旅立ち

キキが大学を卒業しました。


こおろぎを
おかあさんにしてくれた
小さい命が


今日大学を卒業しました。

あの春の日
どんなことがあっても
ひとりで育てるぞと
心に決めて

生まれてくるキキを待ったのでした。




キキはちょっと遅れて生まれてきたので


こおろぎはあまりに退屈で

しっかり爪を赤く塗り、

フルメイクをし、
真っ赤な口紅もつけ、
指輪は3つ、ネックレスもして

入院二日目の午前中を
まるでリゾートホテルの朝のように過ごしていたのでした。


あの手この手の医療体制で
突然キキが生まれたのは
みんなのランチタイムでした。


先生も看護婦さんも
みんなが何かをもぐもぐさせながら
分娩室に大集合して

あっというまに生まれたのが
キキでした。



「センセー、この赤ちゃん、笑ってます!」
助産婦さんたちが
大笑い。


キキは
この上ない笑顔の赤ちゃんでした。



「笑ってちゃだめだよ、産声だよっ、泣かなきゃっ!」


そこでまた皆が大笑いして


お尻を叩かれて
ひと泣きしてくれたのでした。


そのあとは

「センセー、このおかあさん、
フルメイクしてるので、顔色わかりません!」
悪意に満ちた、婦長さんの叱責。

「どうしてこんなにお化粧してるんです?!」

「す、す、すみません・・暇だったので・・」

「あのねーっ、妊婦さんはスッピンってきまってるんです!
顔色も唇の色もわからないでしょっ」


こおろぎは
3つの指輪を隠すが必死で、どらえもんのような手に
なっていたのでした。



そんな風に
こおろぎはキキと会いました。





キキはとても利発な子でした。

童話が嫌いなこおろぎのせいで
本の読み聞かせなど一度もなく
文字も教えたこともなく

キキは
ひとりで字をおぼえ、
お話を作り、絵を書き、
想像力の豊かな、行動力のある子でした。



キキには立派なお父様もいたのですが

ごめんなさい、

こおろぎはキキのお父様と暮らすことができませんでした。


悲しいことですが
こおろぎとキキ、二つの命を
しっかり守るためには
お別れするのが一番でした。



キキ5歳のとき、
こおろぎは最愛のパパを65歳で亡くしました。

こおろぎはママも守らなければならなくなりました。


それから2週間後

こおろぎはキキに言ったのです。


「おとうちゃまとお別れしますから
さよならを言ってちょうだい」


じっとこおろぎ顔をみていた
キキは


「おとうちゃま、さようなら」


そうしっかり言ってくれたのです。


人生で最大のこおろぎの罪だったかもしれません。


「ごめんね、おかあちゃまはおとうちゃまが
大嫌いなの。大嫌いじゃなかったら
お別れしないの。」


5歳のキキには
ウソはつかない、
生涯、キキにはウソはつかないと決めた瞬間でした。


ドラマは
ドラマ以上にドラマチックに展開しました。


今はもう
なにもかも
沢山の煙幕の向こうです。



キキとこおろぎの二人三脚が始まりました。



こおろぎは必要以上に厳しい母親でした。

言葉遣いも
挨拶も、
立ち居振る舞いも
満点の子どもであってほしいと望みました。

大勢の大人たちのなかで
育つことが必須だったからです。


ご近所を含め、保育園だけでは足りず、
赤ん坊のときから
大勢の方の援助でキキは育ったからです。


ご迷惑にならないように、
お邪魔にならないように
不快にさせないように

キキには
多くを期待してきました。

なにより、

きちんとした「存在」であることを望んだのです。


一度口にしたことは絶対にやること、
約束は守ること
言い訳はしないこと


これも守ってもらいました。


別れたお父様が
守ってくれなかったことだからです。


人を裏切ってはいけない。

どんな小さなことでも
決めたのなら努力しなさい
約束は守りなさい


小さい小さいキキに
こおろぎはとてもとても厳しかったと思います。


手もあげた。
小さい頬を何度も打った。
かわいそうに、本当にかわいそうに。




こおろぎとキキが望んだ家庭を
踏み潰した人が
ついに守れなかった沢山の約束や
山ほどの裏切りが目に浮かび、

なんとしても
キキには
人として価値のある大人になってほしいと


そればかり思って
厳しい母でありました。


どうぞ許してください。



けれど

神様はいたようです。


二人ぼっちで生きていたこおろぎとキキの前に

カブトムシが現れました。


亡くなったこおろぎのパパに似た学者でした。




キキがいなかったら
キキがあんなにカブトムシと仲良くならなかったら

こおろぎは再婚など絶対にしなかったと思う。


キキは
カブトムシといっしょに
広島に行くと、元気に宣言したのでした。



ドラマはどんどん展開して


キキは広島の幼稚園、小学校、そして中学受験と
コマを進めたのです。

いつのまにか
お勉強が好きな
運動もすきな
元気な子に育ってくれていました。



第一志望の中学に合格し、
6年間がんばるぞと意気込んでいた冬、
カブトムシが仕事の場を北海道に移すことになり
キキの生活はまた一転。


北国で再出発となりました。



あれこれあって

キキは医学の道へすすみました。


一浪で臨んだセンター試験
まさかのマークシート記入ミスで
数十点失うという大事件の結果、志望校を直前で
変更しましたが
今となっては、総合大学ではなく、医科大学のよさを
おおいに満喫し、よかったのではなかったでしょうか。


合格発表の日のあの感動を
こおろぎは忘れません。

心臓がとびでそうでした。
ネットではなく
直接見ようと出向いたものの
足がうごかなくなったキキに代わって


人ごみをかきわけて合格発表の看板に近づいたこおろぎ

ナイナイナイナイ・・・番号がない・・・・


そしてついに見つけた番号。


こおろぎの絶叫は中央区全域に響き、全報道の注目をあつめ、
キキの泣き顔は全道にテレビ放送されたのでした。





キキの大学生活は
すでにブログで書きつづけてきた通り、

バイトに次ぐバイトでした。

ちらし配りからはじまり、
実演販売、覆面調査員
なんだか怪しいこともいくつか交えて
居酒屋業では、接客のコンテストで上位に入賞するまで
徹してやり抜きました。


20歳からは一切のお小遣いも必要とせず
しっかり大人として自活してきました。



こおろぎが望んだとおり、

キキは
しっかりひとりで生きていける大人になりました。




キイちゃん
こんなおかあちゃまの子どもに生まれてくれて
本当にありがとう。

きびしく
おこりんぼうで
自分のことばかり優先させ、
あれもこれも我慢させた母でした。

わからんちんの
手におえない母でした。


キイちゃん、

本当におめでとう。
卒業、おめでとう。


沖縄での研修医生活も
キキが決めたことです。

どうぞ
立派に学んでください。


北海道立の医大を卒業したので
卒業式には
知事さんがお越しでした。
北海道の力になってほしいとのご挨拶でしたが


キキはもう立派に北海道のためにも生きています。

キキは日本中を世界中をしっかり歩いて
たくましい大人として生きてください。


いつか
おかあちゃまがヘトヘトになったら
手を貸してください。


小さいキキの手をひいて
真駒内の緑の中を歩いたように

藻岩山の細道を歩いたように

いつかおかあちゃまが
ひとりで歩くことができなくなったら


あのころ小さいキキを支えたように
ほんのちょっと手を貸してください。


おかあちゃまが
この世から消えることになるときは
もしできたら
そばにいてください。


「あんなにお酒の飲むからよ」と
「あんなに夜更かしするからよ」と
ののしっていいですから。


そして
キキが5歳の冬からずっとずっと
誰よりも
おかあちゃまよりも誰よりも
キキを大切に思い、
キキの将来を心配し
キキの安全と幸せを祈ってきた
パパをどうぞ大切にしてください。
パパはキキといつか論文の一つでも書きたいと
思っているかもしれません。
キキは学者にはならないかもしれませんが
今は未知数。
キキが出会う、先端医療の話をどうぞ
パパに聞かせてあげてください。


血は水より濃いと

人はいいます。

でもそれは違います。

いつか新聞に書いたことがありますが

血は水より濃いかもしれないけれど
濃ければよいというものではありません。

血より濃い水があります。



戸籍謄本には「養女」と書いてあったと
キキは笑っていました。
養女でも長女でもどっちでもいい。

キキはパパの立派な最初の子どもです。


キイちゃん、おめでとう。




静かな卒業式でした。


涙はこぼれませんでした。

コロ介の高校の卒業とは違いました。


大勢の仲間に囲まれて
キキは幸せそうでした。


でもこの卒業の段階で
国家試験の発表はまだだったのです。



14時。


キキからメール。


医師国家試験に合格。



ふっと力が抜けました。



キイちゃん、本当におめでとう。


秋までバイト三昧のひとり暮らしの苦学生ライフ
その後、国家試験の大変さを実感して
まさに寝食忘れた猛勉強でした。


こおろぎのママの眼に涙。



こおろぎのパパは勤務医でした。

そのパパが国家試験を受けたとき、すでに
ママがそばにいたのだと思います。
父は医学生の時に母に会っていたからです。


「パパが生きてたらどんなに喜んだか・・」
とこおろぎのママはポロリと涙をこぼしました。

人生、いろいろなことがあります。

幸多かれ。








子育てなどあっというまです。
そしてつくづく思うのです。


子育てということばは奇妙な言葉だと。

子が育つのはあたりまえです。


子どもがそばにいて育つのは
いつだって親のほうです。


子どもいなければ絶対に知らなかった思いを
沢山経験するからです。


感謝すべきは常に親のほうなのです。




「これでやっと、キキも一人前ですね、あとは
沖縄への引越しだけですね」とカブトムシのパパ。


「あ、お義父さま、
とってもいいにくいのですが・・・
キキは来週早々、インドに行くそうです」



「えっ!この間ドイツから帰ったばっかりだよっ」
「は、はい・・」
「でも、もう就職したら行けないからと・・」
「そんなこと言っても、インドから帰ってすぐ沖縄なの?!」
「は、はい・・・そうらしい・・」
「家族でゆっくりしようとは思わないのかね?」



「でも今しかいけないそうで・・・・イ、ン、ド・・にっ
コ・・・ン・・・ド・:・は イ・・・ン・・・ド・・・に・・」




こおろぎもよくわからなキキのスケジュール。
働いて働いて、とうとう自力で
地球を在学中にまわったのではないでしょうか。
「寸暇」が大嫌いなのは
こおろぎのせいです。

時間は全部自分のものだと
自分を育てるのは自分しかいないと
そう思ってしまったのは
こおろぎのせいです。

こおろぎの時間の使い方、人生の使い方を見ていたのですから
彼女の考え方は
こおろぎは理解ができるのです。




南米や中東など
危険地帯にも足を伸ばし、
けれど
ハラハラさせた分、視野は確実に広がって
怖い思いも、切ない思いも沢山経験して

キキ、どうぞ
人生を謳歌してください。



キキにバンザイ!


キキのキの字は
記念のキと書きます。


三津子の記念の子という名前です。


さいころからキキを応援してくださった
こおろぎ組の皆様
キキは本日、ひとりの医師になりました。
春からは 沖縄の病院で働きます。
先のことはわかりません。
でもキキは
家族にはあまり優しくありませんが
人をけして裏切らず
人を大切にし
人を区別も差別もせず
けして権威にもしばられず
ウソもつかず
誰かのために
何かをしようと
努める大人として
生きていってくれると信じています。


本当に今まで応援をありがとうございました。
そしてどうぞ今後も
キキをよろしくお願いいたします。

沖縄からキキのブログもスタートするようです。

近く、ホームページが一新する予定です。
キキの沖縄研修医だよりと
コロ介の華麗なる浪人生活日記兼裏こおろぎ日記が
炸裂すること、ご期待ください。


こおろぎもキキに負けないよう
コロ介に負けないよう
しっかり仕事をしていきます。
上の写真、第2章、料理のデザインの項目、進んでいます。



小さい課題はいろいろありますが、
人間とはなにか


これこそがこおろぎの研究テーマです。

春、意識して、自分を見直してみようと思います。