感動

100本のバラが
1輪のバラより美しいと
誰がいったのか・・・



というようなことを
いつかどこかで聞いたことがあるのだけれど
思い出せない。

もしかしたらこおろぎが言ったか書いたかしたのかもしれません・・

つまり
どっさりあればいいというものではないことは確かです、
夢でもバラでもキムチでも愛でも・・・なんてね。

しばらく
おもてなし塾系のレッスンをしていません。
冬の間寒くて使えなかった1階アトリエも
そろそろあたたかくなってきました。
もうすぐご案内します。
楽しみです!

下の写真、2枚、これ、
先日のこおろぎのセミナーの観客。
ギャラリーってのかしら。
気取って日本の文化論ご説明しているとき、


「あ、おもしろいわね、あのおばちゃん!」と
こおろぎが動くたびに
このギャラリーたち、一斉に動いてくださり、
それはそれは嬉しかったです



そして感動的なことがありました。


こおろぎ、いつも素敵な女性のお話をするとき
一人、取り上げる女性がいます。

もう20年近く前のこと

夏の日です。

こおろぎ、たぶん、どなたかに会わなければならなかった日、
何かで靴がひどく汚れてしまったのです。

生まれて初めて
靴磨きの方のお世話になりました。
止むに止まれぬ汚れだったので、お願いしました。
グランドホテルの前あたりでした。


年配の女性で
こおろぎのハイヒールを磨きながら
とても明るい口調でいろいろお話くださって
ついこおろぎも楽しくおしゃべり。

その女性は本を何冊かそばに積んでいたので
「ご本、お好きですか?」とお聞きしたら

大好きで閑さえあれば
読んでいるのだと
そして
いつもひまだからいつも読んでるのよと
大きな声で笑うのでした。

どなたのファンかとたずねると

手をとめて
靴墨のついた日焼けした顔をあげて
にっこりわらって

「小檜山博さん!」
と答えました。

北海道が生んだすばらしい作家です。


彼女は小檜山さんのサイン入りのご本をもっていること、
小檜山さんの靴を磨いたことがあること
どれほど彼のご本がすばらしいかを
手をとめてキラキラした眼でお話くださいました。

こおろぎも時間を忘れて
うっかり両肘を自分の両膝にのせて聞き入ったのでした。

働けるうち働くのよ、
小檜山さんのご本をよんで

いつも勇気をもらうのよ、
動けなくなるまで働くのよと
それはそれは美しい笑顔でした。
70歳は越えていたかと思うのですけれど。

近く孫に会いに行くので
おもちゃを買ったことまで

初対面のこおろぎに
楽しそうに話してくれたのでした。


ピカピカになったハイヒールを見て
今日は上出来だわ、と笑ったその顔を
こおろぎはいつも思い出すのです。


本当に素敵だったのです。

手も顔も靴墨でよごれ、
腰もまがっているのに

本を愛し、せっせと図書館に通い、
自ら働いてお孫さんにおもちゃを買い、
雨でも風でも平気なのよ、と
生きること
働くことを
大切に大切にすごしている
その姿が
まぶしくてまぶしくて

こおろぎはずっとそばにいたかったほどです。


「またお話聞かせてくださいね」と申し上げると

「ああうれしいわあ、
ほんとうに嬉しい、
お客さん、きっとまた来てくださいね、きっとですよ」と


ずっと手を振ってくださった

その女性。


それからこおろぎは

たぶんその後だと思うのです


父を亡くしたり
いろいろなことが重なりました。
うれしいことももちろんありました。

そのつど、あの靴磨きのおばさんに会いたくて
なんどもなんども
大通り駅から札幌駅まで探してあるきました。

でも二度と再び会えなかったのです。


小檜山博さんの大ファンで
なんたって、私、サイン入りのご本をもっているの・・
先生の靴を磨いたことがあるのと

うれしそうに話されてた
あの彼女の
あの「幸福観」は完璧でした。

未熟なこおろぎは
今まだ
あのときの感動を
そして再び会いたくて靴磨きの女性をずっと探した日々のことを
書けませんけれど
いつもいつも
思い出すすばらしい女性なのでした。


その
その靴磨きの女性のことを
書いた文章に
昨日遭遇したのです。


JRの車内誌に
小檜山博さんのエッセイが毎月連載されています。
こおろぎは大ファン。
いつもその文章に泣いたり笑ったり。

大学に行くJRで読んで涙があふれて困ることもあります。


そのJR車内誌の今月号の連載に
「ある読者」と題したエッセイ。


それは
彼女のことでした。

靴を磨いてもらった女性に
図書館に自分が読みたい、最近のご本だけが
ないと言われ、サインしてプレゼントした、という
そういう内容です。
でも本文はそんな単純なものではなく
実に泣けるのです。
小檜山さんのお人柄が
実にあたたかく切なく伝わり
こおろぎは
まざまざと
20年前の
グランドホテルの前の

あの女性を思い出しました。


その一人の読者である
あの熱烈なファンを
小檜山さんも
しっかり覚えていらっしゃったことが嬉しくて

ああ
あのおばさん、あのときのおばさんに
この文章を見せてあげたいと

こおろぎはそう思いました。

あのとき70歳くらいだったとして
お元気だとして90歳でしょうか。

人生は素敵です。


なんだかほんとうに
そう思って


また泣きたくなったこおろぎでした。

同じ日の大学の帰り、
感動は続き、
大丸の地下で

素敵な女性に声をかけられました。

やはり20年前、
こおろぎに講演を依頼してくださった女性でした。

北海道の花の栽培農家を集めての講演と実習。

先駆的なご依頼でした。

そしてその講演の取材に来た、若いジャーナリストがタカギトモコ先生なのです。

エコール・ド・フルールを半分背負って支えてくださっている
タカギトモコ先生との出会いを作ってくださったのもそのSさんだったのです。

講演の合間に
初対面のタカギ先生と1つのお弁当を分け合ってたべたのでした。
懐かしい思い出です。

その講演会を企画した北海道庁の女性Sさんが
夕方の人ごみの大丸の地下で
20年もたつのに
こおろぎを見つけてくださったのです。


「先生、会いたかったです!」

すぐにはわかりませんでした。
でも
華やかな笑顔が少しずつよみがえってきました。


「先生、あの洋服、
とってありますよ」


そう言われてもピンとこないでいたら


「忘れてますね?
先生、私に言ったのですよ、Sさん、
そのお洋服、素敵!着なくなったら私にくださいってね!」


え?
そんなこと言ったのでしょうか・・・


「私ね、うれしくてね、ずっと大事にとってありますよ、

いつか先生にあったら差し上げようとおもってね」


もう
こおろぎは泣きそうで
ほとんど泣いてました。

お稲荷屋さんのおねえさんや
弁当屋さんおばちゃんたちが
みんな聞いてました。

Sさん、お声大きいですから。

ああ
人生、
捨てたものではありません。


こおろぎは
ちかくSさんから
お洋服をいただきます。

どんなお洋服か忘れましたが
20年間、私のために
ずっと大事にしていてくださったというのですから。






長くなりました。

パソコンの早打ち自慢とはいえ
ちょっと長すぎたと反省。

長いついでにご報告。
3月16日、
こおろぎのママは86歳のお誕生日でした。

コロ介と3人で食事に行って
期末試験の結果なんかが話題になったとき

こおろぎのママがコロ介に話しているのを聞いて
びっくりしました。


「コロちゃん、ママね、おかあちゃまに
悪いことしたのよ・・おかあちゃまがね
あんなに医大に行きたいって言ったのに
パパがだめだって言ってね、
ママね、
おかあちゃまの味方してあげられなかったの。
あの時、ママがね、もう少しちゃんとしたママだったらね
おかあちゃま、人生、違ったのにね
ママ、反省してるのよ・・」


ああ
ママ、
平気平気。

18歳の春はそれなりにドラマチックでしたが
敗者復活で農学部に方向を変えたのは
こおろぎ自身です。

紆余曲折の末、
今こうして
ココに元気にいるのですから。

ママ、反省しなくていいです。
反省することがあるとすれば
パパが亡くなって20年たつのに
未だパパの遺品を片付けてないことですよ。
ま、いいですけどね。
ママが元気ならいいです。


春です。

ことしも春がきます。