重い週末

北海道は豪雪。
わが家の前の道は砂丘のような状態で、足が埋まってスムーズに歩けず。
宅配便のトラックが何度も埋まり、そのつど、スコップを借りにいらっしゃいます。

でもそれが北国。

覚悟の在住です。


こおろぎ、ソコソコ元気です。
が、

複数の作業を同時進行させているため
家中が大混乱。
モノ、モノ、モノ・・・

雪にも埋もれ
モノにも埋もれ
論文にも埋もれ

胸やけ気味の週末です。


昨日はイチオシモーニングとイチオシ、
憤るニュースや話題もあって
力こぶ握ったり
オクラホマの河野クンや、司会のみなさんの
明るい応答で笑ったり
悲喜こもごもの時間でした。

そして

こおろぎは
コロ介と正座して
フジテレビを見ました。


野田聖子さんの子育てのドキュメント。


ご覧になった方も多いでしょうか。



こおろぎは生命科学を教えています。

生命とはなにか

これが授業のテーマです。

明確な答えはありません。

でも学生さんたちには
精一杯考えてほしいと切望しています。




治療の一環として体外受精は一般化しました。
けれど
代理出産や、他者からの卵子提供や精子提供は
日本では認められていません。

なぜでしょうか。

その議論が行き渡らないのが不思議ですが

それほど難しい問題だということです。


議論が熟し、それも一つの方法だと
許されれば、それはそれで技術と時代の進歩だと
こおろぎは納得するかもしれない。


けれど

そんなに遺伝子の継続に
意味があるでしょうか。


DNAそれ自体に、自己複製能力があります。
「複製」それ自体は、条件次第で「自然」に起こるわけです。

その延長上に受精があります。

しかし
それが難しい場合、
人工的な操作で不可能を可能にできるようになったのはいいのです。


でも
向井亜紀さんのように
なんとしても自分たちの子供が欲しいということで
自分たちの遺伝子を持った子供を海外の女性に生んでもらった事実を
こおろぎはまだ理解できずにいます。
技術的に難しいことではないだけに
腑に落ちない理由がなかなか探せないでいます。


そこに
精子は夫のものだけれど
卵はアメリカで「調達」して
自分で生む選択をした野田聖子さんの
決断。


彼女を理解しようと
こおろぎは相当な努力をしています。

なぜなら
彼女は
なにがどうであれ
有能な女性だからです。
仕事のできる女性だからです。


その彼女が
「日本で許されないこと」を
やることへの疑問。

そして
きわめて現代的な、
女性たちの未来の旗手のはずの
その彼女が

野田という姓にこだわり、
事実婚だったパートナーに
野田姓を名乗ってもらうこと
そして
お子さんを「あとつぎ」と表現することの
違和感。


血縁とか、名前とか
それほど大切か、
こおろぎは疑問です。


こおろぎ自身、幼少期から高校卒業まで
17代目の跡継ぎだと言われて育ちました。
なにがなんだかわからないのですが
お嫁には行ってはいけなくて
お婿さんというのをもらうのだと
存命だった大叔父やその周辺の方々に
言われました。


けれど
父は「時代は変わった」と一言。
祖父も長男でありながら家を捨てた人でした。



莫大な資産があれば
お話は別なのでしょう。


そうか
問題は
財力か。


一つの番組をみながら
本来は野田聖子という女性の選択と
お子さんの闘病を考えるべきところなのに

こおろぎは
いつのまにか
彼女の「なまえ」と「あとつぎ」へのこだわりの理由が
気になってきました。



治療費も個室料金も
なにもかも想像を越えるはず。
不妊治療費も
今回の出産までの
費用も
庶民の想像をはるかに越えるものです。


彼女の手帳がアップになったとき


不妊治療の「失敗」とか
卵の消失等を、生物学の実験のように記録。


それは私の授業のようで
母親の感覚とは違うメモでした。


番組を通して
ゆれることなく野田聖子さんは
淡々と冷静でした。

冷淡に見えた人もいたことでしょう。


あれは
彼女の「照れ」だと
こおろぎは思いたい。


批判の中、子育てをしなければならない以上、
オロオロとメソメソとしていてはいられない。


50歳で決断した大人としてのプライドは
若い母親のように「おぼれない」ことを選ばせたのだと

そして
そんな自分に「照れて」いるのだと
こおろぎは思いたい。


そうでなければ
どうにも納得ができないからです。


番組の制作の意図はなんだったのでしょう。
わかりずらかった。


生命力の強さか

それなら成功です。

本来なら、いや従来なら
自然界なら存在できない命を
大掛かりなマシンのもとで
守り切ったのですから


そして坊やは眼を開き、
笑い、成長しているのですから。



番組は
医学の進歩を伝えることにも成功した。
看護の力も私たちに伝えた。


でも
赤ちゃんの病気は
残念な偶然の重なりであって
野田聖子さんの「わがまま」や選択とは
無関係であることも知った上で


仮に、
なんの障害もない赤ちゃんだったとして


こおろぎは
疑問なのです。


可愛い赤ちゃんでした。
まつげの長い、とんでもなく可愛い赤ちゃんでした。
アメリカ人でしょうか、卵提供者の女性の遺伝子が
赤ちゃんを「西洋人」の顔にしていました。


その可愛さを

「ハンサムに生んであげたと自慢したかった」と
以前野田さんが語っていらっしゃった言葉が
忘れられません。



日本人の遺伝子より
アメリカで得た遺伝子のほうが
可愛いと言いたいわけではないでしょうけれど

ああ

命に
かわいいもかわいくないもないわけで


すべてが
野田聖子という人の
「照れ」であってほしいと思います。


番組をとおして
登場時間の少なかった「精子提供者」である
出産後婚姻届けをだした配偶者について
大いなる関心があります。


ひとりの女性の決断と
行動のパートナーを
なぜ番組は、もっと取り上げなかったのか。
不満です。


彼の意見、彼の動き、それが知りたいです。


彼にとっての子供観が聞きたかった。


こおろぎ
モノを捨てるの捨てないのという
領域であれこれ考えながら
3月〆切のつぎのテキストの執筆にうなっていますが

野田聖子研究をつづけようと思います。

それは
こおろぎが生命科学を教える機会をえているからです。


子供は
父親と母親の遺伝子をうけとって生まれるものです。

いいかえれば
遺伝子を分けた人は間違いなく「親」です。

ただし、
遺伝子を分けただけで
親だと権利を主張することは断じてゆるされない。


血だの血縁だの
それだけではない「何か」が
必要なのが人間です。


生むという物理的生理的な行為をもって
母親だと主張することもまた
違和感があるのも事実です。


長い時間がかかると思いますが
こおろぎは
一人の女性政治家に注目していきたいと思います。


たぶん
彼女は
何か勘違いをしている。


それがなんの勘違いなのか
こおろぎは今はわかりません。

漠然と感じている「照れ」の実体が
なんなのか。

もしかしたら
家とか名前に、彼女自身が気づかないうちに縛られていたのかもしれない。


いずれであれ

番組を見て

こおろぎは
眠れなくなりました。

珍しいことです。

困惑混乱して
神経が活性化してしまった感じでした。

冷静に
今後考えていきたいと思います。






なんだか難しいことを考えているこおろぎですが

以前ブログに、やけに上手なキリギリスの絵を載せましたが
ご要望にこたえて
チョー下手っぴな次の作品を。



ホントーに下手です。
預かっていたスピッツの「しろ」の散歩とのこと。
絵日記のために、いやいや描いたのが明白な作品です。

でも、デッカい「しろ」にひっぱられている様子は
まさに「未来」を予言していますね。
今のこおろぎとりきまると全く同じ。
当時から緑色が好きだったことも理解できます。
実に全くお粗末様でございます。


今週末も時間に余裕はありませんが
「おいしいもの」を食べたいです。

カブトムシのママの残した何千というレシピのなかから選んだものを
今風にアレンジしたのが
このご飯。

相当おいしかったです。
豚肉とネギと舞茸。
にんにくもきかせて
味はコンソメ

冷凍の枝豆を仕上げにまぜてできあがり。

新鮮な炊き込みピラフでした。
改良を重ねて、近くお教室で。


難しいことを書いてしまいましたが、
考えてこそ、人間。
悩んでこそ人間。

なかなかまじめなこおろぎです。

よい週末を。