気がつけば高齢・・・

甚だ唐突ではありますが

青年よ
大志をいだいてください。

この場合
青年には
当然ですが女性も含まれます。


どうぞ
大志を抱いて
しっかり歩いてください。

あっというまに年をとります・・・。


そして

年をとってしまった人たちに告ぐ・・・


なお大志を抱きましょう・・・・。


それ以外に
なにが楽しみで、
人生歩けるというのでしょうか・・・


大志ですよ、大志っ。


と言っても

でっかい夢を掲げたり、おお風呂敷広げたりするのではなく


なんていうのかしら、



もうこれでいい・・・的な


そんな開き直りはやっぱり百害あって一利もないですね。


秋深まってきて


大災害は増えるばかり。
こんな年の秋、こおろぎが思うのは


ただただ学んで、
知恵を出すことしかないのだと
それだけなのです。


電力会社は嘘をつき、
党員資格のない政治家がいつまでも発言権を持ち続け
福島だというだけで物産展も中止になり、
地形が変わるほどの大惨事は
どう修復されたのか


それなのに
私も周囲も
普通に暮らして行くしかないのです。


集めた義援金とて
その後どうなったのか


私たちの良心は
どこにあるのか



こおろぎ
相当まじめに考えこんだりしています。


前回、哲学者の鷲田清一先生のことを書きましたが
結局のところ、
こおろぎは鷲田先生の「良心」に
少し救われたということです。

それは
鷲田先生の知性に救われたということでもあります。


以前、
こおろぎと同じくらいの年齢の女性が
「こんな年になったのだから
もう人に頭を下げたくない」とおっしゃってた場面に遭遇したことがありました。
印象的でした・・・。


でも
同様のことに
近年頻繁に遭遇するのです。


「もう楽をしたらいいのに」とか
「楽がしたい」とか
「適当でいいですよ」とか
「今さら、面倒なことはしたくない・・」とか


50代、60代で
いったい何がわかるのでしょうか。


50代後半になって
こおろぎは「わからない」ことがわかった程度なのに。

どんどん「わからない」ことが増えているというのに。


たかがべこ餅で
こんなに[不思議」があって


調べれば調べるほど
その背景に
貧困の歴史や、繁栄の歴史、
喜びの歴史や悲しみの歴史が見えてきて
ワクワクするばかりなのに・・・


つまりその・・・


限りなく
学ぶことが
終わりのない歩き方が


多分
人間の唯一の救いなのではないかと

思うのです。



海は暴れ、
川も山も暴れます。

人が作った科学技術も
人を裏切ります。


裏切らないのは
学び続けるということを課した自分だけではないかと
思ったり。


いやあ
秋風に吹かれて
りきまるのウンチ取り散歩に出たせいで
非常に感傷的。


何種類ものホンモノのこおろぎの声を聴いて
考えることがどっさりある今夜のニセモノのこおろぎです。



ともあれ、
大志を持とうと、せめて私は
大志を持とうと思います。


とりあえず
アトリエの掃除と
ワードローブの整理、
書斎の片付け・・



小さい大志で申し訳ありません