再考の必要

北海道史を眺めています。

ため息のでる過酷な開拓の歴史と
そこにちりばめられている日本各地から移住してきた人たちの
貧しくも心豊かな暮らし。

ため息と
せつなさで

ちょっと胸が一杯のこおろぎです。



沖縄にも
戦争以外でも苦難の歴史はありました。

けれど

北海道の
アイヌと移住者たちの歴史とは
大きくことなるはずです。


重い領域に
足を踏み入れてしまったような気がします。

しかし
踏み入れたからには
こおろぎ流の答えをださなければなりません。


べこもちを語るには
まずは北海道を知らなければなりませんでした。





さて

その北海道・・・だけではありませんが


日本の冠婚葬祭はやはり相当おかしなことになっています。


もはや手のつけようがありません。



結婚式についていろいろ書いたことがありますが
いくら書いても無駄。
奇妙な婚礼衣装はどんどん増え、
不可思議な儀式、
摩訶不思議な結婚式場が
増え続けています。


日本人は何を失ったのか、



大きなテーマです。

このたびの通夜と葬儀でも
首が5回転するくらい疑問符がうかびました。



数え年99歳で逝った伯母には
6人の子供たちと
工務店時代の内弟子さんがどっさり。
みんなのおかあさんでしたから
お通夜にはその
どっさりの子供達と孫、ひ孫たちが集まり、
笑い声さえ聞こえるにぎやかなお別れの会の様相でした。


しかし

葬儀社の司会者の女性は
「みなさま、故人をしのび・・・」と
低い声で。


何度も何度も
お席におつきください・・・
故人との最後の夜を、静かに偲んでいただき・・・


どんなに低い声でゆっくりお話くださっても


全く効果なし。


そのほうがずっと伯母にとって嬉しい別れの集いだったと
思いました。


何が驚いたかといって



会場の後ろの電子ピアノ。
突然の「けんそー」


けんそー?

献奏だそうです。



故人の好きだった曲を・・・


??????


アレンジしすぎた曲は
いったい何の曲かわからず、
しかもオルガンの音を選んだら
まるでチャペル。


上手でもなんでもない演奏を
長々聞かされる不思議。



伯母の長男である、こおろぎの従兄弟は
某大学の元教授で、今ラジオ番組もやっている人なので
とてもお話が楽しい。
喪主のご挨拶は
旅立った母を
明るく語り
そして司会者の、伯母の紹介の間違いも指摘して
あっぱれのご挨拶でした。



ああ、
これでいい・・・
この、そのままの声、そのままのやり方がいい・・・




それなのに
悲しみの演出の数々・・・

祭壇を見ても
ああこの白菊と
このいけ方・・・


どうしてこんな風になったのだろうかと


どうしてこんな装飾品が並んでいるのかと
疑問ばかり。



人は自宅で生まれて自宅で死ぬのだったのです。

病院で生まれて病院で死ぬ時代は
葬儀さえ
こんな風に
マニュアル化した
泣かせる演出に終始してしまうのかと


切ない思いになりました。



こおろぎは父の葬儀を
自宅で自分でやりましたからね。



できなくないのですから。
狭い家でも
できますから。



それがいいとはいいますまい。


けれど
商業主義にどっぷりつかった
不可思議な通夜と葬儀は
今一度考えてみたい課題だと思います。



けれど


葬儀は
こおろぎは泣きました。

それは
司会者の低いゆっくりとした声が「上手」だったからではなく
電子ピアノがせつなかったからでもありません。


従兄弟が書いた、伯母への「弔辞」にあたる言葉が
あまりにすばらしく、

それは大家族を支えた、優しい母の姿、強い母の姿を語って
あまりある時代への惜別の言葉に聞こえたからです。

歯の浮いた、悲しみの演出がどれほど意味がないか、

真実の言葉の持つ重みに
深く感動したのです。



そして従兄弟の長男からの弔電も
こおろぎの涙を誘いました。



ロンドンに留学中とのこと。


長い弔電でした。

初孫で可愛がってもらったことに始まり


「賢明な素質をうけつぐことができ
学問の世界で生きていくことができました。」


この一言が、深く深く響きました。


「あなたの、その、資質をうけつぐことができて・・」


これ以上の
賛美、賛辞があるでしょうか。



伯母は
最高の息子と
最高の孫の言葉で
旅立ちました。



通夜のように従兄弟は直接挨拶はしませんでした。

司会者がその言葉を読みました。


これも演出なのかもしれません。
残念だったのは


そのすばらしい言葉の最後に


「喪主、一礼をもって、ご挨拶に代えさせていただきます」と。


そこまでマニュアル。



なんとも不自然でしたが

従兄弟の人柄と
表情が
マニュアル化した「儀式」を
しかと「ホンモノ」に変えてくれたことが
何よりの救いでした。


最後の最後に
再び、電子ピアノが
星影のワルツ・・。
伯母が好きだったかもしれませんが


私たちの思いとは
距離感のある「音」であったことはいうまでもありません。



かつて
町内の長老が
葬儀委員長をつとめ、
不慣れな喪主が
訥々と挨拶をした
そんな時代が
ただ懐かしい、

大家族時代の終わりを
ひしと感じながら


冠婚葬祭を
進化させすぎたのは誰か、
考えずにはいられませんでした。


そもそも
北海道は
香典に領収書を出しますからね。

それを「現代的」だと受け止めてしまった私たち(北海道民)は
その点において、大きく、『行き過ぎ』てしまったことを
絶対に知るべきです。


喪服には
黒いストッキングをはく・・・
そこはなぜか徹しているのに
領収書、いただけます?と言える不思議。
言わないまでも、受け取ってしまう無礼。


どんどんエスカレートする
葬儀ビジネスに
むしろ関心をもつ人も増え、
家族葬」の人気。


いいですか?


家族葬は家族でするものですから。

家族葬を葬儀社がやるって
おかしいことなのに。




話し変って
ころすけさんは来年成人式です。

浪人の立場上、「式典」には行きません。


こおろぎは全く関心がありません。


もし、成人式に行けたとしたら

ラルフローレンかマックスマーラ
上質のスーツに
イタリアのブーツ買ってやろうと思っていました。


ゆめゆめ、振り袖にあの白いふわふわ・・・は
こおろぎ一家においてはあり得ないことです。


百歩ゆずって振り袖着たければ着てもいい。
まあ

こおろぎセンセー、おへそがまがってますからね、
今の成人式制度が嫌いなことと、
普段、ちゃんと着る教育をしていないのに
「そのときだけ」着飾る風習、その時こそもうけようという業者が
提供する陳腐な和服と着こなし、へんちくりんなヘアスタイルにうんざりしていること
さらに
あの白いふわふわショールは
防寒用なのに
誰一人、会場に入ってもはずさない無礼。
どこかの市長でも知事でも指摘したらいい。


まあ

いろいろ思うところがあって
成人式制度
に関心ゼロ。


ころちゃんが成人式に行けないのはたいへん残念。

たぶん、一番カッコイイ成人ファッションだっただろうなあ・・・。

もちろんKIKIも成人式など忘れてたし、
こおろぎ自身も成人式は大学の研究室にいたし。


なにかの行事で振り袖を着たら記念写真もいいでしょう。
こおろぎの家には
なぜか振り袖が何枚もあります。
こおろぎのママが
和裁のおケイコで縫ったものが何枚も。
したがって着る機会は多いのです。



けれど
なんです?成人式の前撮り写真って。
宣伝の郵便たくさん来ますが
前撮りの写真って
意味あります?

その朝、大騒ぎして着せて、
バタバタ写真とって
だいたいが失敗する・・・
それが
楽しいのに。

それがお祝いなのに。


ころすけさんの20歳の誕生日には
リムセのダイヤの指輪を贈りました。
これが母の娘への気持ちの精一杯です。
彼女の成人式はその日でした。


それでも
同級生たちが
白いふわふわで集う日は
どこか母の行きつけのバーで
オンザロックってもんの味を教えてやりましょう。
わが家にはわが家の成人の祝いがあります。
ころすけさんも
「そこんとこ」は承知してくれているのが救いです。




もっともっともっともっと
新成人には教えることも伝えることもあるのに
そこをはしょって、「そこだけ」文化だと?
そもそも、成人式って歴史ないですから。
戦後まで女性に選挙権もなかったのに
(話しが大げさになってきました・・・危険)
形骸化した成人式には
どうもなじめません・・・


そうそう
以前成人式の講演会に呼ばれたとき
「そもそも大人がしっかりしていないのだから
成人だからといって、がんばりすぎなくていいわよ」と
挨拶して顰蹙買ったっけなあ・・・





今日も不機嫌なこおろぎです。


いろんな業者に
戦闘態勢。



これも
葬儀ビジネスの「行き過ぎ」にがっくりきたのが引き金でしょうね。




さて
こんなアホな内容とは全く違う写真。
本日の重箱に写真は
沖縄の博物館の子供用のブース。

今回の函館新聞の連載に書きましたが
これ、食品見本で、
子供達に重箱の詰め方を教えるのです。


料理は9品、餅は15個。
これは、決まり。


なんともうらやましい沖縄の文化です。


「決めごと」は
「決めごと」であり、
なんらかの根拠があるはず。

そして
けしてスタンダードも「ほんとう」というのもなく、
地域や家庭によって違っていい。


商業主義でユラユラしない部分をどれだけもつか、が
文化の深さではないかと思う昨今です。




葬儀のあと
イチオシのスタジオの「秋化計画」をお手伝いし、
夕方の番組にごいっしょして
そのあと駅のイートインスペースで
パソコン相手に奮闘してから
辻先生のコンサートに行って、
アフターコンサートは
ころすけと仕事仲間と
感動にひたってビールで乾杯。
帰宅してからりきまるさんの散歩して
大学の仕事をしたら午前1時半。


泣いたり笑ったり
感動したり
そして今日のBlogのように
激怒したり
憤ったり

これが日常です。