新しい1週間

なんとなく、夏らしくない夏です。
理由はわかりません。
バーゲンにも心躍らず
旅にはさらに心は躍らず


蝦夷梅雨の続く中、
じーっとエネルギーを蓄えている
眠れる獅子か、不気味なこおろぎ・・・


な、はずはなく

ただただ
ボーっとしているのが現状です。


とはいえ、
お教室はゆったりと歩き始め

ホームページの表紙の
管理人みのりちゃんが「つぶやき」コーナーで
三陸支援おまかせセット」をご紹介しているように
ホームページも活気がでて
(なんとも楽しいセットなのでご興味あるかたは
トライしてみてください。
ただし、キキの初給料で贈られて
家族一同大騒ぎになったのは事実。
それほどイキのいいお魚が届きます!)


オリジナルギフト製作も進み、

ゆったりしながらも

なにより、こおろぎ、すでに若くもないのに
なんだか楽しげに新しい歩みを謳歌しています。



時代は確実に変わり、
問題は
変わる時代に、どう対応するか、それだけです。


最近読んだ熊倉功夫先生の文章に
かの千利休の懐石とて
わずか50年でその姿が変わりはじめ、
「喰いきり」から「持ち帰り」への傾向に流れたといいます。

「絶対」など「絶対」になく、
これこそが正解、正しい方法、というのもないのです。




つねに、文化は
一つ前の時代を否定するところから生まれるのだと
熊倉先生にして書かしめる、
その言葉の重みをかみしめています。


ああ、あの人も年をとったわ・・・
とか

ああ、センセーの時代も終わったわ・・・
とか、

そういわれても、それはしかたがない。

ただ、言われる本人は
けして
「昔はよかった」とか
「昔はそうではなかった」などと
言ってはいけないのではないかと
思うようになりました。


なぜなら
昔はだれでも若く、だれでも無礼で
だれでも無知だった。

ただ繰り返しているだけなのですもの。


要するに
時代は変わる。

よくも悪くも変わる。


それをしっかり見据えて
受け止めて
持てる知識と技術を提供する
そしてそのとき、
「使える大人」でありたい。



そうこのごろ思うのです。


愚痴っぽく、同世代で集うことにのみ
快感をもつのは危険。


若い人たちの声をたくさん聞いて
一喜一憂して
加齢の道を軌道修正する、これぞ王道かと。

そして
若い人は
耳を傾けてくれる大人に
けして甘えすぎることなく
切磋琢磨して、未知の時代に適応できる自分を育てることです。

時代や大人を批判している暇は、たぶんない。



こおろぎ、思うこのごろなのです。


大学の講義も終りが近づき、
試験問題作成等、作業は続きます。

けして暇でもないこおろぎですが

ふとしたことから
1979年のNHKのドラマ
阿修羅のごとく」を観てしまいました。
放映当時は、しっかり観なかったのですが


精神が凍りつきました。

向田邦子さんは天才です。
こんなドラマはありません。

すぐれた台詞。
優れすぎた脚本。


そして
加藤治子
八千草薫
いしだあゆみ
ふぶきジュン
の4姉妹の、すばらしいタイミングの会話。

和田勉の演出も何にも代えがたく


唯一無二のドラマです。


そして今、
下流の宴」と言う林真理子作のドラマも
放映中。


ギリギリの台詞が書けること
臨場感溢れる台詞がかけること

妥協のない演出

そんなドラマは、やはり必要ですね・・・

しばらくテレビドラマに期待できなくなっていた
こおろぎは
1979年の秀逸なるドラマを観て
そして
今、がんばっている「下流の宴」に
新しい時代のなにかを期待して


絶望感の大きな時代を早く抜け出したいと思っています。



さて、センセー
こおろぎセンセー
黒板、汚いですねーっ

そもそも

何を教えているんです?
このお家の絵は何?

うーっ
学生さんたちお気の毒。

チョークアレルギーのこおろぎが
黒板に書くときは
食品流通論と、フードコーディネート論のときだけ。

説明にストーリー性が必要で
うっかり力が入るのです。


今週もこおろぎはバタバタしますが
たくさんの出会いと刺激を期待して
歩こうと思います。