こおろぎ 故郷へ帰る・・

朝早いJRに飛び乗って、
こおろぎは小学校、中学校、高校時代をすごした街へ行ってきました。

こおろぎは街の真ん中で育ったので
街の真ん中にあるこの公園にはよく行ったのです。
高校も近かったし・・・

迎えにきてくれた友達が
なつかしいでしょ、と案内してくれた公園、

油断したら涙があふれそうでした・・



さて

こおろぎ、
朝からでかけたのは旭川
もちろん、目的は「べこ餅」です。

佳境に入った研究ですが

どうにも腑に落ちないことが多すぎて

せめて道央の街は調べないと・・・と


かつての同級生に相談したところ
下調査と電話、ご案内と
完璧なご協力を得て、


こおろぎ、4軒のお餅屋さんで午前中に取材完了。

結果は

さて
どう考えるべきか・・

どの店も、古い・・・と言っても
50年。
こおろぎがこれまで訪ねた海辺の町では
90年、100年というお店が多かったので
このあたりもどう考えるか、です。


とはいえ、
どの店も美味しい。

これはこれで大発見。

旭川はべこ餅が美味しいです!



お昼は、たまたま金沢から帰省していた友達もいっしょに
それはそれは素敵なイタリアンでランチ。

秀逸でした。

こおろぎは、「学校」に恵まれたような恵まれないような
まあ、努力不足もあって
今ひとつ超一流どころを歩きそびれているのですが
中学校は自慢できます。
北海道教育大学付属旭川中学校を、なんと9教科の試験を突破して
合格したのでした。
えらかったなあ・・・わずか1ヶ月の受験勉強だったのに。
もしかしたら、こおろぎは
12歳で全能力を使い果たしたのかもしれない・・・
とにかく、国立の中学ですが
制服などなく
当時完全給食で
掃除は電気掃除機を使い、
一人一台、オルガンは用意されていて
あれもこれも、今思えば最高の環境でした。

そのときのお友達が今でもずっと
支えになってくれています。


長く会わなかったのに
べこ餅さがして東奔西走するミツコちゃんを応援しようと
力を貸してくれて
感謝するばかり。


それぞれが
親の介護で必死。

みんな涙をこらえてがんばっています。


そんな年齢になったのです。

一人ではありません。

みんなそうなんです・・・


そんな中、

こおろぎはやっぱり
かなり強い娘であり、
強い妻であり、
強い母なんだなあと


今日は痛感したのでした。


みんなやさしくてびっくりです。


こおろぎは鬼のような娘であり
妻であり
母なのかも・・


ま、いいかっ、ごめんなさいねっ

今さら変身もできないしね。
悪しからず。



旭川往復のJRの中で、
論文の資料を広げて乏しい頭脳を酷使しても

必要なのは、今は時間。

友人たちは、こおろぎが最も「怪しい」と思っている
「断捨離」に挑戦中だといいますが

ああ
捨てなくていいものは捨てない、という
こおろぎに賛同してくれる人はいないでしょうか。


捨ててさっぱりしてどうする?
モノにはモノの意味があります。
無意味であっても、無意味という意味がある。

こおろぎ、このたび「道具学会」に入ります。
モノについての研究も開始予定。

モノから解放されて
さて
どれだけの自由が得られるか。

モノに占領されただらしのない生活にあふれる
怒濤のような記憶を紡ぐことで
自身の輪郭がやっととれるように思うのは
こおろぎだけではないはず。


・・・なんて
難しいこと言ってはみたものの
要するに片付ける時間がないだけなのですが


それでも
なんでも捨てる人が
捨てない人より、潔くてかっこ良くみえることには
多いに不満を持っていることは確かです。

「こんなモノ」を、
アホのようにとっている人

・・・のほうが、今のこおろぎは
信用できそうに思うのですが・・・

せめて、そう思っていさせてください。

だらしない自分を正当化しないと
どうにも情けなくて・・


いざ、出陣。
椎名誠と、東海林さだおの文脈から
現代日本の食文化をさぐる作業も同時進行開始。


こおろぎ
故郷に帰って
ちょっとだけ
元気になりました。