日本の美

madam-cricket2008-08-03


こおろぎの家はけして広くはないのに
職業がら、食卓は二人用も含めれば7箇所ある。
にもかかわらず、日曜日の朝、カブトムシは
パソコンを寄せて、かろうじてできた空間で納豆を混ぜ、
コロ介は出窓で外を眺めながら冷えたカボチャの煮つけを食べていた。
なんということでしょね。
お引越し前夜のような状態は継続しています。


食器も完全に納まっていないのに
押入れに着手した悲劇は
しかし、
すばらしいお宝の発見にもなりました。



小さい写真は二人のママたちの総絞りの着物や羽織りのほんの一部。
ママもこおろぎも黒の絞りは他に何枚か持っているから
なんでしょうか、このコレクション。
孫娘たちがいつか着る・・と夢見た二人のゴッドマザー達の
誤算、というか、甘さというか、たんなるコレクションというか、
いい時代があったということでしょう。



そして大きな写真、
これ、なんだと思います?
お正月みたいですが・・・
なんだと思います?



ガウンです、ガウン。
普通の人はコートというかもしれないけれど
フツーではなかったカブトムシのママは
「ガウン」と呼んでたものだと思います。
外出時に着物に羽織るコートのことです。


コノちゃんが高いところからおろしてくれたツヅラをあけたらでてきました。
こおろぎのママに見せたら
「外国に講演に行く時のために作ったガウン、だと言ってたわ」とのこと。
ママは知ってました。あーよかった。


カブトのママは海外でも日本料理や文化を教えていたんだわね・・・
どんなに高価な和服も、
元が服飾デザイナーだったから
あっというまにデザインが浮かんで
オリジナルのものをつくってしまう。
単に和服を洋服に作り変える、そういうレベルを超えた
オリジナリティーが贅沢にあふれていた。

ベルベットの衿で、真っ赤な裏。
海外で着たり、日本のパーティーでも羽織って行ったに違いない。

どんなに笑うかしらと、
コロ介に見せたら
想像とは違う反応だった。
「ワーっ、いつかレッドカーペット歩くとき、着るわ!」だとさ。
16歳も、このロングガウンの迫力には感動した様子。



そういえば、
生前、「ミツコちゃん、彼がノーベル賞とったら
着る着物もガウンもあるから!世界中がびっくりする素敵なガウン」と
言ってた!ああ、これだ!
カブトムシさん、ノーベルショーまだですか?
配偶者として着る衣装は万全です・・・。



そのカブトのママ、恵美子先生が亡くなったのが8月6日。
10年前、夏休みを待って広島から駆けつけたんだった。
「ミツコちゃん、素敵なガウン、買ってきて。シルクの、素敵なガウン」
彼女の最後のわがままはシルクのガウンだった。
こちらはパジャマに羽織るガウン。
病院のパジャマがイヤだったに違いない。
検査に移動するとき、彼女の美意識は耐えられなかったに違いない。
車椅子で移動するときだって、ピンクのスリッパにピンクのポーチを
離さなかった。


こおろぎは市内のデパートをすべてまわって
やっと一枚、薄い紫のシルクのガウンを見つけた。
届けると、嬉しいわ、と少女のような笑顔を見せたけれど
思えば、一度も彼女が着た姿を見なかったような気がする。


イイモノが好きだった。
イイモノに触れていたかったのだろう。


こおろぎのママも毎日お見舞いに来てくれたけれど
そのママを「おかあちゃま」と呼んでいた恵美子先生は
「おかあちゃま、今日のお着物素敵ねえ。ちょっと触らせてちょうだい。
明日は違うのを見せてちょうだい・・」
恵美子先生は毎日、こおろぎのママの姿を待っていた。
だからママも、毎日毎日、暑い中、着物を選んでは悩み、
精一杯の笑顔で病室を訪ねてくれた。
二人のママの束の間の時間は
静かに、しかし確実に流れていた。
切ない夏だった。



そして私には
「ミツコちゃん、スカートちょっと長いわね」
「その赤、ちょっと違うかもよ」
「やっぱり、ミツコちゃんは黒が似合う!」
と、頭からつま先までチェックして
「ホント、あと10センチ背がたかくて 色がしろくて
鼻がたかかったら人生違ったのにね!」とつけくわえては
私を怒らせた。
「10センチ背が高くて色が白くて鼻が高かったら
荒井さんちに子連れで嫁には来てませんから!」と逆襲しつづけた
こおろぎだった。それさえ切ない記憶である。



どんなに怒らせてもいいから
生きていてほしかった。
亡くなってから、毎日毎日整理したはずなのに
まだ続々と出てくる恵美子先生の「残したもの」。


先生、わからないです、
この訪問着はいつお召しになったのですか?
この変わった形のコートはどういう時に着るものですか?
先生、器も、こんなにたくさん、
いつどう使ったらいいのですか?


70歳で他界した私の師匠は
こうして毎年、ふしぎと今頃、なぜか必然的に登場しては
家族全員に
その生きた証を見せてくれる。
こんな生き様、死に様があるだろうか。



「喪服は白。黒は邪道」と言っていたけれど
いままで見つからなかった白い喪服も
とうとう今回見つかった。



そして若い日のこおろぎのママの素敵な品も続々発見。
痛みに耐えてがんばるママも
「それはね、東京でお勉強していたときの・・」とか
「それはお茶のお稽古のときの・・」とか
思い出しては嬉しそう。
こおろぎの何かに変身して登場しそうなものがどっさりでてきた。



なぜか心改めて
せっせと働き始めたこおろぎへのご褒美かもしれない。


わすれないように、ブログに載せていこうと思う。


人生は長い。確かに、実に長い。
でもやっぱり、思っているよりは長くない。


こおろぎ、人生の後半を軽やかに生きたい。
先人の残してくれたものを
整理して、
文化をまとめて伝えよう。


意を強くしています。



が、しかし、
それにしても出窓でご飯してる娘、ってのもかわいそうなお話。
グータラこおろぎ、なんとかがんばります・・・。
そして今日は、赤塚不二夫さんの訃報にもうなだれて
ひっそり働きます。
彼は偉大でした。
マンガ嫌いな私ですが
赤塚不二夫氏は尊敬していました。

あまりの若さに驚きながら、
健康第一、と重ねて思っている日曜の朝です・・・。
さ、お掃除お掃除!