閑話休題・・・ひとやすみ

センセーはどうしてそんなにお元気なんですか?と
時々聞かれますが、
元気かなあ・・・と不思議。

ダラーっとしてる時間が
どっさりあって
グダグダしていて
それはもう
実に「生き」の悪い蛸のようなこおろぎを
みなさんご存知ないだけです。


こおろぎの「美白計画」ならびに「ハイビジョン対応顔」を
応援したい皆さんもいらっしゃるのですが
当のこおろぎは、計画通りに
顔さえ洗わず、ソファーでそのまま寝る事しばしば。
いい年をした大人がやることじゃあないです。
なにかと反省の多い昨今ですが

本日は
意識してダラダラしてみました・・・

と言っても、
「意識」した段階で
こおろぎはダラダラすることにも計画性が必要になり
結局、がんじがらめのダラダラで、ぐったり疲れたのでした。

本気でダラダラすることは
実に難しいと知りました。


上の写真は、以前も載っけたものかと思いながら、
こおろぎの大好きな器です。

食用ほおづきをのせて前菜の前菜。
日本風アミューズってとこでしょうか。


そして、同じ器でデザート。

さて、ここで問題です。
この白い食品はなんでしょう?



今月のなでしこ倶楽部のメンバーは答える権利がありません。



まあねえ・・デザートで白い・・といえば
あれか、これか、それか、あんなものか、こんなものしか
ないですけれど・・・・




均等に簡単に分けられる、あるモノです。


センセーっ、偉いっと、なでしこ倶楽部の面々に
おだてられて、この日もちょいといい気になったのでした。


さて
すすきの市場には、食卓を飾るこんなきれいな紅葉などを
売っているお店があります。
この写真は、先日のモイスティーヌ札幌サロン主催の「さっぽろキレイ塾」の
お茶の「ひとくち」。
この洋皿にも木の葉を添えてみました。


お菓子は
カプチーノ味のビスケットと
オレンジ味のチョコレートと
栗味の和三盆。

激安にして極上の組み合わせと自負。
こおろぎ渾身の「ひとくち」でした。



「意識的グダグダダラダラ」生活を試みて
疲労困憊してしまったこおろぎですが
執筆等のほかに何をしたかというと
「片付け」です。
あまりに普通ですが
モノを捨てることを試みてみました。



近年話題の「だんしゃり」(あえてひらがなにします)に
挑戦してみました。
(この言葉は登録商標だそうです・・)

思ったとおり、実にカラダにわるい。



角川SSC新書
「仕事に効く「断捨離」」やましたひでこ著

を先日飛行機で読んでみたので・・・。


でもこの本、
イントロの「はじめに」を読んだだけで
ザワザワと不快になり、
読み終えるには相当な努力が必要でした。


筆者は
執筆の途中で今回の震災があったことに触れ、
「このとき、このような本をつくることに、どれだけ意味があるのだろうと
戸惑いと逡巡の中に迷い込む・・」(P3)と書いています。



しかしながら、
本文には、この大きな震災で
なにもかも無くした人たちへの配慮など
ましてや、「瓦礫」と表現される[大切な」生活財の
山のなかから、一枚の写真を発見して涙ぐむ人たちが
これほどいる現実への言及はひとつもなく


もちろん、「はじめに」で見せた
戸惑いも逡巡も全くみられない
いつも通りの、自信に満ちた「すっきりした暮らし」のご提案でした。



こおろぎは当初から
この手の「捨てなさい」本が苦手でした。


いつか、近い将来、
「捨てなさい」本論をまとめたいと思うほど、
こおろぎの研究の真逆の立場の人たちが筆者だからです。


しかし多分、
こおろぎのような感想を持つ人間は少ないのだろうと思っていたら



今回武庫川女子大での打ち合わせの席で
師匠である横川公子先生から
「・・・という考え方に反論なさっている先生もいらっしゃいますよ」と
心強いお言葉。


某大学の某先生が、「モノを捨てる」ということは
自分の歴史を捨てるということ・・・という
わかりやすい言葉で、「自分の過去、歴史・・」を残す大切さを
語っていらっしゃるとのこと。

うれしかったです。

やっぱりね・・・。



その「過去への執着」を否定することが
話題の筆者の論点の一つですが

一枚の写真を見つけて
涙している人に
それは「過去」なのだから捨てなさい・・と言う人はいない。
もちろんこの本の著者筆もおっしゃらないでしょう。




しかし
全体の論調はどの著作も同じで
すっきりとした「現実」と「未来」のため・・・という
堅実な美しい、実に明快な主張なのです。



ドロドロとした
モタモタした
ワクワクもした
そんなどっしり重い「過去の遺物」は
切り捨てて当然・・・
かもしれない。


しかし
その「過去」こそ
今を作った「現実」だったことを
確認しながらしか、人間は生きて行けない。


あらゆる文化は
時間の積み重ねから生まれたものであって

モノという物質、物体を媒介にしなければ
象ったり、感じたりできないのです。


モノより思い出・・というコマーシャルがありましたが
思い出はモノだとこおろぎは思っています。


こおろぎは
意識して片付けてみましたが


もう一生誰も使わないけれど、
カブトムシのママが使っていたバッグも
こおろぎのパパが出張の時使っていた洗面道具入れも
片方だけになった、我が家の「ぶさいくシスターズ」が赤ちゃんのときの靴下も
全部捨てるのをやめました。
その空間をあけたところで
なにが得られるのか、わからないからです。


本当に空間がなくなったら考えます。


生活空間は広ければいいという問題なのでしょうか。
モノも時間も「無駄」はつねに「悪」で「無意味」でしょうか。


なにかが足りない・・・


こおろぎは、「この手」の
「捨てなさい」本に、
いつも思うのです。



なにかが足りない・・・


歴史も文化も
そして人間というのがどれほど
「無駄」を愛するイキモノかという思想・・


とにかく
モヤモヤイライラした読後でした・・・



そして
仕事の合間に挑戦した「捨てる」作業は
結果的に
相当な時間を使ったにもかかわらず
わずかゴミ袋1個。
本当のゴミ以外、なにも収穫がありませんでした。
ただ、出っぱなしのモノが所定のところに戻っただけ。


「捨てる」ことが「かっこいいこと」だとは限らない。


本日のこおろぎ的暮らしのご提案は

「生物学的我楽多生活のすすめ」です。

ちょいと頭のいいイキモノは無駄、好きですよ・・・。


いいじゃありませんか、包装紙の10枚や20枚、きれいにたたんで
とっておいても。
お菓子の缶もケーキのリボンも、
100個溜め込むわけじゃないし。


今夜のこおろぎは擬音が多いかも・・



ダラダラグダグダ
ハラハラドキドキ
ドロドロモタモタ
モヤモヤイライラ
ワクワク・・


結局、今はまだ途中なので
寝る空間もないこおろぎです・・
が、

それがなにか?

どなたかにご迷惑でも?

いいじゃないですか・・
我楽多に埋もれて、身も心もダラダラでも。
すっきりした空間で暮らしたら
本当に頭もすっきりで
すばらしい仕事ができるのでしょうか・・・


こおろぎは
こおろぎ以上にひどい空間ですばらしい仕事をしている人を
山のように知っています。
そうですね・・・ものすごくどっさり知っています。


そして
このうえない片付け上手なのに
全く仕事ができない人も何人も知っています。


さ、
グダグダ書いていないで
ソロソロ、せめて寝床くらいは作ろうと思います。


上の写真は沖縄のブティックの片隅のディスプレイ。
アメリカンビレッジにあふれている品々は
どれもこれも「捨てる価満点」の我楽多系。
古いお店のマッチ箱が1個200円でどっさり積まれていました。
その我楽多が
人間をワクワクさせ、
想像力をかきたて、
思考の回路を潤滑にするのです。

我楽多万歳!
散らかり放題万歳!



今夜もご清聴ありがとうございましたっ。