知るということ

暑い
暑い
暑い
厚い
熱い
篤い
アツイ
なんでもいいから
暑いっ

大好物の水饅頭
どう涼しくみせたところで
暑いっ


こおろぎに夏休みなど
高校3年以来ありません。
大学1年目も2年目も
隠れ予備校生気分で
充分楽しめず
いま一度第一志望校にチャレンジしようと
意気込みだけあって
しかしながら遊び呆けて暗い夏。
その後は一気に学者志願の
昆虫学専門学生になって
研究室を離れられない生活となり
以後、学ぶか働くか、その両方かで
夏など「オフ」したことありません。

今年の夏も
サントロペもカリブもニースも無縁
中央区のごく一部の公園をりきまるさんと
ウロウロするだけで大満足。
ドメスティックな人生ですが
なにも問題もなく・・・。

来る日も来る日も
採点と資料整理と掃除と
炊事とりきまるの散歩と
カメのたっちゃんの世話と
ついでにママのお世話と
・・


そんな中
広島と長崎の悲しい日をまた迎えて
今年は採点しながら
ちょっと真剣にいろいろな番組を
夜遅くみて

なんどもなんども
涙がこぼれてしまいました。

65年もたち
いろいろなことが風化するのを
なんとか留めようとしても
難しい中


ある番組にで
首都大学の先生と学生たちが
長崎の原爆投下時前後の様子を
しっかり整理してまとめ、
すばらしいインターネット配信を始めたということをしりました。

90歳近くなり、今も語りつづける男性が
それをご覧になって
「すばらしい」と笑顔。


安心しましたと笑顔。

それを観てこおろぎ、涙。

若い人たち
新しい技術を駆使して
貴重な資料を整理し、分かりやすい手法で
世界に発信することなど

いままで誰もやってこなかったこと。

技術はこうして使うべきです。
科学もこうして使うべきなのです。

また
被爆者ではなく
被爆二世の写真を撮り続けている写真家を追った
番組も観て
子供たちに被爆体験を語れなかった人たちの多さを知り
その悲しみの深さを痛感。

被爆二世、三世の笑顔が時の流れを
語りつつも
悲しみの連鎖を、また知って


胸がいっぱいになったこおろぎでした。


広島県に8年近く住んで
多くを学びました。
広島の人たちのあの優しさと
明るさは
悲しみを経たからこそなのかもしれないと
幾度も思うことがありました。

広島市
こおろぎは
本当に美しい街だと思っています。

人間が
いかに強く
たくましく
美しいかを
伝えている街だと思っています。

そして
人々の悲しみを湛えて、なお
樹木は育ち、
川は流れ
空は晴れたわけで

その自然の救いも
また
感動するばかりなのです。


すぎた戦争
すぎた日々だけではありません。

歴史と文化は
伝えていかなければ
本当に風化する。

知らないことが多すぎる。



話は飛びますが
せっかく人間に生まれたのですから

自分たちの歴史や
現代のさまざまな現象を
角度を変えてながめつづけていきたいと思うばかり。

目に見えないところで
日々の生活を支えてくれたのが
「歴史」と「文化」


「しつらい」を仕事の一部にして
あらためて思うのが
「文化の伝承」です。

「生活美学」という領域の「学び」です。


自分自身の存在を知るために
自分自身の輪郭をしるために

ときに億劫な
手間隙かかる
そんな「作業」が
どれほど大切か

そんなことを思ったりする猛暑の深夜です。



採点はそんな風にテレビを観て泣いたりしているので
なかなか進まず
動物行動学的には
「転移行動」というのですが
突然の撮影行動。
しなければならないことをしたくないので
突然写真を撮るとか
編み物するとか
靴を磨くとか
多くの動物が見せる行動です。

といっても
アナグマが靴を磨くとか
カバが編み物するわけではなく

右からオス犬
左からメス犬が来たときの
今は亡き、ケンケンがいつも見せた行動は
いきなりの穴掘り行動でした。

これは葛藤行動といいますが

どうしたらいいかわからないケンケンは
よくそんなことをしていました。

本当は獲物を狙うべきなのにそれができないとき
巣作りの行動を不必要なのに始めるとか
羽づくろいをし始めるとか。

こおろぎは羽がないので羽づくろいができないので
深夜の撮影など。

300円の鏡に深夜のこおろぎが映っています。

]

それをりきまるさんが
おかあさん・・・アホだなあ・・・・と
じっとみていました。


暑い。
実に暑いです。

でも
この暑さを暑いと感じることこそ
生きているモノだけの感覚。


もうすぐ寒くなります。
ああ寒い・・・


そんな日がもうすぐです。

日々のなんと短いことでしょうか。

知りたいことがどっさり。

知らないということを知ること

やっぱり、それが一番大事なのだと
いろいろなことがあって
つくづく思う夏であります。