食卓を考える・・・

madam-cricket2008-12-01


ホテルに泊まっても
これ、宿命というか、
性(サガ)というか、
義務というか、
すぐに装飾して撮影。
そもそも
宿泊するとき、こんな葉や実を持ってること自体、
ありえないし。



エコール・ド・フルールは再来年25周年になる。
食卓とコミュニケーションをずっと考えてきて
途中で大学院にもどり、
気が付けば3つの大学で食生活論などを教えるようにもなった。


こおろぎにとっての食卓、
これは学問と現実のすべてなのだと思う。


命の現場ですからね、食卓って。
一人だろうが、複数だろうが。


その場面で
人間の全部が見えるときがある。



料理自慢のお店で考え込んだことがある。
部屋に通されるなり、
「そこにバッグとコートを置かれたら
サービスの邪魔になるので・・・・に移動させてください」
とピシャリと言われた。


これは断じて間違っている。
間違いその1:靴を脱いで案内する客、しかも高額を支払う客のコートは
先に預かるべきである。


間違いその2:邪魔、ということばを使うのは無礼。客の荷物は客の一部であり、客を邪魔だといっているのと同じ。


間違いその3:サービスの邪魔、というのはおかしい。サービスは客のためであり、サービスのために客が気を使う理由はない。


間違いその4:実際にサービスの妨げになるのなら、こちらに移動させていただきますとか、こちらにおかせていただいてよろしいでしょうか、という日本語を使うべきである。


間違いその5:荷物を移動させてください、と客に指示するのは変。

食事は料理だけで成り立つものではない。
明日の授業のことを考えていてつくづく考えてしまった。



この店のショップカードを見て
納得した。
「お電話で必ずご予約ください」とある。
どこも間違っていない。
が、不愉快である。
「お席に限りがございますので
お電話にてご予約いただきますようお願い申し上げます」
とか
「ご予約いただけましたら幸いです」とか


へりくだりすぎ?
でもそんな気持ちが伝わるように書いて欲しい。
いっそ、あっさり
「要予約」で終わってくれたらよかったのかもしれない。


が、再び納得。
「子供要相談」と書いてあった。

こんな書き方、あるだろうか。

要予約、はあっても
「子供要相談」。



たしかに「子供」は空間によっては
大変なご迷惑であります。
こおろぎはキキが小さい頃、ずいぶんあちこち連れ歩いたけれど
高級な店では何件か断られた。
自慢じゃないけど
こおろぎが産んだ長女は相当行儀のいい「ガキ」だった。
そのへんのおっさんやおばさんなど
真っ青になるほど立派な敬語を早くからマスターしており、
礼儀作法、たぶん完璧だった。
そうであったとしても4歳や5歳はどうやったって「ガキ」である。
突然オシッコしたくもなれば眠くもなる。
そもそも身長100センチ程度の生き物が
色もデザインも目障りな衣装の生き物がうろつくことは
目に障る。
大人の空間には不要である。


しかし、であります。
「誠に申し訳ありませんがお子様連れのご来店はご遠慮ください」
という伝え方をすべきであり、
「子供」という言い方が間違い。
要相談、って不動産じゃあるまいし。



食空間論を仕事にしているので
料理とはべつにそういうところが
気になってしかたがない。
支払う人に無礼な店がいやなのです。


料理を食べに行くということは
栄養補給のためでも
空腹を満たすためでもないわけで
時間と空間も求めての行為なのです。


50円の珈琲が1200円にもなるのです。
文句なく1200円出すことあるでしょう。
その器、天井の高さ、サービスのさりげなさ・・



スティック入りの砂糖と簡易包装のミルク、
使い捨ておしぼりなど添えられたとたんに、
絶対に450円以上は払いたくなくなる。



そういうものだ。


食事というのは
「食べる」「こと」なのだということ
大事に大事に大事にしたいと
明日の授業の内容を考えながら
深く思っている今夜のこおろぎなのでした。


これをマナーだとか
サービスだとか
そういう言葉で説明してはいけないような気がするわけです。
モヤモヤしてますが
多分違う。



人間が他の動物と決定的に違ってしまった
複雑な背景と事情があるような気がします。
それはこおろぎが生物の教師だからでもあるのかもしれません。



そしてキーワードは「礼」と「無礼」。
マナーですか?
マナーとは違うんです。
モヤモヤしてますけどね・・・・。



広島での研究コースを終えて、
痛感しました。
オアシスにどっさり挿すことだけが
アレンジメントではないという、当たり前のこと。
器を前にして
素材を前にして
その場面を創造する力なのです。



人がなにより大事です。
できあがった「作品」には意味のない場合があります。

食卓や集いの花は常に
そういう控えめさが求められます。
その中で
簡素な美しさを表現することが大事なのです。
製作者の個性はいらない。


さっきテレビで
大根おろしのおろしがねを作っている職人さんを観ました。
すばらしい手作業。いつか欲しいと思っているお品です。
そのすばらしい技術をおもちの職人さんが
「職人は名前はいらない」とはっきりおっしゃった。
「名前を残すのではなく、いいものを残すのが仕事」



これがすべてでしょう。



そして食空間というのは、
美味しい料理だけではだめなんです。
どんな人が作ってるのかしら・・・と想像しながら
そして空気と時間を味わう、これが最高なのです。


料理人自慢の店は長く続かない。
老舗、と言われる店は確かに料理は美味しい。
でもそれだけでないことを知るべきです。


茶道嫌いのこおろぎですが
ふと
茶室の空気を思ってみたりしています。



ああ、なんて格調の高い今夜のこおろぎでしょうか。
ちょっと胃が痛くなってきました。
めずらしく、深く考えちゃったのです。
お教室のご提案、どんどんお茶室風になるかもしれません。



広島での時間は実に美しい時間でした。
優しい時間、温かい時間でした。
阿吽の呼吸で作品が完成する、その手際は
歴史を語ってくれていました。
研究課程の生徒さんの力でした。


今夜は昨日のように、乗り合わせたアホガキに立腹することもなく
穏やかに品よく・・・と思っのに・・・
この胃の痛み・・・
原因は食べすぎです。焼肉とサラダとお吸い物と長いもとモズク酢と
美味しいトマトとカボチャの煮つけとニンジンのサラダと
カマボコと松前漬けとご飯をどっさり食べたあと、
ほとんどのお菓子がたべられない次女コロ介が
めずらしく気に入っている明治の「ポルテ」という
チョコレート菓子、お茶うけにほとんど1箱食べました。



「あ、こんなに食べたの?!え?楽しみにしてたのにっ!」と
コロ介、イイトシして今やってきて泣きそうになっていました。
16歳にもなって、駄菓子ごときで母を恨むなど
実に情けない。
皇女和宮を見なさい、マリーアントワネットを見なさい。
みんな14歳、15歳で立派に国を支えたのです。
明治「ポルテ」で騒ぐでない!