3月の声

madam-cricket2009-02-28


27日、送別会がありました。
優秀な仕事仲間が一人、結婚します。
うんと若い青年と、しかし強い決意で、本当に幸せそうに
惜しまれて惜しまれて職場を去ります。
そんな風に、誰かを選び、誰かを選んだ自分を信じて
人生の方向を変えてみる、
迷わずそんなことができる、そのときがきたら
やっぱりそうすべきなのです。


今日28日、久しぶりに北海道大学へ行きました。
正門を入り、懐かしい道をコロ介と歩きながら
今は総合博物館になっている昔の理学部の
古い古い建物に入ったとたん
どんなに内部を改装しようが
あの匂いは消えてはいませんでした。
このあたりに
おかあちゃまの研究室があったのよ・・・と
古い階段を目印にコロ介に言っても
「喧嘩してやめた研究室でしょ」と
そっけなく。
ま、その通りです・・・はい。
廊下の行き止まりには
大昔は
蜂の研究の第一人者、坂上昭一先生のお部屋がありました。
今はキレイな展示スペースです。
あとかたもない、そのこともまた
悲しくて。

自分の研究室で喧嘩するたびに、
泣きながらお訪ねすると
「顕微鏡、見ますか・・」と
ミジンコだったか
なんだったか、水生昆虫などの幼生を
見せてくださって
困ったようなお顔をして
他の学生さんたちに
「遊んであげなさい・・」なんておっしゃったりして。


私の理学部の思い出は
私がいた研究室にはひとつもいいものがないのですが
坂上昭一先生とそのお弟子さん達がつくっていた
情熱的な研究色と
華やかさはなくても
一流の香りでした。


長居すると泣きたくなりそうで
早々に講演会場に行きました。
卒倒しそうにつまらない講演でしたが
それも訳あって、しかたなく・・・。


山積みの作業は遅々として進まないのに
時間は確実に過ぎ、3月ですってよ!


管理人みのりちゃんはカンヌにお仕事だそうです。
こおろぎも
入学試験、卒業式、あれこれあれこれと
大学の先生らしい業務に終われます。
生活美学講座の皆様には
新しいご案内、各地の皆様にも
早々のご案内、めざしております。

そのうち・・・なんてないですからね。


NHKで白洲次郎のドラマ始まりました。
伊勢谷さんという俳優さんの
なんと美しい姿。
白洲夫妻、この美しいご夫妻は
日本国民の多くとあまりにかけはなれた姿であります。
カブトムシのママは
かなり近い生活をしたらしいので
もし生きていたら
「こんな生活だったわよ」とすまして答えるかもしれないけれど
こおろぎ、つくづく思っています。
普通のひとたちの生活文化をたどる仕事こそ
こおろぎの仕事だってね。



おはぎよおはぎ。
和菓子じゃなくておはぎ。
普通の花の普通の装飾。
宴会料理じゃなくて普段のもてなし。
白洲ご夫妻とは正反対の極かもしれないけれど
「多くの私たち」が浸ってきた文化を探らなきゃと思う。


アカデミー賞で話題になった納棺師が
実は函館起源の仕事であることを知って驚きました。
しかも洞爺丸遭難の1954年のあの台風が発端とのこと。

こおろぎのパパはあの遭難事故の夜
函館の鉄道病院の当直医でした。
かけつけて1400人という遺体の検死をしたのが
父です。
今、納棺が予期せず話題になり、
こおろぎはちょっと考えるところがあります。
民間が作った新しい儀式、
これもまた
十分に「多くの私たち」が選んだ儀式なのです。



弥生三月、でも北国はまだまだ真冬。


バタバタの1週間です。
悲しいこともシンドイこともどっさりあるかもしれませんが
弥生三月、歩くのみ。


1日の函館新聞の連載、読んでください。
こおろぎに嬉しいメールが届きました。
函館新聞の連載へのファンレターと
40年前ご近所に住んでいた6歳下のお友達からです。
思いがけない出会いや再会は
どこにあるかわかりません。
弥生三月、やらなきゃならないことはやらなきゃならないわけで
避けられないものは避けられないわけで
逃げられないものは逃げられませんからね。


弥生三月、幸せは探さなきゃね!

先日の写真の横バージョン載せますね。
おいしそうでしょ。
小さい写真は先日のクラスのときのM−Yさんの帯と帯止め。
感動的な美しさでした。