ひなまつり・おめでとうっ


雛祭りのご挨拶って
あるのでしょうか。


おめでとう・・・でしょうか。

前回にひきつづき、
女雛二人の、2013年版、荒井家のおひな様です。

ガラスの器に鏡のコースターをのせ、
その上に座っていただきました。


「いいかんじ」です。


そして
今年から、マダムこおろぎの必携アイテムになった
「季節の飴」

なんだか女雛の機嫌が悪いようですが


この飴、絶対に美味しい。


せっせと取り寄せています。




節分には
こんな赤鬼さんと青鬼さん。

女正月には干支の飴をお配りしました。


材料の水飴が極上なので
本当に美味しい飴です。

つぎはどんな飴が登場するでしょうか!


一切の約束事ができないような
時間帯で暮らしていますが
一つなにかをやったら他のことをやる・・・という
荒井流の細切れ仕事の中で
義母であり、師匠だった荒井恵美子先生の
文字がでてきました。

カコウというのは彼女の雅号です。

きらめくという文字を2つ重ねたようです。
華やかだった存在にぴったり。
ただし、強い文字2つですから
キラキラしすぎですね。




それにしても美しい文字です。



義父も書家
義母もこの文字。


さて
我が悪筆を矯正しなければと思うばかり。




そして思うのは
義母が望み、夢見た学校を
必ず復活させたいと。


東京から転居したとき、
デザインクックという料理教室を開設。
懐石ともてなし料理が得意でした。
当時、正式な懐石を教える人は
少なかったようです。
札幌オリンピックを機に、
辻クッキングスクールの要請を受けて
札幌校の校長になったのですが


デザインクックという名前も内容も
昭和40年代に、どれほど斬新なものだったでしょう。


もとはファッションデザイナーでしたから
私が嫁いでからは、アホな嫁といっしょに
衣食住の実践を指導する学校を夢見ていたのです。


おかあさんとは
一度も呼んだことがなく
亡くなるまで「先生」と呼ぶほど
尊敬に値する女性でしたが


その先生の夢を
引き継ぐことが
私のこれからの仕事です。



そうそう夢といえば

この写真、マダムこおろぎ、たぶん27歳か28歳。
大学をやめ、あれもこれも迷い抜いていた頃です。
パートタイムの仕事の合間に、英語学校に通っていた時、
年上の、すてきなクラスメートが撮ってくださった1枚です。

そのとき
「三津子さんは、いつも夢を見ているような目をしてるわね」と
言われたことが忘れられません。


見る夢がことごとく砕けて、落ち込むばかりだったのに。


フリーの花のデザイナーとして走り回り、
高校や予備校で生物の非常勤講師をしていた頃です。

今の長女と同じような年齢。



くだけてもくだけても
次の夢を見ていたような気がしますが、
さてこの写真の頃は何を夢見ていたのでしょう。



大学を追われ、いろいろな退路も断たれた上、
医者にもなれず、研究者にもなれず、
お花屋さんにもなれず、教師にもなれず、


願う何者にもなれなかった頃です。
海外逃亡をもくろんでいたような気もしますが


あの迷いに迷った時代が
今の、猛烈にタフな精神力を作ってくれたような気がします。

苦境を切り抜ける、切り札の見つけ方、使い方を
どん底で知ったのだと思います。




夢を見る・・・といっても


見た夢が叶うとはかぎりません。



でも見ない夢は叶わない。



けれど
見た夢を実現させることにこだわりすぎてもいけない。


叶わない夢はなにかの小箱にきちんとしまって、
次の夢を見る。

それが私の方法になったような気がします。




懐かしい写真を見つけて
おもわず仕事の手を休めてしまいました。
不細工シスターズのどちらにも似ていて
DNAの怖さも確認。


忙しい3月の、魔除けの一枚は
この、ぼーっと夢をみていた時代の
貴重な?一枚を!
30年以上前の一コマです。

(まだ編集長に写真を小さく載せる方法を聞いていませんでした・・)
追伸
この紺のセーターはセリーヌのもので、平凡なリブ編みですが当時かなり高価でした。
けれど、30年後の今も着ています。
いいものはいい。
ネックレスも時計も、トルコ石の指輪も
今も頻繁に使っています。
変ったのは、中身。実に見事に老朽化したのでした。