さて・・・と

多くの大人は
「こんなとき」立ち上がって注意なんかしないんだろうな・・・と
思いつつ

仕事仲間との打ち合わせもかねた
貴重な昼の時間、

小さい子供の大きな声に
これ以上我慢はする必要はないと判断。


ご両親と祖父母も同席しての
幸せなランチタイムだったに違いないけれど
それにしても
坊やの声は大きく、悲鳴も混じり、
満員の店内に響いていたので



気の短いこおろぎは
店員さんに直訴。
その直訴は直接そのファミリーにも聞こえて
あれこれあった挙げ句、
店内に静かな「お昼」が戻りました。



注意される方より
する方が
ずっとつらいです。


でもまあ


私にとっても
仕事仲間にとっても
他の店内のお客すべてにとっても
貴重な時間



ある家族だけに
「いいお昼」であってはいけない。





支払いを済ませた若いおかあさんが
謝りに来てくれました。



私も二人育てからよくわかるけれど
大変だけれど気をつけてがんばってと
伝えました。



彼女はきっと
いいおかあさんになると思う。


どうぞどうぞ
カレー屋で会った、気の短いおばさんの
「うるさくて迷惑です」という
必死の気持ちをわすれないでください。


子供は迷惑であることがあるのです。


親は悲しいほど、気づかない。



まあ
大人も同じ。
迷惑は迷惑。


公の場の境界が見えないとき、

それは大人でも子供でも
迷惑な存在になるわけで



迷惑は迷惑だと
学ぶ機会、
どこかになければと
思った午後でした。





当ページの東京通信、
管理人みのりちゃん、白隠展の見学記、書いてくださっています。
嬉しいです。


白隠イラストレーターとしてのセンスが好きなのです。


だれにでも、気軽に教えを説いてあるいたという
その手法として
陽気な画風がどれほど機能したことか。


文字だけでは伝わらない何かを
そのユーモアたっぷりの画風が
伝えてくれていそうで
ワクワクするのです。





さて今、なぜ白隠か、


わかりずらい世の中だからかもしれない。

楽しくない世の中だからかもしれない。


気取らない筆致が素敵。


展覧会、うらやましい。
どうやら行けそうもないなあ・・・





そうそう
今朝、偶然見た題名のない音楽会
リナ ヴァスタのソプラノを聞いて、しばし動けなくなりました。


ヴェルディが残した、高齢者のための憩いの家に住む
80歳の往年のソプラノ歌手の、見事な声。


主婦の時代も過ごしながら、
舞台にこそたたなくても練習を続けた彼女は
この年齢で、指導者として現役。


そして実に美しい。


ステージに立っていたときの写真より
今の顔のほうがはるかにはるかに美しい。


オードリーヘプバーンも
若い時とは違う美しさを
たくさん見せてくれた。



整形美容が一般化しそうだけれど
みんな同じ顔になりつつあるこわさ。


「雛形」みながら整形後をイメージするので
流行や理想の顔に集約されていく。


ひとつのことをやりつづけると
本当に人間の顔は、かくも美しくなるのだと
リナ ヴァスタの歌う姿を見て確信。



年を重ねることは怖くない。
怖いのは、することがなくなること
そして
したいことができなくなること。



年をとったからこそわかったことがこれほどあるのだから


なんとか形にしたい。
伝えたい。



加齢対策を考えるより
無限にやることがある。


困った。





某雑誌の某書籍の書評をみて愕然。

書こうと思っていた内容、方法、そのままの本が出版になった。


モタモタしていたら
同じことを考える人がいたということだ。




だから言ったでしょ、さっさとしなさいって!



そのうち、なんて、絶対にこないんだから!



そのうち・・・でいいことは、しなくてもいいことなんだから!



心折れそうになったけれど
折れません。せっかく年をとったんですから。
しなやかに、たおやかに
次の歩み、進めることにします。



新しい一週間、センター試験まであと少し。
みんながんばれ、
こおろぎセンセーもがんばれ、です。