諦めるということ

写真だけ選んで
文章を書く時間がありませんでした。

授業を終え、その合間に
気の重い作業をいくつかこなし、
今日は
ちょっと立派なこおろぎでした。

上の図は
先日の日本生活学会で発表した研究の図式のひとつ。

食卓まわりの布について、若いお仲間と
手探りで集めた資料をもとに作ったこおろぎの力作です。

小さいのでわかりずらいかと思いますが
図として素敵だわ・・・と
こおろぎ、自画自賛

図を作るのがこおろぎは大好きです。
今も
なでしこ倶楽部に在籍中の
大学の助手をしながら
イラストレーターでもあるHAYAちゃんに
ああでもない、こうでもないと注文つけながら
沢山図を描いていただいています。


どうにも図を前にしないと考察ができない、という
レベルの低い頭なのかもしれません。



この数年、ずっと思っていることですが、
どう加齢を楽しむか、という問題、
答えの一つは
「諦め」かもしれません。


まだまだなにかができる・・・のは確かですが

どこかで
きっかり「諦める」ことは
相当素敵なことです。


諦めた上で、
さて、人生、なにをするか、ということなのではないかと
思うのです。


自分がやる、のではなく
だれがやってもいい・・
つまり、教育の原点もここにあるのではないかと
思うのです。

いつまでも「現役」であることを主張したり、
若い人の仕事を奪ったり、
自分の影響力を過信したり、
そんな大人にはなりたくないと

こおろぎは若い頃思っていました。


だんだん、自分や周囲が高齢になってくると
ちょっと慌てます。

前回書いた
背中から脱皮しそうなおばさん軍団だって
若いころは
そんなおばさんたちがいやだったはず。
自分は絶対にそんな風にならないと思ったはず。



時間は流れ、
いつのまにか
年老いているのです。

そこをしっかり自覚して
できることを整理する。


こおろぎ、目下の大目標です。


若いころ書きかけたもの、
若い頃望んだもの、
そんな事への執着がまだどっさりあることに
愕然としています。


モノへの執着も
理想への執着も
あまり素敵ではないかもしれません。

今話題の
ダンシャリとは違います。

あんなに立派ではありません。

ただ

自分の内なる希望や目的、
自分への評価、
自分の環境、過去、遺伝も含めたすべて

どうにもならないものは
もうどうにもならないのですから。


ないものはない。

叶わないものは叶わない。


そこを知った上で
何をするか、だと


つくづく思うのです。


自分たちが老いつつあることを
笑い飛ばして元気に振舞うことは
素敵ではない。


そのまま、
というのが素敵なのです。

こおろぎは
オードリーヘプバーンさんが
大好きです。
彼女の写真集や彼女に関する書籍を
ずいぶん集めていますが


惜しまれて亡くなる直前

自分の顔について
「今の顔が一番好き」というようなことを
おっしゃっていたと思います。


いろいろな歴史を経た今のほうが
若いころよりずっと素敵、


そういうことです。


そのとおりです。


どうしたのでしょう、こおろぎセンセー
なにかありましたか?こおろぎセンセー。


なにもないです。

ただ、
加齢に妙に抵抗する大人たちが目立つので
考えこんでしまったのです。


「素敵」は常に
「現実」にあるのかもしれないと
思うのです。



ギャハっ
とはいえ、シワ、しみ、たるみに効く化粧品には
毎回飛びつくこおろぎ、
いまだ
ミニスカートをはき続け、
ハイヒールを履き続け、
不細工シスターズと同じ店でバーゲン品をあさり、
暴飲暴食もやめず
ヘプバーンさんの域になど
全く到達できず・・・
じっと手を見る・・・
情けない加齢化加速中のこおろぎなのですが・・・

さて、どう素敵な「おばあ道」を歩いたものか
大問題です。





さてさて

こおろぎ、朝型ライフは定着しつつあります。

4時台には1度目が覚め、
5時には完全に活動開始。

1日が長くなりました。


それはそうと
電力会社も
政治家も
なにもかも
不信が続きます。



某電力会社の社長か会長の
退職金が10億円だったと聞いて
それがまかり通ってきた日本、
それに疑問をもたなかった日本人の
お人よしさ加減に言葉もありません。



今日の大学の授業でも力説したのですが
こんなに科学が発達し、こんなに携帯電話も
電子機器類も進歩したのに
地震津波も避けられなかったこと

電気がなければ
今冷蔵庫にある食材のすべては
1週間も持たないこと、



今、諸外国から孤立すれば
日本人は食べ続けることができないこと


無力であることを知るべきです。



かつて
桜の花が咲いたら
田植えをしよう

紅葉が赤くなったら
稲刈りをしようと

自然の声を聞きながら
生活を営んだころを
思い出すべきなのです。



自然を畏れ、だからこそ
見えない神を祀ってきた
かつての人々の
謙虚さを取り戻すべきなのです。



なぜ、電力会社のトップの退職金が
10億円なのか、

海っぷちに
無防備に原子力発電所を作ることの
危険を察知もできない人たちのトップが
かつてずっとそんな給与体系で
バトンタッチしてきたことを
知るべきです。
東京電力の役員の平均年収が3700万円だということを
どう思えばよいのでしょうか。


下請けの下請けの、さらに下請けの人々が
これほど辛い思いで働いているのに



格差は
時には必要だと思います。

格差はかならずしも悪くはない。


でも

こおろぎはどうあっても
振りかざす権力と
そこにつきまとう財力を思うとき
吐き気に襲われるのです。


とにかく

知ることです。


「権力者」たちの給与は、もう羨むのはやめましょ。
空しいし、哀しいですから。



ただ
自然の怖さ、日本の現実は、今こそ知るべきです。



宇多田ヒカルさんが

「あるから使うのではなく
必要なものを使う」

というような
そんな内容のことを書いていらっしゃったけれど

その通りです。


人間力を見直す時代、背中を伸ばして
丁寧に生きていきたいと思います。




いやああああああっ

いつになく立派だわ、今夜のこおろぎっ!


ホルモンのバランス壊したか
背中脱皮のおばさんたちのタタリか、

とにかく

「貪欲」な大人に訣別しようと思っています。

・・・

む、む、無理かも・・・・・
今日も通販のカタログに見入ってしまったしなあ・・・

未完でこそ、不完全でこそ、人間ってことでしょうか・・・
再び、じっと手をみる今夜のこおろぎです。