取捨選択

コロンビア大学
シーナ アイエンガー先生の名著
「選択の科学」の読破が
目下の目標の一つです。


NHKの白熱教室という番組が
予想を越えて注目されたのは

ハーバード大学マイケル・サンデル先生の講義の
秀逸さゆえでした。


多くの日本の学生、そして教員たちが
なぜ、日本にはこんな先生がいないのかと
気づいた「事件」でもあったと思います。


実によいことです。


その白熱教室の
コロンビア大学版が
シーナ アイエンガー先生ですが
目がご不自由だとは気づかず、テレビで拝聴していました。



正直なところ
どこが「学問」で
どこが「科学」なのか
当初、わかりずらかったのですが



ああそうか、
と気づいたときには
彼女の論理に引き込まれるばかりでした。




選択です。



なにをどう選択するか



今後
彼女の著書を丁寧によみながら
考えていきますが




こおろぎは

多くの人の悩みは

本人が相当な部分、解決できると思っています。




ただ
選択を変えるだけでいいからです。







こおろぎ自身、
花や料理やファッションについて
こおろぎと同年代の人の平均より長く時間をかけて
学んできたことは事実です。



そして指導の歴史も長い。



けれど

それが最高のものでないことは確かなのです。



こおろぎの教室を選ぶか

他の教室を選ぶか、



それは各自にゆだねられていることです。


大学を選ぶのも

選択権がそれぞれにあることを自覚し


その権利をどう生かすかを考えたらいい。



就職は
道が狭い不幸に苦しむ人が多いのでしょう。



けれど


人を捜している領域は
極端にいえば無数にある。



不幸を増幅させない方法も無数にあるとうことでしょう。


大昔、莫大な借金を背負ったとき、
こおろぎは
土地も家屋もなにもかも要らないと本当に思いました。

しかしそれを放棄するほうが難しかった。



しかたなくこおろぎは
それを守る選択をしたのです。




でも
祖先からの土地にしがみつくばかりに
一族家族、みな幸せになれないところも多々あります。



捨てる選択も
捨てない選択も


その選択自体が権利だと
こおろぎは今思っています。



愚痴を言うなら
言わない方法を選択すればいい。


わがまま、ではないのです。




愚痴をいいながらなにかを続ける不幸は
ほんとに不幸ですからね。




昨今のいじめの問題もその延長かもしれない。


こどもたちに、はやい段階で

選択する自由があることを教えてやればいい。


群れることに疲れたこどもたちには

群れないでひとりですごす自由も
選択できることを教えてやればいい。




朝から活字をよみすぎて 
少々脳が活性化しています。



今朝、お弁当を包みながら
ころすけさんが

現代国語も古典も
かつては某高校で一番だったこともある!と
豪語している
いにしえの栄華しか自慢できない情けない母親に


「これ、読んでみる?」と手渡した問題。



見れば模試の問題2問。


ひとつは早稲田。


「こういう問題はねえ、まず問題文を読んで、選択肢を頭にいれてから
本文を読むのよっ」と


昔、某予備校で
先生がたりなくてうっかり小論文と現代文まで指導した経歴が
うずうずして
偉そうに言ったものの


その問題文の選択肢がわからない。
形而上学
というのはなんとかわかるとして

形而下学的って同説明するのだったか・・・


え?
なにこれ?



は?
こんなのわかるはずない・・・


という設問ばかり。



いやあ・・・


記述式の問題って
こんなに難しいんですね・・・






プライドのぷの字のかけらもないこおろぎセンセーは
即、降参。



今どき受験生ってすごいんですね・・・。
模擬試験でこのレベル・・脱帽。


世のおかあさんたちが
ちょろちょろ受験勉強していた時代とは
問題が全く違いますわ。




脱帽して降参しているこおろぎに
にんまり笑って、ころすけさんが手渡したのは
東大の問題。



ぐっ。


ぐぐっ。


とうめきつつ、
あらら、この文章どこかで読んだわっ
あららっ
こおろぎセンセーの講義の内容とちょっと似てる・・・



「身体(からだ)は、ひとつの物質体であることはまちがいないが、
それにしては他の物質体とはあまりにも異質な現れ方をする。」



そう、その問題文ははじまります。



「わたしたちの気分が縮こまっているときには、わたしたちの身体的存在は
ぐっと収縮し、じぶんの肌ですら外部のように感じられる。
身体空間は物体としての身体が占めるのと同じ空間を構成するわけではないのだ。」


とここまで読み終えて
作者の名前をみて納得。


大阪大学の元総長、鷲田清一先生の
「普通を誰も教えてくれない」より

とありました。



鷲田先生のことは
以前も幾度か書きましたが
こおろぎに多大な影響を与えてくださった先生のお一人です。



武庫川女子大の生活美学研究所で
博士課程をすごしたこおろぎは
鷲田先生の講義が数少ない必修の授業のひとつでした。


生物学を専攻しても
行きつくところが哲学かもしれない


そう思っていたこおろぎに
明るい陽が挿した瞬間でもありました。



まあそれはいいのですが



なるほど


こおろぎが博士課程で読んだような文章を
こんなに細かく質問するのかと



たとえば




「わたしがなじんでいたこの身体は、よそよそしい異物として迫ってきさえする」とあるが
このようなことがおこるのはなぜか、その理由を説明しなさい。





・・・・・。「わたしは身体をもつ」ということと、
「私が身体である」ということとのちがいを、筆者の論旨にしたがって説明しなさい。





ううううううううっ。


つらいっ。



ころすけさんが解けたかどうかなどどうでもよく


なるほど・・・



東大というのはこういうことを聞いちゃうのね・・・と
初めて見て絶句。




でも

こんな設問に答えられる学生がいることを嬉しく思います。



こんなのできない!
こんなのできて意味あるの?


そんな風に一蹴する風潮が大嫌いです。


世の中、勉強ができる人への奇妙な「差別」ありますからね。


「おばかさん」のほうがずっと人間らしくていい、という風潮。



スタンダードプードル飼ってる人より、雑種飼ってる人のほうがいい人だという風潮
・・・あ、これ、ちょっと違うか。



とにかく


限られた時間で
鷲田先生の文章を瞬時に理解し、解釈できる能力を求めることに
意味がないはずはありません。



朝から
こおろぎは
中国茶を飲みながら
深いため息をついたのでした。




ころすけさんの前にも
たくさんの道があります。

カタい決意で
なにがなんでもその道を、と
思い込んでも
かなわぬときは道を変える、それが
選択の自由です。


こおろぎもそうです。

つねに
評価と批判は背中にあるのが人間だと思うことです。

どんな人も
かならず
評価されつつ批判されていると思えば楽なものです。


それを前提に
自分の道を歩くしかないでしょう。


もうこんなトシ。
でも未だこんなトシです。


こおろぎのママは
デイサービスの敬老の日の集いで
88歳のお祝いをしていただくそうです。


さあ大変、どのキモノ?
どの帯?
帯留めはどれ?


大騒ぎ。

88歳にして嬉々として前を向いています。

彼女の人生の選択は
正しかったかどうか
それはわかりません。
正しいかどうかより
「今、どう暮らすか」ということにもまた
選択の権利があるのですから。


まあ
ママの場合、
どっちのキモノを選択するか、が
目下大問題のようですけれど。


さて
こおろぎセンセーは
10月をめざして
大きな変革を考えています。
1985年に生まれた花と料理の学校、エコールドフルール、
そしてその翌年設立した生活文化研究所ですが
今こそ、しっかり形を整え直す時かと思います。
なぜなら
本当に時代は変わったからです。
そしてこおろぎも
やっとこんなに年齢を重ねることができたからです。
若い方々の応援を得て
これから先の研究所の運営を考えていきたいと思います。

こおろぎのアトリエの大掃除は
その貴重な第一歩。
がんばります。

そのこおろぎセンセーは

まじめさのカケラも見えないこの表情。
今週の魔除けです。

そして当然、
このキモノも片付けられず
一つ通帳も家の中で紛失し、
本当に楽しみにしていた、NHKのプロフェッショナルの
高倉健第二弾を、あまりに緊張して待ちすぎて
始まってすぐに爆睡してしまうという愚かさ、


難しい生命科学の本を読んで寝れば、
大量のカメムシに襲われる夢をみて
絶叫して飛び起きる悲劇。


机の隅でみつけた古い爪切りを
試しに使ってみようと挑戦して
ひどい深爪をして激痛。


おまけに電気釜に蓋に指をはさむという
前代未聞の大惨事。


季節柄、軽い喘息の発作が起こったのが
せめてもの人間らしい状況でしょうか。


週の後半は少々多忙です。
楽しい報告ができればいいのですが・・・



よい秋の一日を!


追伸:今朝、こおろぎのアトリエから
大量の雑誌や書物が運び出されました。
KIKIの受験時代の、Z会の通信教育やら
なにやら。7年違いの妹に残したものの
その妹は2浪で方向かえましたから
10年近く、保留していた資料がどっさり。
そしてこおろぎの古い資料。
そして心を鬼にして文学全集など何セットも。
こおろぎの両親、カブトムシの両親、それぞれが
頒布で集めた全集がどっさりありました。
なんとかしなければ・・・と思っているうちに
カビがはえました。
決意の時です。


たぶん、回収にきた小さいトラックは
こおろぎの家の荷物だけで山積みになったと思います。

ふりかえらず、ころすけとせっせと出しました。

これもまた熟慮の末の選択です。

小さく胸が痛みましたが、

カビが生えるまえにしかるべきところに寄付できなかったことが悲しく、
利用できる方法を思いつかなかったこと、時間をかせいでしまったことを
深く反省し、
今後のモノとの関係を考えていこうと思います。