なでしこ快進撃

madam-cricket2009-10-20

ちょっと時間不足の日々でした。

なでしこ倶楽部、新しいメンバーを迎えて開催。
みなさま美しさ増してました。

30代限定のクラスですが
20代のご希望も増えたので
「なでしこジュニア」独立するかも。


秋の簡単おもてなしに、ご近所からいただいた柿の枝が
ぴったりでした。


お仕事をこなしながら
家族の一員としての役割も果たしながら
がんばる30代に大きな声でエールをおくります!



といいながら
加藤和彦さんの訃報に愕然。
こおろぎはこの人が大好きでした。
音楽ももちろんそうですが
二人目の奥さまだった安井かずみさんが好きでした。
このご夫妻が大好きでした。
素敵ということばはこの二人のための言葉でした。


加藤さんの
あのファッションのセンスも
立ち姿も歩き方も
足の組み方も
話し方も
全部好きでした。
こおろぎは
あんなふうな大人になりたいと思っていました。



フォーククルセダースの頃の
レコードも何枚も持っています。


「悲しくてやりきれない」という歌があります。
この歌は
何が悲しいのか
全く語っていません。

これ以上の歌詞があるでしょうか。


ああでもない
こうでもない
と未練がましい弱い女の歌や
女々しく愛だの恋だのとダラダラ語る歌や
ちゃっかり人生語っちゃうタケダテツヤ風説教系歌詞とも違う
本当に
本当に
悲しいとだけ歌うセンス、
これ以上の歌詞はありません。

時代が終わったと
こおろぎは思います。


こおろぎが知っている
1970年代の「善意」が
終わりました。


安井かずみさんに
殉死したのだと思う。


なにをするのも一緒だと
宣言したご夫妻でした。

それが可能な優雅なご夫妻でした。


1970年代 こおろぎは迷子道をころがっていました。
1980年代は 必死の模索の日々ながら
キキが降ってきて、こおろぎの生活は一人ぼっちではなくなりました。
1990年代は
キキと二人で二人ぼっちになってしまったのですが
新しい家族を得て
コロ介がまた降ってきました。



そんな日々、
素敵さがしはずっと続いていて

それは
断じて「かわいい」とは重ならない
「大人」らしさでありました。

お手本は
安井かずみであり
森瑤子でありました。
お二人とも他界された悲しさを
改めて思っています。


吉行淳之介さんと
森瑤子さんを亡くしてから
こおろぎは日本の小説を読んでいません。


浴びるように
出る小説をほとんど読み続けて大人になったこおろぎは
もう誰もおもしろいと思わなくなっています。

人として
村上龍さんのファンですが


日本にもう小説家はいないと思ってしまっています。

中学時代から初版本を買い続けてきた五木寛之さんも
作家の業か年齢のせいか

かくも人生を語られては辛い。

大江健三郎さんも
読んで読んで読みまくりましたが
再び読む体力はありません。


大学生になった年、
まちがって選んだ大学を悔いて
下宿にこもって
三島由紀夫
福永武彦
太宰治
坂口安吾のすべての小説を
ぶっ続けて読んで
廃人のようになってしまったこおろぎでした。

読み方に偏りがあり
病的な神経で読む癖がありましたが


そんななか 
加藤和彦という
類まれな才能の
楽家
新鮮な存在でした。


悲観的ではなく
説教がましくもなく
人生も語らず

飄々とした存在。

語らずに語る、そのかっこよさは
秀逸でありました。


その彼が

もうやることがないと
この世を去ったのであれば


だれが引きとめられたでしょうか。


安井かずみさんのもとで
シャンパンをあけて、
質のいいチョコレートを食べながら
過ぎ去った日のことなど
1つも語らず
ただ、ともにいられることだけを
愛しんでいることでしょう。


とにかく

ひとつの時代の
ヒーローが
去りました。


残された者たちの

取り残された者たちの

さみしさなど
とるにたらないものなのです。


さみしさを大事に胸に


すくなくともこおろぎは
生きたくても生きられない人がたくさんいるかぎり
老いぼれ果てるまで
しっかり
歩いていこうと思います。


ハイヒールでコツコツと
背中伸ばして
見せていただいた大人道を
ちゃんと歩いていこうと思っています。




追申:こおろぎ、左目の上に原因不明の紫のアザ風斑点が!
さらにこおろぎ、原因不明の動悸!

さて
カッコつけて原因不明・・・とは言ってみましたが
原因のない結果はないわけで
こおろぎの身に起こった異変の犯人は・・・
次回ご報告します!