のんびり生活のすすめ

今年の文化の日、こおろぎは
菊の花の美しさを謳歌しました。

札幌駅から大通りまでのコンコースに
たくさんの菊。

品評会でした。


ため息の出る美しい花たち。

なにがどうして
こんな風な花びらの色と重なり・・・

不思議でなりません。


薔薇は確かに美しいです。

まあ、
花はどれも美しいわけですが、
これほどたくさんの菊を見ると

菊の美しさこそ

日本の古来からつながる美意識に到達しそうで

ため息ばかり。




冠婚葬祭が
家族や地域の手を離れて
外部化されると同時に、
当然、葬儀もビジネスになったわけで


葬儀、仏事の花としてイメージを固定された菊に
心から同情します。

しかも
本当に短い期間で
そのイメージは固定されたのです。


イメージといえば、
神前結婚式も
明治時代に仕組まれたイベントであって
けして古来のものなどではありません。

まあ
明治を「昔」と思うかどうかの問題はあるとして、


あっというまに
「あたりまえ」になってしまうものの怖さを思わずにいられません。




日本人の手で作られてきた美しい花、
造形美として恥じない美しさを
マダムこおろぎ、一人でしばし堪能したのでした。



さて


その後、こおろぎはなんとか元気です。



体調はボチボチです。


完全復活宣言したものの、
そこはイキモノでしたわ、こおろぎも。


有機体としての存在には、機械的な故障もあるようで
たいした故障ではないものの
多少、油を注すとか、ねじを締めるとか
しなければならないようで


「無理は禁物」生活を継続することにしました。




自分のレントゲン写真や、
様々な数値を前にすると
本当にその存在の小ささを確認できますね。



何を論じようが、語ろうが、
有機体なのです。
ただのイキモノ。
摩耗もするし、故障もするし、エラーもでる。
それがあたりまえなのだと
痛感しました。


これは老化とは無関係で、
イキモノとしての自分というものを
しっかり意識することが大切。
有限の命だと意識するだけで、
生き方、暮らし方は違ってくるのではないかと
つくづく思う昨今です。
そして、だからこそ、
やっぱり生物の教師を続けていこう、
と思うのです。




そして
人間なんて
ただの有機体なのに
なにかを美しいと思ったり、
素敵だと思ったり
感動したりするわけですからね、人間は。
次々に美しい菊の花を生み、
次々に新しいモノを作り出し、
集めることに躍起になった挙げ句、
今度は捨てろと言ってみたり、
片付ける苦労を背負ってみたり、
不思議でならならないイキモノなのです。


これをおもしろがらない理由はありません。



さて、本日から、
マダムこおろぎの「美味しいモノ見つけた」シリーズがスタート。



え?
聞いてません?
はい、言ってません。

突然思いついたのです。
すみません。


初回は
袱紗屋のカステラ。

いやあ、これ、カステラですから。



こおろぎは
無類のカステラ好きです。
カステラをフライパンで焼くのが大好きです。
底面の薄紙をはがすワクワク感、
その紙についてしまった甘いお砂糖の固まり・・
カステラはいつだってワクワクです。


こおろぎは幼少期、風邪をひいたり
寝込んだら、いつもカステラにバターと牛乳という
スペシャルな「お病人おやつ」が楽しみでした。


文明堂のカステラだったかどうだったか。


文明堂といえば、
かつて東京神田に
内外鶏卵問屋「荒井商店」がありました。

築地のテリー伊藤さんのご実家と
神田の荒井商店は
卵問屋として二大看板だったのでしょう。


卵が貴重だった時代、
卵黄だけ、お菓子屋に卸したと義父はなつかしそうにいつも話してくれます。



文明堂にも卸していたのだそうです。

その荒井商店を
名前だけでも残したいなあ・・・と
嫁こおろぎは思うわけです。




あ、写真のカステラのお話でした・・
これはデーンとドーンとでっかく重いカステラのイメージを
ひっくり返してくれたキューブです。


小さい二切れが丁寧に包まれています。
箱の色と無関係に一種類。
小さい折りたたみのフォークもついています。



ポップに装った伝統の菓子に万歳!


ちょっとしたお茶にコーヒーに
最適なサイズ。

移動の多いこおろぎは今はバッグにもしのばせて
タクシーでパクリ。

贈り主のセンスが光るギフトにぴったりです。




以上、贈答文化研究家(突然名乗ってみました)マダムこおろぎ大先生でした。