訣れ

タクシーが北一条通りを走っていたとき
突然思ったのです。


きっと彼岸というのはあるのではないかと。

先日、こおろぎの大切な大切なお友達が
39歳の一人息子さんを亡くしました。
闘病の末、
多くの祈りも空しく
心優しいお母様と
まだ幼い二人のお嬢様、お若い奥様を残して
若い青年は旅立ちました。


どんな慰めの言葉も無力で

ずっと考えていたのです。

こおろぎは
生物学が専門です。

だから
分子で出来ている生命の形は
いつか無くなるのは認めなければいけないのだと
語り続けてきました。


けれど


ふと

タクシーが
北1条通りを通ったあたりで

彼岸というはきっとあって、


そこに
きっと
たどりつく、
魂の行方を
そんなふうに
こおろぎもふと思ったのです。



そうであれば

なんとか
なんとか
なんとか
心の置き場が見つかりそうな気がしたのです。


こおろぎは
もう20年もたつのに

見送った「パパ」の写真を見ることができません。
それは
カブトムシも同じで

テレビで活躍していた
カブトムシの「ママ」の映像を
彼もビデオで観ることができないようです。


けれど
彼岸があれば

きっと

65歳で逝ったパパは
ずっと素敵なままで
70歳で逝ったカブトムシのママも
モンローより似合う金髪で
美しいまま
華やかなまま
再び傷つくことなく
そこに存在しているのではないかと


ふとそう思って


お友達のご子息もまた

その地で
笑顔ですごしていらっしゃるのではないかと


こおろぎは生まれて初めて
そんなことを思ったのでした。


励ましも
慰めもできない日々の

そして
3年前逝った友達のことも
未だ「納得」できずにいることもあって


なぜでしょう

銀杏の黄色い葉に粉雪の舞う
北一条通りのあたりで
そう思ったのです。

そのとき


タクシーのラジオから

京都大学名誉教授・・日高敏隆さんが・・」


と聞えてきました。






14日に亡くなり、ご家族の密葬を終えたあとの発表のようでした。


「音を大きくしていただけますか・・」




NHKのニュースの

たんたんとした語り口調が

大通り公園を西に走るタクシーに
静かに響きました。



こおろぎは
恩師を失いました。


恩師というには
あまりに大きく

こおろぎの人生の方向を
幾度も支え、
守ってくださった先生でした。



退学を決意していた19歳、大学2年生のこおろぎが
初めてお会いしたときの先生は
43歳のハツラツとした
細いジーンズに皮のジャケットを羽織り、
左の小指に金のマリッジリングをしていました。


折りしも今

コロ介は
コンラート・ローレンツ
フォン・フリッシュの業績を基礎にした
動物行動学のあたりを学校で学んでいます。

理科嫌いだったコロ介は
突然生物が大好きだといい始めたのです。

どうして?
と聴くと
ローレンツやフリッシュの懐かしい業績や
学校で学んだ最近の行動学の興味深い結果を
楽しそうに話してくれるようになったのです。


それはね、


おかあちゃまの先生がね

翻訳して日本中に紹介なさったの・・・と


そして
こおろぎの人生に
日高先生がどれほど大きな影響を与えてくださったかを
つい最近
話したばかりでした。


いうまでもなく
コロ介は充分承知していました。


農学部はもうやめよう
大学はもうやめよう


そう思ったこおろぎが

生物学をやろうと
突然思った秋と同じように

理科がどうしても嫌い
生物も大嫌いだったコロ介が



突然生物はおもしろいと言い出した秋



日高先生は
肺がんで亡くなりました。



何も知りませんでした。



一昨年前でしょうか
事務局長の美加ちゃんと
管理人のみのりちゃんが
日高先生の講演会があると知らせてくださって
こおろぎは東京に行きました。
茂木健一郎さんとの対談でした。


お元気そうで


いつものように

「あ、三津子!」


と右手を挙げて


「元気?」

それは20歳の私に見せた笑顔と全く同じでした。


35年間


先生はずっと私の先生でした。


お病気なのを存じませんでした。

お許しください。


多くを学びました。



生まれて初めて
彼岸があるのではないかと
思った瞬間

タクシーで
先生の訃報を聞いた偶然


コロ介に
行動学の領域だけは
私が教えはじめた今日


私は恩師を失いました。


タクシーを降りるときは
ただただ流れる涙で


運転手さんが
「大丈夫ですか・・」と
心配そうな声。


「大丈夫です。」


こおろぎは
大丈夫です。


帰宅して
母に
コロ介に



「先生が死んじゃった・・」と伝えて
ビールを一気に飲みました。

硬いアーモンドをぼりぼり食べて


大丈夫


きっと私は大丈夫、そう思ったのです。


こおろぎは
これからこそ

これからこそ

教師として
しっかり
生きていこうと思います。

先生が
私をけして見捨てず

どんな時も守り

適確に方向を示してくださったように


けしてけして権威に負けず

ウイスキーとたばこを
ジャズもファッションも
あらゆる文化もこよなく愛した先生の

その豊な感性と広い心、
人生を謳歌するセンスを

こおろぎは
けして忘れず


こおろぎを必要としてくれる
生徒たちのために


大丈夫。

これからこそ
これからこそ
しっかりやっていきます。

なぜなら

先生はもういらっしゃらないからです。


こおろぎに
再び学ぶ場として
先生が大学院の博士課程に入学することを勧めてくださったのが
武庫川女子大学の生活美学研究所でした。

今日の写真はこおろぎが通った道と

生活美学研究所の建物です。


白い巨塔ならぬ
重厚な重厚な
巨塔でありました。


師走を前に


こおろぎは今一度
生まれ変わろうとしています。

大丈夫。

大丈夫でなかったことなど
何一つないのですから。


ちょっとくらい泣いてもいいじゃないですか。




そして今日23日は
コロ介のピアノの発表会でした。
コロ介、高校2年生の秋、
試験直前の猛練習の結果はいかに・・・
その報告はまた。