弁当文化研究

とうとうお弁当屋を開店したような・・・

こおろぎさんのアトリエ、本日、お弁当のレッスンでした。

越前塗りのお弁当箱をはじめ、
いろいろな漆器も並んで
和を見直す時間でもありました。

昨年の生活学会で
キャラクター弁当について発表し
もうすぐ出る大学の紀要には
研究仲間と弁当文化の論文を書いたこおろぎセンセー

やっぱり、お弁当は「奥」が深いと痛感。

盛り付けといのは
「盛る」ということとは違います。

「盛る」は「高く積み上げること」あるいは
「のせる」という意味です。

でも「盛り付ける」というのは
作為的な手間を伴います。


「盛る」と「盛り付け」は
絶対に違う。


そして
「おいしそう」という印象を喚起するには
二つの方法があります。


「にぎやかさ」と「整然」の二つです。


おせち料理の盛り方にも
幕の内弁当にも
普通のお弁当にも
あてはまります。

そして
花のアレンジメントにも全く同じ手法があり、


和服や帯の柄にも同じルールがあります。


文化を手にした人間は
「作為」的に生きるべきイキモノです。

その「作為」が
全く及ばないのが「自然現象」であり
災害です。



いやというほど思い知ったのが今回の大惨事です。


だからこそ

人間は、祷り、祈り、深く深くいのる歴史を持っているのだと
こころから振り返っています。


自然を前にしたとき、
人間はいのるしかないのですから。


世界中の祭りと祀りは
人々の自然への脅威、恐怖、畏敬の念から生まれたのですから。


なのに
作為的に作った原子力発電を
制御できない理不尽さに
誰もなす術がないのです。


自然の脅威ではなく

自ら作ったものに
大きく裏切られたのです。

人災でしかありません。




文化を研究することは
この大惨事を前に
全く無駄に思えてきます。


けれど
培った文化があればこそ
たどる道が見つかるかもしれない。


形を失っても
そこに「精神」が残っていれば
再び、街も町も
よみがえるに違いない。

大空襲を受けた都市も
被曝した街も
大火を経験した町も
震災に襲われた、あの街さえも

なんとか復興したのですから


どうぞどうぞ


祈るばかりです。


こおろぎは
人間が培ってきた
暮らしのルールを
丁寧にたどろうと思っています。

なんとか残そうと思っています。


本日、こおろぎ組なでしこ倶楽部は
お弁当と端午の節句
学びました。


新しい1週間が
なんとか平和でありますように・・・。