気合あるのみ

札幌本日猛吹雪。

立春が近いというのに
寒中まっただなか。

先日のなでしこ倶楽部の写真は
やっぱり春らしくて素敵。


あれもこれも時間がたりない日々ですが
気合いれて歩くのみ。

いろいろなことを考えたり書いたりしていると
師匠がいたら、どんなアドバイスがいただけるのだろうかと
ふと思ったりします。

でも
こおろぎは「この領域」の大切な師匠を
亡くしました。
動物行動学と
生活美学を結ぼうという
無謀な学問を
飽きずに応援してくださった日高敏隆先生を
予期せず早く失い、
送る会に京都まででかけたのは1年前でした。

いつまでもいてくださると思ったのに

そしてそんなことは不可能だとも知っていたのに

残念でなりません。

でも
こおろぎにはまだまだ
導いてくださる諸先生がいらっしゃるので
心強く歩いていこうと思います。



目下江戸時代の書物で苦戦。
日本語なのに読めないという悲しさ。

読めないなりに眺めていて確認したことの一つは
やぽり
節分に恵方巻をたべるなど
どこにも出てこない。
そもそも、海苔自体、江戸以前にはないわけだし、
海苔巻きが一般庶民の食べものとして
普及していたなど絶対に考えられず
さらに
丸ごと食べるなど
日本の作法が許したはずもなく

どこをどう考えたって
古いしきたりではないのに


毎年この季節になると
おおきく憤りますが

しかし


しかし

私たち日本人は
そんな「お楽しみ」が好きなのだという
この事実を前にすると
その「気質」を客観的に認めようと思うわけです。



北海道には
よさこいソーラン祭りというのがありますが
これも
恵方巻のように大人気になった祭りです。

「企画モノ」の祭りであっても
10年以上続けば「昔から」の風格。

こんな現実の背景には
祭りも
食文化も
本当に自分達と共にあったものたちを
切捨て、忘れ去ってきた「世代」があるからです。

近代化の中で
いろんなものを切り捨てきた、その反動が

不可思議な食文化や祭りの誕生を生んだのだと思う。



つまり、
人は
日本人は
そんな文化的行事がすきなのだという、
確かな証拠ではないのでしょうか・・・



古い資料の中から
カブトムシのママの写真がでてきました。

外交官の子女として
不自由なく海外ですごし
服飾デザイナーとして活躍。
理研究記者として転身。
その後、懐石、もてなし料理研究家となり
辻クッキングスクール札幌校の校長として
一つの時代を作り、
家族の介護ののち、「老いを明るくする会」設立。
なにをやってもリーダーでした。
その頃から
和服の普及にも尽力し、
楽にきられるキマキ小袖発案。
厚生年金会館でファッションショー開催。
手持ちの和服すべてをカットして小袖に作り変え、
帯も全部半幅より細くカット。



この写真は、70歳近く、発病するころだと思います。
この着こなしの迫力。

おはしょりなしの小袖です。
帯の細さに注目。
実にカッコイイのですが
これは、このバディ、だからなわけで
こおろぎがまねしたら、七五三にしか見えませんでした。
この姑を
こおろぎは一度も「おかあさま」とは呼ばず、
亡くなるまで「先生」と呼びました。
こおろぎの、唯一無二の「ライフデザイン学」の師匠でした。

残された山ほどの衣装(小袖)を
裁縫が趣味のこおろぎのママは端切れのあるものは全部
普通の和服に仕立て直してくれました。
帯はどうにもならないので細いまま、ときどき使っています。

この緑の薔薇の柄の一枚も
こおろぎのママ、恵美子先生なら
どんな風に着こなしたのだろうと
想像してみたりして・・・。
このアホな写真は
義父の誕生パーティーのあと
ほろ酔いこおろぎが
コロ介に馬鹿にされながら自分で撮った一枚です。
いやあ、アホだわっ。



人生は長いですが

思っているよりは長くありません。


いろんなものを切り捨てて
少しだけ身軽に生きるのも悪いことではないのだろうと
思ったりしています。

そしてせっかくの日々
ちょっとだけ、気合を入れて
小さな達成感を積み重ねていきたいものだと
心から思っています・・・

人間が人間である証拠って
「達成感」の享受、「達成感」の記憶
その確認、じゃないかと
思うこのごろです。


ああああああああああ
なんだ?こおろぎ!
ちょいとまじめじゃない?

まずいっ・・・
気持ち、弱ってる・・・かも。
気合っ!