相当大事なこと

何枚かある掛け軸の写真のなかで
まずは一枚。

義父の作品です。
師範の何段だったか、
センセーより上手になっちゃった義父ですが
ときどき、どっさり書いては
誰かに配ります。

凛とした空気が生まれる
筆文字は
目下、こおろぎの大きな憧れ。

なんとか時間を作って
お勉強したいものです。



さて
すばらしい写真です。
先月、京都で行った、OOTANI ISSEIさんの
個展。
イッセー君の絵の個展・・・でしたが
え?
何?

ああ、こおろぎの眼にすごい作品が飛び込んで
思わずかけよったのでした。
こんなポップな標本、見たことがありません!
天才、天才!
イッセー君、天才!


彼はカブトムシとクワガタが大好きで
せっせと飼育してます。


それでも亡くなる彼らを大事にしていて
こんな作品ができたのでした。


こおろぎが行ったときはすでに
この作品は売れてました。


イッセー君はこおろぎの大好きな従姉妹の才能溢れる長男。
犬の絵が有名。
彼のホームページをご覧ください。


こおろぎ、エイやあっと、一枚買いました。
すっばらしく元気の出る一枚。
こおろぎ組のページのどこかに飾ろうと
思っています。



そしてこれは、イッセー君の妹のトントンの作品。

風景をバッグにつくり上げるという、
なにもかもオリジナリティあふれる才能。

イメージを形にする技術、熱意、感覚・・・

何にも変えがたい宝だとこおろぎは思いました。

いくつもの作品の中から
一番、派手な「風景」が
こおろぎの手元に、いつか届くことになっています。


お義父様や、イッセー君や、トントンには
全くかないませんが、
こおろぎもまた
せっせとモノつくりをやっているのだと
思います。
カスミ草の先の先の、そのまた先の
小さい萎れた蕾を
ひたすらカットしたって
誰にも見えないわけですが
それをやらないではいられない。
若い日の修業が
どうしても離れないのだと思う。


ノーベル賞鈴木先生
おっしゃった言葉が気になっています。
正しくは気になっている・・・のではなく
「私はそうは思わない・・」という思いです。

「重箱の隅をつつくような仕事はするな」
「教科書に載るような仕事をしろ」

一流の先生がおっしゃって当然の言葉です。

でも
本当に素敵な先生なのに
先生のイメージとちょっと違うご発言。
しかし
この言葉が先生の本当の姿勢なのでしょう。


こおろぎは
重箱の隅をつつくような仕事をする人が
大好きです。

久しぶりに会ったカブトムシが
図らずも同じことを言っていました。

「ボクは重箱の隅ばかりつついてるよなー」
「重箱に隅に、スゴイことがあるかもしれないからね」


すでに彼は教科書に載る仕事をしているわけですが
そのことは目的でもなんでもない。
こおろぎもまた、今、学生達が使える教科書を
書き始めています。
でも、それは目的でもなんでもない。
歩く過程の、ほんの一つの形でしかない。



前回、勝間和代さんと南場智子さんの対談のことを
書きました。
「一番になる仕事しかしたくない」

この発言に
すっかりしょげたこおろぎでしたが、

これは鈴木先生のご発言と同じ根幹なのだと
気づきました。


狙っているものが違う。


カスミ草の先の先の先のしおれた蕾でいいのではないかと
重箱の隅でいいのではないかと

教科書に載らなくてもいいのではないかと
一番でなくてもいいのではないかと


でも

完成度は高くなければなりません。

努力していればいいということではきっとない。

イッセー君の作品も
トントンの作品も

そのプロセスが伝わるからこおろぎは
感動したのですから。

こんなに年をとった秋、
ものすごく大事なことに
突然気がついたような気がします。


ほらね、りきまるだってね

こおろぎが
大分県のMAKIちゃんから届いた
大事な大事なカスミ草を
ちゃんと見張っていなさい、
だれかがぶつかったり
倒したりしないように
ましてや、デッカイいたずらな犬が
喰いちらかしたりしないように
絶対にいたずらしてはいけないと言い聞かせたら
ずーっと、こうして
いたずらしたいのを我慢して座っていましたから。

彼は彼の仕事をしたわけです。

秋は猛烈な早足で深まっています。
連休も終り、
あとは
十三夜
ハロウィン
事はじめ
クリスマス・・・

日々大切にすごしたいと思います。
喘息疲れで、チョーまじめになってしまったこおろぎでした。