広い日本

北海道にまた大嵐。
解け始めた雪に
小さな春の気配もありましたのに

なんでしょう、この大雪。


りきまるさんも呆然としています。

劇的な猛吹雪と、不可思議な快晴が繰り返され
行きつもどりつする春と
居座ろうとする冬のせめぎあいです。


数日前の神戸は
こんなに花が咲いていました。

最終的な母校になった武庫川女子大の街路には
ローズマリーが可憐に咲いていました。


大雪の町もあり
花咲く街もあり

日本は広いです。
そんな気持ちは
今週の函館新聞にも書きました。

この函館新聞の連載は
どうぞ毎回読んでください。

ブログも一生懸命(?)書いていますが
字数制限と〆切のある函館新聞の連載は
マダムこおろぎ、相当なエネルギーを使って毎回書いています。



さて
前回、粗品の研究をしていると書きましたが、
なんでも捨てる主義が主流になりつつある昨今、

モノの意味を学術的に考えることに
当分熱中しそうです。


武庫川女子大学資料館紀要の4号(2010)に
師匠、横川公子先生が「生活財の移動が示唆する物語」という
素晴らしい文章を寄せていらっしゃいます。


その3ページに

「暮らしに根差した日用品のほとんどは、おそらく美術品とか宝物に価値づけられる
ものではないだろう。現代の工業製品が、不要品になったとたんにガラクタやゴミとして
捨てられる実状を見ても、現代の日用品の価値づけの軽さは覆うべきもない。
しかし、日用品は、日用品であることによって人の暮らしや想いをまぎれもなく炙りだす。
・・・・・
のみならず、それを使ったり、保持したりしながら、モノに関わる人々の思いや体験を
語るものである。さらに、そういった記憶や生活の在り様から、ひいてはその時代と
社会を炙りだすことが可能な生活文化の仕掛けなのである。・・」


と書いておられます。

ワクワクするのです。

先生のこの視線。


不要なモノをすてたら人生が変わります、という視点と
あまりにも違います。


片付けるのはいい。
捨てるのもいいでしょう。
個人のものを個人がどうしようとそれはいい。

整理整頓は奨励されていい。


しかし、
捨てることを過大に評価してはならないと
私は思うのです。

捨てられない人を
けして蔑んではならない。


ある一人の女性が亡くなり
その生活財のほとんどすべてが
武庫川女子大の資料館に運ばれました。
ティッシュペーパーから使っていたお箸まですべてです。

昆虫の調査をしていた大昔を思い出すほど
それは機械的
事務的な作業ですが
データーを見ているうちに

言い表せない感動がわいてくるのです。


冷静に冷静にと
いい聞かせながら資料に向かっています。

戦争で兄上を亡くされた、その悲しい歴史も
あちこちにみられ
一生ひとりで、つましく生きた女性の
生き様が
ときに切なく、
ときに美しく

ドラマ以上の物語です。


3年ほどのプロジェクトですが
諸先輩のご指導をうけ、精一杯学び、
形にしていきたいと思います。


武庫川女子大は「スゴイ」大学だと
私は思っています。

広島在住の頃、昆虫学や動物行動学の恩師のお一人だった
日高敏隆先生のご紹介で大学院に入学しましたが


そのころにはまだわからなかった学究環境に
今感謝するばかりです。




その私が40歳をすぎてから門を叩いた同じ学部に
当ホームページのころすけのミント倶楽部通信担当の次女が合格しました。



医学部をめざし一浪した後、文系に道をかえ
つらい二浪生活をしていましたが
残念ながら第一志望の国立大には手がとどかず
気がついたら
滑り止めの合格通知がないという
大誤算。
大慌てで
私立大学の幾つかの後期試験にすべりこみ出願。
大昔、予備校の教師だった経験と
苦境と逆境に猛烈に強い度胸が役にたちました。




私大といえども
後期試験はどこも数人の募集で
ほとんど絶望的。
不思議な試験様式ですが
敗者復活の唯一のチャンスです。


明るさだけが自慢の次女も
さすがにつらそうでした。


絶望感
恐怖、不安
二浪で合格の一つもなく迎えた三月、
よく精神力を維持したと思います。


明けない夜もあるのではないか
止まない雨もあるのではないか
来ない春もあるのではないか



合格発表は
彼女が一人でネットで確認しました。
二浪を選んだのは彼女です。
でもどれほどの恐怖だったことか


高校受験も
第一志望に失敗し
その後、長い長い年月で
自信もプライドもなにもかも失っていたはずです。


しかし
狭き門の私大の後期試験に合格。
どこも10倍前後でしたが
他の大学からも合格通知が届き、
私と同窓になるかどうかは未定になりましたが
突然次女に春がきました。


重い重い
本当に重い青春の門でした。



昨今は
入れる大学に入る
推薦してもらえる大学に行く
指定校だから行く
エスカレーターだから乗る


など、大学に入る方法は実に多様です。



しかし
本当に学ぶことに興味があり、
本当に本当に学びたいことがたくさんあって
必死に学び舎を探し、
必死に門を叩いた、
そんな真摯な「若い人」と
一緒に暮らせたことを
私は本当に幸せだと思っています。



医者になりたくて
がんばった高校3年、
何度も涙をこぼした浪人の一年目でした。
しかし適正と能力を自覚して
文系に方向を変え
必死に新しい志望校をめざしたのに
再びの失敗。
小さい小さい心は
絶望と心細さ、コンプレックスであふれていたはずです。


めざした大学ではなくても
「あなた」の入学を許可した大学は
いい学生を選んだと
私は思います。



「あなた」は受験には不向きでした。
でも
学問にはとても向いています。
長い教師生活で、それは保証できます。



「あなた」を選んだ大学は正しい選択をしてくれました。
何処で学ぶか、ではなく
何を学ぶかです。
誰から何を学ぶか、です。


「母」をみなさい。
大学在学14年です。
農学部、理学部、家政学部(現・生活環境学部)です。
園芸学 昆虫学 動物生理学  被服学  生活美学と滅裂です。
わけのわからない、とんでもない先生に出会ったこともあります。
とんでもない領域でとんでもない経験もしました。
アカデミックハラスメントでひどい目にもあいました。
二流だ、三流だと言われることなど、もう慣れました。
それでも、なにより幸せなのは
いい先生にも出会えたことです。
いい仲間にも出会えたことです。



入学早々就活などのさわぎに耳を貸さないで
どうぞどうぞ
学ぶために叩いた門を
実力で開けたのですから
どの大学にすすむにせよ、
正々堂々と入って
充分学んでください。


「母」
「あなた」を誇りに思います。
なかなかできない経験の連続でしたが
けして逃げず、
折れそうな心を必死にささえて
震えながら試験に臨み続けました。


3月に入ってからの受験はかなりつらかったに違いありませんが

小さい小さい桜が咲きました。



荒井商店5代目若女将の誕生です。
まだどこの大学に進むか決めていませんが
いずれ関西です。
若い視点で
セレクトショップと生活文化塾を展開してくれると思います。



この3年間の受験生活を通して
私は本当に多くを学びました。

現在の高等学校の教育や指導の問題点、
大学入試の方法
大学の格差
偏見
予備校の指導など


落ち着いたら
受験経験豊かな次女と丁寧に振り返って
なにかまとめてみたいと思っています。


教育とは
教師とは
大学とは
など

いろいろなことがどっさり見えて来た気がしています。


モノ研究と合わせて
提言していけたら、と思っています。



小さい桜の写真は
マダムこおろぎお気に入りの
飴のシリーズ。
どっさり注文しようと思います。


まだまだ雪の深い北海道ですが
小さい桜が咲きました。



「やっと大学生になれる・・」と
東京から合格をしらせる電話をしてきた次女は
号泣していて言葉が聞き取れませんでした。
モスバーガーで、そんなに号泣していれば
周囲はさぞかし驚いたことだと思います。


でも
明けない夜はやはりなかった。
止まない雨もなかった。


「これでやっと大学生になれる・・・」
泣きながら次女は何度も何度も言いました。
「応援してくれて、いい大学を探してくれてありがとう」と
何度も言ってくれました。
いまどき、
こんな風に必死に大学生になる学生がいることを
だれかに伝えたくて、今日はこの欄に書きました。



いままで、次女「ころすけ」を応援してくださったみなさま、
ありがとうございました。



この受験時期、「ころすけ」はずっと
当ホームページ管理人の東京のみのりちゃん宅に
居候していました。
入試の日はいつも大きな大きなおむすびをつくってもたせ、
一緒に泣いたり笑ったり。
そしてついに合格した夜は、
ディズニーランドでお祝いをしてくださったとのこと。
感謝するばかり。



追って、本人からも
当該連載で報告すると思います。
ひきつづき、ミント倶楽部通信ご愛読ください。
どんなドタバタキャンパスライフが展開するか、
そしてどんな若女将ぶりを発揮してくれるか
ドキドキしながら見守って行こうと思います。