をとりました。

義父は先日、まさかの転倒。
奇跡的に唇を少々切った程度でしたが
それでも出先のホテルでは大騒ぎ。

転ぶような人ではなかったのですが
これも年齢の故。


変らないものなど何もありません。


シンドイとき、
私が繰り返す呪文は

ローリングストーン(ズ)。


ころがる石。



変らないものなど
絶対にない。


時として
時間が止まったように
思うことがあります。


多くの場合
悲しいときであり
苦しいときです。


けれど

残酷な速さで
人々が老いる反面


確実に
その苦境も
脱出の方向に向かっているということです。


この年齢まで生きてくると
実によくわかるのです。



明けない夜は絶対にない。


夜明けが遅いだけです。

もしかしたら期待した朝ではないかもしれないけれど
夜明けは来る。


悟ったようなことを
おもわず言いたくなるような
書籍とノートの山が
次女の部屋から運び出されました。

試験や受験が実に下手な次女でしたが
整理整頓、事務能力にはすぐれており
実にてきぱきと周囲を片付けます。

これでもまだ半分程度だと思えば
彼女が費やした受験の日々の壮絶さが
見えてきます。

泣きながら解いた問題集も
思い出深い参考書も
彼女は捨てるらしい。


とっておいたら?
とおもわず言ってみましたが


捨てる・・・との一言。



それでいて
理系から文系に変えて
35点からスタートした世界史は
最後85点まで伸びた奇跡の軌跡、そのノートは
捨てられないと抱えて深呼吸。


大学はやめてひとまず働く、という道も
三浪という道も
彼女に提案してきた私は


突然目の前に開けた道を
まっすぐに歩き出した彼女を
敬意をもって送り出すだけだと
あらためて思ったのでした。



私には私の
道がありますから。
仕事の合間にたちよった古本市で
山口瞳の本を見つけました。

帯のこの文章に
わすれていた
いろいろなコトを思い出しました。

いい文章にたくさん触れたいと
切に切に思いました。

書を捨てよ町へでようとはいいながら

良書を抱えて
よい時間をすごそう!
という
その姿勢も忘れてはなりませんでした。


この春
大きな人々の移動のうねりのなかで
私と次女は
たくさんのやさしさに触れています。

彼女の2年間の予備校生活を
ともに歩き、
いつだって支えてくれた
Nクンは、残念ながら三浪の道を選択。
医学部への強い意志は変らないようです。
文系に道をかえた次女の受験も
我がことのように心配して応援してくれたNクンは
次女の合格が決まったとき
いち早くおめでとうと届けてくれたのが
このガラスのお花です。

新しいお家に飾ってと



私は泣きました。

優秀ゆえに苦労が続く自分のことより
戦友のよろこびを自分のよろこびとして
祝える、その心根の美しさを越えるモノがあるものかと
私は思いました。


ガラス細工のような神経のNクンが
次女のために選んでくれたのが
このガラスの花たち。


本当に美しい。
けれど
なにより美しいのはNクンの精神です。


宝物だねと

大切に丈夫な箱に収め
神戸に抱えていくことにしました。


美しい美しい「思い」には
必ず光りがさします。



春はどんな形であれ
必ずくるからです。




さてさて

激動の3月、わが家の犬には犬の不満がありそうです。
しかし
不満があってこそのよろこびでしょうよ!
つらい「待て!」があってこその「ひとかけらのチーズ」でしょうよ!


そうだわよ、りきまるさん、

「待て!」と言われて待っていれば
必ずひとかけらのチーズがあるのですもの

おかあさんも
つらいつらい「待て」の連続ですが
今しばらく、よい仕事をめざしてがんばります!