こおろぎ的日々

生活文化を研究する身として
ハロウィンを受け入れるのは
もはや当然のこととはいえ、
今ひとつ、どこかで踏ん張っていたい気分。

とはいえ、
現実には
じんわり日本の風物、文化に浸透してきた
ハロウィン。
じんわりゆったり、試されながら
取り入れられるのなら
「ホンモノ」かもしれません。

HTBほんわかどようび、今回は
こんなカボチャが登場。
なんと、チーフディレクター女史、
自ら、若手を指導しながらくり抜いたというから
脱帽。
完成度高すぎます。
番組のロゴもちゃんと彫ってありました。

このこだわりこそ
「豊かさ」。

丁寧さも
「豊かさ」。


そしてそのカボチャを囲む背景に
紅葉し、実をつけたナナカマド。
11月、茶道では新しい年を迎え、
山茶花と椿の緑が愛されます。
実をつけた山茶花を、マドモアゼルフェリスが
届けてくれたので
山茶花とミナヅキで野趣満々にしようと
思っていたのですが

タクシーでHTBに向かう途中、
玄関先のナナカマドを剪定しているお宅がありました。

眺めながら通りすぎたのですが
やっぱり気になる。

運転手さんにお願いしてUターン。
そうとう怪しい風体のこおろぎ、
ずうずうしく、剪定して捨てる枝を
いただけないかとお願い。

ご主人は二つ返事でどうぞどうぞと言ってくださったのですが
奥様は「実はだめよ」と少々冷たい。

「枝だけで結構です」と
言うと

ご主人が
「何本も木があるから、たくさんもっていって」と優しい。

奥様はあいかわらず少々冷ややか。

そんな中、枝を拾うのは辛いので
HTBの番組にキレイな紅葉した葉を
一枝飾りたいのだと申し上げると
冷ややかマダムが豹変。
玄関からキレイな実も持ってきて
「きれいに使ってちょうだい!」と。

朝から緊張。

ずうずうしいこおろぎ、
度胸のこおろぎ
こおろぎ、ココに健在。

ただし、切ったばかりの枝なので
水が揚がるかと心配でしたが
立派だわ、自然の木。
番組中、凛とその葉先まで水が下がらず。



その前日の金曜日は
ボルボ主催の「ライフデザイン塾、第2期第3回目」でした。

今回は百貨店丸井今井の一室で。
わが家からまたどっさりクロスや食器を
大きいボルボで2往復分運び込みました。
ところで、この写真、どなたが撮ってくださったのでしょうか。

こおろぎのカメラに写っていました。
ボルボの藤森クンでしょうか。


こおろぎの講義風景は貴重。ありがとうございました。

さてさて
こおろぎ、先週の関西でのシンポジウム以来
ちょっと「ご活躍」でした。
残念ながら、10月締め切りの論文は
書き上げることができませんでした。
本当に残念です。



ただ今、日曜日23時21分。
今夜、こおろぎはちょっと重たい気分です。
ソロモン流」で上田勝彦さんという水産庁の公務員さんを
拝見。すばらしい。
長崎大学水産学部を終えて漁師を経験してからの
国家公務員合格。
机を離れて、あちこちでサカナのさばき方など
指導しながら、魚食人口の裾野を広げることに尽力。
人として、魅力大。
言葉も行動もいい。
サカナを食べることに対して絶対に真摯。
切身ではない魚の食べ方を伝える。
そのことで日本の漁業を支えようという。
魚の命をいただくことも
しっかり伝える。
公務員住宅と思われるご自宅で
3人のお子さんに作る料理も見事。
こおろぎ、料理生活の原点に引き戻された思い。



その番組のあとチャンネルを変えて
情熱大陸
ここでまたため息。
途中から観たので、よくわからないのですが・・・
山岳雑誌の服部さんという男性、
山中でサバイバル。
こおろぎが観たときは
鹿を射止めて引きずって歩いていた。
直視できず。
母鹿だという。

引きずってキャンプでひとりで解体。
心臓を取り出して3箇所に傷をつけて
山の神に捧げる。
この儀式は「正式」。
ナマで食べたり焼いたりしながら
射止めた鹿を食べるシーンが映し出される。


彼の自宅も画面に。
ここにも三人のお子さん。
テレビは観ないで、昭和的ご飯のシーン。
好感。
でも
彼の再びの登山では
蛙を捕まえて皮をはいで食す。
食料をもたずに入山か。
サバイバルが目的らしい。



服部さん自身の発言も
ナレーションも
「命をいただく」ことへの「畏れ」について
言及。


母鹿を食べた夜、森の奥に
小鹿の声が響き、
あえて、それを告げるナレーション。

重い。


こおろぎは生命科学
食生活論を両方教えています。

生命は
代謝をする。
代謝とは同化と異化。
動物の同化は食べること。
そして動物はイキモノを食べることでしか、
生きられない。

このことを力説しています。

そして食生活論でも
サプリメントがどんなに効果があっても
人は
「食べる事」で生きるということ、
生命を維持するための成分の摂取だけでなく
文化としての「食」
精神の正常化のための「食」
豊かさのための「食」
そして、人の命をささえるために
犠牲になるほかの命にたいする畏敬の思いを
しっかり感じるための「食」について
悪戦苦闘で考えています。



イキモノを食べることでしか生きられないことを
どう伝えるか。
そうやってまで生きることの意味を
どうとらえるか。

自問自答の数年です。

はからずも
今夜、二つの番組が
実に似た内容。
私生活の形も類似。
でも何かが違う。

元漁師さんの国家公務員上田さんの
猛烈に明るい魚の食べ方講座と
命の何たるかを知るためか
あるいは伝えるためかは
不明ですが
サバイバルを実践する服部さん。

番組で観た母鹿は
彼、たった一人のために命を落としたことが
こおろぎは悲しいです。
かつて人間はこうだった・・・とはいえ、
そんな風に森に入ることは
自然に対して無礼です。

ほかに
食用としてすでに用意されたモノがある時代、
あえてサバイバルのために
他の命を犠牲にするのなら
そのことから学んだことを
適確に伝えてほしい。


趣味で魚を釣って食べ、
庭でほうれん草を作って食べる。
どうであれ
人間は他者の命をもらって生きています。


そのことを忘れては絶対にいけない。

テーブルマナーや
食卓での作法は
その残忍さにたいして
あまりに残忍な行為にたいして
それを覆い隠すために
人が生み出したものではないかというような
ことを最近外国の書物で読みましたが
そのとおりです。


あまりに辛いので
ナイフとフォークで丁寧にさばく。

重すぎるテーマで
ぐらっとしたこおろぎですが
これからの課題をどっさりいただいたと思って
心引き締めていこうと思います。
学生さんたちも
どうぞ考えるこおろぎに付き合ってください。


追申:
ある本で書評「犬を殺すのは誰か ペット流通の闇」
を読みました。オークションで値段のつかない犬が
流通段階で消え、その数、年間八万頭とのこと。
これもまた人間の側面。現実。
愛犬家として
現実を直視して
その上で、丁寧に命と向き合っていきたいと
思うばかりです。


イキモノとしてのヒトと
文化をもち、他のイキモノをペットとし
他の植物を切って楽しむようになった人間。

花を使って演出の仕事をすることの
背景にある傲慢さも
こおろぎは自覚しようと思います。

花の命をもらって仕事をしていること
楽しませてもらっていることを
常に確認していきたいと思うばかりです。


実に実に実に
まじめな今夜のこおろぎでした。


こおろぎ組の皆様におかれましても
食べること、遊ぶことを
真摯に謳歌なさることを
祈るばかりです!

美味しく食べ、楽しく暮らすことを
祈るばかりです!