書を捨てよ・再び

解けないと思われた雪が
解け始めました。
また降るかもしれませんが

必ず解けます。


本当に「救い」です。

夜も明けるし
雪も解ける。



自宅アトリエの片付け作業を続行しているので
あちこちの箱から
いろいろな「宝物」が発掘されていますが
師匠である 荒井恵美子先生が
昭和40年代に札幌で開校したデザインクッキングスクールの
パンフレットと
修了証書。



その時代に
この斬新なご提案。

眺めているだけで
笑顔になる、しあわせな提案。


本当に企画力と行動力のある女性だったのだと
あらためて思うばかり。



服飾デザイナーから料理研究家への転身ゆえの
「デザインクッキング」という名称だったのでしょう。


夢のある暮らしを提案したその姿勢は
中原淳一をも思わせる一貫した信念。


夫(私の義父)の転勤で東京から北海道にやってきた
荒井恵美子という女性の
様々な提案は
当時の北海道では
いかばかり斬新で刺激的なものだっただろうと想像に難くありません。


札幌オリンピックの年、辻クッキングスクールが札幌に開校したのと同時に
その初代校長に就任。
しかし、彼女の
「デザインクッキング」の思想と夢は
その校長としての手腕の隅々に生きていたと思われます。


北大の研究生時代、辻クッキングスクールにも在籍した私にとって
荒井恵美子先生は、雲の上、理想の女性でした。


その先生が
十数年後、姑になるなど
若い私には想像もできないことでした。



春からデザインクッキングコースを再開したいと
考え始めました。
今も、その思想はキラキラ輝いているからです。
彼女が残した食器やクロス、山ほどのレシピを
なんとか若い世代にひきつぎたいと思っています。


さて

二浪生活をすごした次女の
ドラマチックな今年の受験期を振り返り、
今思うのは

何度も何度も、この欄に書いてきたことですが

寺山修司の言葉に尽きます。


「書を捨てよ 町へでよう」


です。


実際には書はすてなくていい。


けれど
書で知る知識と情報を
立体的にするには

生身の人間に触れ、
人間が生きる空間の風を知らなければなりません。


今回
いわゆる予備校調査でA判定をもらっていた大学の試験に次々に失敗し、
「滑り止めに滑る」という現実を前にしたとき、

さすがの私も少々慌てました。


が、大昔とはいえ予備校(医学部専門)教師の長い経験と
現実の大学をそれなりに知っている立場から
私大の後期試験について調査検討して
結果、次女は奇跡的に4つの大学から合格通知を得ることができました。


そのプロセスで
インターネットの情報をかなり参考にしたのですが
あるとき、私は
心神の異常な疲労感に愕然としたのです。


インターネットの使い方には
相当な注意が必要です。

匿名の人たちの
無責任な
そして
当然無遠慮な
饒舌な情報の
根拠は


受験の場合は、
どうにでも操作できるだろう「偏差値」と
「主観」、「噂」以外ではない。


それを知っていても
ここまで言うか、
ここまで言われるか、という
画面での悪口雑言や
排他的意見に
おもわずこちらの冷静な判断が根底からひっくり返りそうになったのです。


まずい。
実にまずい。


大学に関して言えば
「行く価値」のある大学は
日本では
東大と京大、早慶だけに思えてくる。

実に見事な序列が
開く画面に樹木の根のように蔓延していて
もし
「これはまずい」と
私自身が気付かなければ


どれほどの困惑と劣等感、自己嫌悪に苛まれたかしれません。


「これはまずい」

のです。


たとえば
早慶上智


つぎが俗にマーチと言われるM A R C Hを
頭文字にする東京の大学。


その次に
日東駒専(にっとーこません と読みます)
の頭文字の大学


その次が
大東亜帝国(だいとーあていこく と読みます)
これも同じく頭文字。


うまい語呂合わせだと苦笑するばかりです。


同じことが
関西エリアでも言われているわけです。

関関同立にはじまり

その次のレベルが
産近甲龍

当然その「下」の4つも揶揄される。



長く客観的に見ていたのですが
初めて受験生の親の気分で
真剣に考えるにあたって


「これはまずい」

と気づいたのと同時に
このランク好き体質こそ
日本の閉鎖性を招いてきたのだと
理解。


私の母校の国立大も私大も
当然これらのランクの外の外の外の外。


だからといって
何の支障もない。


国立大学を志望してた次女は
早稲田大学も視野にかなりの努力をしてきましたが
一歩及ばず。
でも早稲田に行きたかった理由を
改めて考えてみると
「早稲田」という名前への大きな憧れ。


何学部でもいい、早稲田ならいい・・・という気分だったことは確かです。


早稲田の諸先生に、勝っても劣らない教育者が
日本中にどれほどいるかを考えればいいのですが


それができない。



とにかく

このたびの受験で


私は
たくさんのことを考え、学びました。

その一つが

「ネットをすてよ」
です。


必要な情報以外の情報は見ない。

情報の信憑性をネットの検索続行で得ようとしてはいけない。



ふーっと息をついて
生身の人間を見ることです。



詳しくは今後

丁寧に振り返っていこうと思います。


大学のランク付けには
ある意味、興味をもっています。

どんな先生がどんな研究をしているか
どんな学生がどんな風に世にでていったか

それこそが真のランキングになるべきです。

私の仕事の一つになるかもしれないと
背中を伸ばしたところです。


ネット上では
等号と不等号を使って、近いイメージの大学の
ランクが舞踊っています。


それぞれの大学の実状や、諸先生を想像して
その不確かさと
その情報の垂れ流しの現状を情けなく思うばかり。


失礼と無礼の蔓延を嘆くつもりはないのです。
ただ
冷静に、必要な情報だけ得よう。
上手に利用しよう。
長い時間、ネット検索のリンクをつなげないようにしよう・・・と
大きな声で言おうと思うばかり。


うっかり
私が陥りそうになった
神経の疲弊に
苛まれている人がたくさんいそうな気がするからです。


「知った」ような気分になって
ネットの「噂」が真実だと思い込んで
行動したり自己嫌悪になる人がいるに違いないと思うからです。


書を捨て町へでることに、大きな意味があったように
ネットは離れ、町を歩こうと
提案することは
教師としての義務にも思えてきました。



第二志望の高校に進学した次女は
そのコンプレックスなどあっといまに吹き飛ばして
それはそれは楽しい高校生活をすごしました。



理系から文系への変更と
二浪のストレスは想像を超えるものがありましたが
紆余曲折は当然のこと。


この春から神戸で新生活を始めます。


「いい先生」のいる大学
「いい学習環境」のある大学
「いい未来の見えそう」な大学
「住みたい町にある」大学


正しい選択だったと思います。



ランク好き日本に
未来はあるのでしょうか。


母親としてではなく
教育者として
学校格差の理由と
それに振り回される学ぶ側と親達の思いを
分析してみたいと思います。