完全脱皮

先週末、すすきの祭りに行きました。

こおろぎセンセー、ほぼ完全復帰です。

雪祭りより
よさこいソーラン祭りより


こおろぎは
真冬のミュンヘンクリスマス市と
大通り公園のオータムフェスタが好きですが



いやいや
やっぱり
すすきの祭りが一番かも。



毎年、素通りしていたのですが

今年は
20歳になったころすけと
カブトムシと三人で
はじめて繰り出しました。

小雨にも関わらず
すすきのは大にぎわいでした。


こおろぎも
腹八分どころか
腹半分の生活が一週間続き、

ますます小さくなっていたのですが

これは昆虫なら脱皮の直前の現象のひとつかも。

食欲も復活。



歯が腫れたり、熱が出たり
トイレに落ちたり、なにかと不遇だったこおろぎも

そろそろ脱皮時期かと。

ワクワクです。




そうそう
このところは相当な忙しさにもかかわらず
オリンピックもちゃんと横目で見ているこおろぎです。


思うところがどっさり。


まあ
他の人と見方や見るところ、違うかもしれませんけど・・・


たとえば


花束。


こおろぎこころから 
こころから
日本の花束、残念に思います。


花束って

花を束ねるだけでいい。


輸送、移動、保管
そういう為に包むのです。


もちろん
装飾的機能をもつ
「雄弁」な包装紙、ラッピング資材はあります。
複数重ねてそれも作品の一部になるものも
確かにあります。
でもそれは
希有。


力のあるフローリストじゃなければ
花との一体化は無理です。



パリのお花屋さんの
ヨーロッパのお花屋さんの
あの作り方


真似できませんね、日本では。


「花」ではなく
『商品」だからです。



「人はなぜ花を愛でるか」

という本があります。


日高先生が中心になって展開なさったシンポジウムをまとめたものですが



人が花を愛でることと


人が花を買うこと
贈ることは


どうやら
現代の日本人にとっては違うことのようです。





長くなりそうなので
本日の結論・・・・

花は枯れるものです。

枯れることにも意味があり、
そのことも含めて
贈り主の思いを伝えるものです。


オリンピックの表彰台で
贈られる花束をみて

色やデザインを言うひとはたぶんいない。


勝者に贈られるには
生花が一番。
そして
ぽーんと投げることができるサイズ。


いくつの花束が投げられたことでしょう。



枯れることを気にせず束ねる時代が
日本にもくればいいのに。



パリのお花屋さんなんて
アイビーの蔓で
茎をしばりますからね。


切り口を濡らして枯れないための工夫をするのは
もはや花束ではなく
アレンジメントです。


それも必要。絶対に必要。

そして

これからすぐにだれかに 手渡す・・・
そんな花束は

包まずに渡す・・・
そういう、生の花の贈り方が
新たに生まれることに期待!

ということです。


大昔、こおろぎは
シャンソン歌手3人に花束を作った夏がありました。

思えば25年暗い前。


一人には赤いバラ1本に黒いチュールだけ。


もう一人には穂咲きナナカマドだけ束ねて白いリボンだけ。


もう一人にはひまわりだけ。

だったはず。


ステージでとても素敵で、
お問い合わせをいただきました。


予算もあり、時間もあり、管理もありますが
生きている花の贈り方、
ちょっと再考できないものか


オリンピックのかわいい花束を見て思っていたら・・・・






日曜日は
バレエの舞台を久しぶりにたのしみましたが


最後に贈られた花束を見て
またこおろぎは愕然としました。



花が見えない。



どうでもよさそうに包まれた
和紙とセロハンを重ねた包装
観客からは
絶対に深く考えていないと思われる
フツーの包装ばかり目立つ。
価格がすぐにわかりました。


がっかりです。



プレゼンテーションの花束も


さりげなく束ねたものが
手渡せされる時代が
くればいいのに・・・・




こおろぎは
ほぼ復活。


すすきの祭りでは
屋台で焼き鳥食べたあとは
こんなお店で
ヘミングウェイがあいした
こんなお酒をいただきました。


本日のイチオシでは
KIKIがおいていった白いブラウスに
Johannna.hoの真っ赤な七分そでのカーディガン。
それはまるでオリンピック風。

意図したのではなく
手元にあっただけですが

まあ元気そうなセンセーでしたわ。


こおろぎセンセー
こんな年になっても
まだまだ脱皮する気らしいです。


御期待ください。