モノ思う犬と私

九月になって時間の流れが
突然はやくなりました。

これは一大事。

ぼーっとしてはいられません。

もうすぐクリスマスです。

あれもこれも途中おこおろぎセンセーは
大慌て。


今日は昨日に引き続き、イチオシモーニングにおじゃまするところから
一日が始まりました。


朝日新聞に理系の女子が増えているという記事があり
彼女たちを「りけじょ」と呼ぶようですが、

就職先も増え、
こおろぎの時代とは大きな違いです。


理系も文系も明確な区別は実際は不要かもしれませんが
今の入試制度ではいたしかたないこと。


希望の学問領域で思い切り学べる人が増えたのであれば
なによりです。


こおろぎセンセーは
第一志望が医学部で
第二志望が文学部(国文学)で
第三志望が工学部(建築)で
第四志望が体育学部(舞踊)でした。


いったいどういう高校時代をすごしたのでしょうか。

最終的に農学部ですからね・・・・。


今月、高校三年生のときのクラス会があると
ご案内が来ましたが
研究旅行の日と重なり残念。


出来れば当時の担任の先生に
40年ぶりにお会いして

若き日のこおろぎを
なぜもっとしっかり教育してくださらなかったのか
詰問したいところでしたが
残念。



数年前、高校時代の副担任で
こおろぎを高校三年のときに体操部にスカウトなさった
勇気ある体育の先生と再会しました。

新体操を広めた、本当に美しい先生でしたが、
今もかわらぬ美しさと姿でした。


このセンセー曰く、

「医者になれないなら、小説家になる、絶対に芥川賞をとる」と
体育教官室で、若いこおろぎが泣いたというのです。


そ、そ、そんなことがあったかもしれない・・・・


若気の至りです。

で、

こおろぎはこおろぎで


そのセンセーが

「医学部は向かないから
体育学部に進んで、ダンスを専攻しなさいよ」

と、当時、誰もこおろぎに言わなかったことをおっしゃったことが
その後も長く耳に残ったのでした。



あ、そうか・・・

だからか・・・・。


ころすけさんが
医学部志望から文系にかえたとき、


こおろぎのアドバイス
漠然とした「文系」より
バレエとダンスが得意の彼女に

体育系の学部を勧めたんだったわ。


そうか
時代はこうして繰り返すのですね・・・。

めでたしめでたし。



さて
家庭内発掘作業も遅い歩みながら
進んでおり


ありがたくも
レコード群を掘り出しました。



貧乏学生の頃、
アルバイト代をためては買い集めた
古いレコードたち。



マル・ウオルドロンのジャケットをみつけたときは
涙があふれました。


時代を一つ区切りたい思いで
昨今仕事をしています。


エコール・ド・フルールの名前も
内容も
今こそ吟味し直すときかもしれません。


大学での立ち位置もです。


なにもかも
そのままでいいはずはありません。


中途半端なキモノの管理も
カブトムシのママであり、こおろぎの師匠であった
荒井恵美子先生の、膨大な書籍と食器、レシピの整理も


今こそ
本腰を入れてやる時に思えています。



秋ですからね・・・。



さて
ころすけさんは
こおろぎの、体育学部へのおすすめを断り
あくまでも希望の学校をめざして
日夜、元気に明るくお勉強中。
Blogは、なかなか更新できないようですが
それでもとても楽しい文章と写真を載せてくれています。

そんなころすけさんが大好きなりきまるさんは
ただただしつこくアタック。

ほんのちょっとでも隙をみせると

こんなふうに


こんなふうに

さらにこんなふうに

ただただしつこい男の子です。

ふと遠くから
犬さんたちの声が聞こえたら

さすがに鈍感なりきまるさんも
我に返った様子。


さっさと自分の「部屋」に帰って

爆睡。

本当にシンプルなライフスタイルです。

余分なことを削除した
実に理想的な生活です。


こおろぎも
シンプルに暮らそうと思います。


相当難しいかと推察されますが
挑戦してみようと。



そうそう
山口青邨の苦に




こほろぎの この一徹の貌を見よ





というのがあります。
秀句選にみつけて手がとまりました。


こおろぎのあの貌を
歌舞伎役者の隈取りと見たのか、
思い込んだら命がけの貌だととらえたらしい。
山口青邨の視点はすごいです。多々虫を読んでいます。



虫の命に感動できる人がいい・・・



こおろぎは
自分がこおろぎだから言うのかもしれませんが
そんなことをおもいながら
せっせと今日も働いています。