2月突入



管理人みのりちゃん、2月突入でページの表紙を
かえてくださいました。
ありがとうございました。


およねにはひとまず暇をだし、
こおろぎ、本日は朝から大学の入学試験でありました。

日曜日に入学試験。
そんな時代です。
学生から質問はでないか、採点でも質問はないか、
もう本当にストレスで胃も腸も盲腸も親知らずも
右目も左手も背中も左耳も痛くなりました。
が、なんとか終了。
わが大学、この時代にスゴイ人気。
倍率にはおびえますネ、受験生のみなさん。
同じJRで駅におりて、その姿みていたら
もう、胸がいっぱいになりました。

予定よりはるかに遅く仕事が終り、
明日の準備できず。
大変です。





ケンケンの命日です。
ずいぶん前のことのように思っていましたけど
2年前なんです・・・ね。
びっくりです。

ケンケンが亡くなった日
コロ介は学校を早退してきて
キキは大学もバイトも休んで
ケンケンのお葬式をしました。
遠い遠い動物葬儀場で
小さくなったケンケンを見送りました。

19年、本当に素敵に生きてくれました。
14歳まで北国の厳しい自然の中で
庭の番犬として働いてくれて
そのあと学校に入れられて
ずいぶん痴呆も進んでいたかもしれないけれど
どんどん柔和な顔になって
こんなダメな家族をただ頼って
ただただ「そばにいてちょうだい」と
本当にチカラを絞って吠え続けた最後の2年でした。
歩けないケンケンが私は
そして家族のみんなは大好きでした。
歩けなくても
ケンケンはプライドを持った素敵なワンコでした。
どうしてあの夜を選んでケンケンは逝ったのでしょうね。
私が仕事のない日、キキが自宅で勉強していた日、
コロ介もママも寝てしまった真夜中、
キキと私の間で寝たり起きたりしていたケンケンは
本当に電池が切れるように
ゼンマイがチカラ尽きるように
急変しました。
私とキキの腕の中で
大きく呼吸して
心臓を止めました。
医学生のキキと
生物を教える私に
「ボクは生きました。
こうやって命は終わるんです」と
ケンケンは教えてくれたのだと
私は思います。
二人で抱き続けたので
翌朝もあたたかく、生き返るような気がしました。
手の中のあの命と
そしてその命の終りを
私は一生わすれません。
ケンケンとの19年を
総括するにはまだ時間が必要です。
失敗した結婚、
なにもかもなくしたみたいなわたしと3歳のキキが
手をつなで散歩していた坂道で
見つけた小さな子犬がケンケンでした。
ケンケンとの日々を総括するには
その日々を振り返るということです。
あとすこし、時間が必要です。
そして今、
わが家にはケンケンの弟分のリキマルがいます。
里親を探している雑種のお母さんになろうと
思っていたのに
縁あって、ケンケンとは全く違う
とんでもない奴が参入しました。
でもここまで違わなければ二度と犬など飼えなかった。

ケンケンのぬくもりと
12キロが5キロになってしまった
あの小さい重みは今も残っています。
2年間、私はケンケンを抱えていました。
仕事も減らし、あの看病の日々が不思議です。
神様がもしいるなら
こおろぎにちょっとやってごらん・・・と
与えた修業だったのかもしれません。
かならず終わる命を見つめるという
とんでもない修業を
どうしてもあのときさせたかったのだろうと
思います。


その修業を私は無駄にはできません。

ケンケンを亡くした頃
ブログを読んだ方がたから
たくさん励ましをいただきました。
本当にあの時はありがとうございました。
みんながケンケンを心配してくださって
本当にありがたかったです。



こおろぎは、ケンケンのお骨といっしょに暮らしています。
小さい小さいワンコ用の骨壷があります。
お寺に預けろという人もいますが
ケンケンの宗教がわかりません。
イスラム教だったかもしれないしね・・・


お寺に預ける理由がないのです。
庭がもう少し広ければ
埋めてやりたいのですが
ママが薔薇を植えてるのでそれもできず。
ほんのひとつまみのカルシウムになってしまった
ケンケンは
ケンケンが大好きだった野山に出かける日、
土に返してあげましょう。



「そうだ、それでいい、おかあさん、そうしてください、
ボクはお散歩がすきでした。でも
おかあさん、あのころ、おかあさんもキキちゃんも
忙しくてお散歩に連れてってくれませんでしたね
でもボクはいつも外にいたし、
ボクの鎖は長かったので
ゼンゼン哀しくありませんでした。
みんな会いにきてくれましたからね。
白いワンコや大きなワンコやちっちゃいやつが
毎日来てくれましたからね。


お母さん、気にしなくていいですからね。
ボクとママさんを残してキキちゃんと
広島に行ったことも
気にしなくていいですからね
キキちゃんに新しいお父さんができて
ボクはうれしかったです。パパさんは
ボクにもやさしかったです。

ボクは14歳で学校に入れてもらいました。
そして函館の家に行って、
家の中でみんなと暮らせましたから。

ボクの事はじめはお世話しないぞと言ってたパパさんなのに
いつのまにかおしっこのお散歩はパパさんでした。

何度も飛行機に乗せてもらいましたね。
ボクみたいなおじいさんワンコで
ボクみたいな汚い雑種が
あんなに何度も飛行機にのって
札幌と函館を往復させてもらったんですから
ボクは楽しかったです。


札幌のお家で最後の2年を過ごしたのも
うれしかったです。
歩けなくてごめんなさい。
本当にごめんなさい。
おしっこもうまくできなくなってごめんなさい。
夜通し啼いてごめんなさい。
毎週病院に連れて行ってくれて
本当にありがとうございました。

おかあさん、
リキマル君が来てよかったですね。
元気な若い子が
みんなを元気にしてくれます。

おかあさん、
キキちゃん、
コロちゃん、
パパさん、
ママさん、
本当にありがとうございました
ボクはみんなと一緒に暮らせてうれしかったです」



ケンケン、そんな風に時々こおろぎに
聞えるように話すのです。
不思議ですが

こおろぎには聞えます。
冬の夜、
一人でいると
そんなケンケンの声が聞こえるのです。
ケンケンが寝ていた空間が
ひどくさみしくて。


涙が止りません。
ま、いいか。
ケンケンの命日です。


素敵なこと、たくさんあります。
哀しいこともたくさんあるけど、
ケンケン、おかあさんは
元気です。
顎関節症も治りました。

ケンケンがびっくりして目を丸くした
あのキレイなスタンダードプードルの
すみれちゃんの子供が今わが家にいます。
そうだわ、ケンケンはすみれちゃんに会ったのでした。
すみれちゃんは、ケンケンを観て
慌てて逃げ出したけどね、
ま、生まれも育ちも違う高嶺の花ですものね。
でもその坊やがケンケンのおもちゃで今遊んでいます。

さ、涙ふいてお掃除とお仕事。


こんな夜もあるってもんです。
たまにはね、ヘトヘトの日
思い出して泣きたい日もあるってもんです。


景気のいい赤いボックスと白いお花の写真で
2月突入とします!